死霊術師と一緒にゾンビパニックに巻き込まれたんだけど、質問ある?

石之宮カント/ファンタジア文庫

Q1.ゾンビとリビングデッドの違いって何ですか?

 終わりというのは、いつだって突然にやってくる。

 だがまさかこんな終わりを迎えようとは、思ってもみなかった。


「いやっ、来ないで!」


 そう叫びながら、瀬名せな 灯里あかりは教室の椅子を投げる。血だらけの顔をした男はそれをまともに食らいながらも、気にした様子もなく灯里の腕を掴んだ。

 これは夢だ、と思いたかった。寝る前に見たゾンビ映画に影響されて見た夢。


 しかし腕を掴まれる感触はあまりにもリアルで、走る痛みが瞬間的に忘我の境から灯里を引き戻す。


 もうダメだ。私もゾンビに食べられて、死んじゃうんだ。


 眼の前の男の首がいきなりあらぬ方向に折れ曲がったのは、灯里がそう死を覚悟したときだった。


「えっ……と……周防すおう、くん……?」


 木刀で男を殴り倒したのは、見覚えのある姿だった。同じクラスだから名字くらいは覚えているが、下の名前が何だったのかまではわからない。眼鏡を掛けて険しい顔でいつも本を読んでいる、あまり目立たないクラスメイト。そんな印象しかない相手だった。


「ありがとう……もう、ダメかと」

「噛まれたな」


 心の底から安堵しながらも手を伸ばすと、周防はその手を取ろうともせずに、ただそう言った。腕には確かに噛み跡がある。さっきの男に……ゾンビに、噛まれたのだ。

 灯里の顔からさっと血の気が引いた。


「ゾンビに噛まれたら、五分程度でそいつもゾンビになる」

「そんなこと、知ってるよ!」


 ひどく冷静な声で告げる周防に、灯里は思わず叫ぶ。助かってなどいなかったのだ。


「服を脱げ」

「……は?」


 混乱と絶望の極地にある中、唐突に投げかけられた言葉に、灯里は理解が追いつかなかった。


「ゾンビになる前に。早く脱げ」


 だが、その下卑た要望をもう一度投げかけられて、灯里は一瞬にして頭に血が上る。


「ふざけないで!」

「ふざけてなどいない。時間がない」


 反射的に逃げ出そうとする灯里の腕を、周防が掴む。傷口がずきりと痛み、灯里が怯んだ隙にその首に周防の手が伸びた。


「あ……がっ……」


 的確に気道を塞がれ、一瞬にして視界が暗くなる。こんな男に穢された上、ゾンビになって終わるのか。そんな事を思いながらも、灯里の意識は途絶えた。



 * * *



 周防は気絶した灯里を床に横たえると、制服をたくし上げて肌を露出させる。説明する間も惜しかったから気絶させたが、こんな扱いをするのは申し訳無い限りだった。


 だが今は罪悪感に苛まれている暇さえない。周防は彼女の胸元に指先を当てると、そのままずぶりと腕をめり込ませた。その腕を引き抜くと、手には白く輝く光の塊が握られている。


 周防は躊躇いなくそれを己の口の中に入れ、一息に飲み下した。


「起きろ」


 そう声をかけると同時に、灯里は目をパチリと開く。成功だ。周防が胸をなでおろすと、灯里は怯えた表情で素早く後退った。


「最低……!」


 そして乱れた衣服を整えると、憎しみのこもった目で周防を睨みつける。


 周防は彼女がどのような誤解を抱いているかおおよそ理解したが、今はそれよりも安全を確保することが重要だ。特に大声を出してゾンビを引き寄せてしまう事態を何よりも避けなければならない。


 そんな思いを込め、周防は言った。


「くだらないことでガタガタ騒ぐな」


 彼は、他人との会話を特に不得手としていた。


「くだらないこと!?」

「君は死んだ」

「……は?」


 まず最重要のことを伝えると、灯里は意味がわからないと言いたげに声を上げた。無理もない。それはこの世界では実在しないはずの概念だ。


「別に信じなくてもいいが、僕には前世の記憶というものがある。この世界ではない、魔術が存在する別の異世界。そこで僕は死霊術師だった」


 そう説明すると、彼女の表情は更に変化した。「何言ってるんだこいつ」とでも言いたげなものに。


「信じなくてもいいと言っただろう。大事なのは二つ。君の身体は、もう脈を打っていないということと」


 手首を指さしてやると、灯里は慌てて自らの脈を計る。ついで首筋に触れ、最期は左胸に手を押し当て……絶望の表情を浮かべた。だがその顔が青ざめることはない。

 ──既に心臓は動いていないからだ。


「それ故に、ゾンビになることはない、ということだ」

「どういう……ことなの」


 周防はもう一度灯里の腕を指し示す。先程ゾンビに噛まれた場所だ。


「治った……!?」


 そこにあった傷は、周防が軽く手をかざすと綺麗さっぱりなくなってしまった。


「君はもはや生ける屍。リビングデッドだ。その身体はもう生命活動を停止している。ウイルスだか細菌だか知らないが……死者が病気に感染することはない。つまり、ゾンビになることもない」

「リビングデッド……って……」


 呆けたように呟く彼女の視線が、突如として険しいものになった。


「じゃあ、今の事態はあんたが黒幕ってこと!?」

「違う」


 そして案の定抱かれた誤解を、周防はすぐさま切って捨てた。


「僕はただの異世界転生者だ。この状況には君と同様巻き込まれただけで、なんの関係もない。リビングデッドとゾンビは、全くの別物だ」

「どう違うっていうのよ」

「簡単に言えば、ゾンビは何らかの疾病によるもの。感染して増殖する未知の病気だ。対してリビングデッドは魔術によるもの。この世界には本来存在しないはずの、神秘の技によるものだ」


 周防がこれ以上なくわかりやすく説明すると、灯里は不満そうに眉根を寄せた。


「つまり、どう違うの」

「……今の君の疑問そのものが答えだ。ゾンビは疑問を抱かない。ゾンビは思考も会話もできない。リビングデッドが生ける屍だとするなら、ゾンビは死せるけだものだ」


 周防の説明に、灯里の表情はますます険しいものになった。


「もしそれが嫌だというなら言ってくれ。いつでも解除する」

「解除したらどうなるの?」

「……あるべき姿に戻る」

「つまり死体ってことね」


 灯里は深々とため息をつく。


「要するに、あんたは……わたしを助けてくれた、ってこと?」


 そしてどこかバツが悪そうに視線を反らしながら、そう尋ねた。


「助けたというのは正確じゃない。ゾンビにするのを止めたというだけだ」


 本当なら、ゾンビに襲われる前に助けたかった。


「十分よ。ありがと」


 後悔と共に呟く周防に、初めて笑みを見せながら灯里は礼を言った。


「そうか。では、これを」

「なに?」


 先程ゾンビを殴り倒した木刀を差し出すと、灯里は素直にそれを受け取る。


「リビングデッドは不死者だ。噛まれてもゾンビに感染しないし、傷もすぐに治る」

「うん。それはわかったけど……」


 木刀を握りしめつつ、灯里はまだ理解できないのか首を傾げた。


「だから、安心してゾンビと戦って欲しい」

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