第2話 虚しさを乗り越えた時
私の十六歳の誕生日のこと。
アンドロイドがオーブンで膨らみ始めるケーキから目を離せない隙に、彼女から遠く離れた場所で銃を乱射しドームの床の一部を破壊した。
コンクリートを爆破した下に透明に近い床を発見したのだ。
ケーキどころではなくなったアンドロイドは本当に怒った。
人間がドームから出ることは禁じられており、それを監視するのもまたアンドロイドの役目だった。
親のように姉のように私の面倒を見てくれた。それでもやはり本来のアンドロイドとしての役目は譲れないのだろう。
仕方ない事だ。悲しいけれど理解しなければいけない。
覚悟すると肩がぎゅっと力み、すくんでしまったし、両手も固く握ってしまった。
アンドロイドが以前話してくれた緊張というものかと、頭の片隅で考えてみても気を紛らわせなかった。
アンドロイドは激怒して私の両肩を掴んだ。これは緊張じゃなくて恐怖なのだと気がついた。
「ドームから出ちゃいけないって言っただろ!」
どれほど仲が良くても、監視される側と監視する側という立場がある。相いれないものがある。
アンドロイドは十分に私を愛してくれているのだから、これ以上の贅沢を言ってはいけなかったのだと理解をしなければ。心が痛くても諦めなければ。
「ドームの真下の階層には動物がいるって言っただろ。階層ごとに担当のアンドロイドがいるとはいえ、動物は危ないぞ」
自分の顔を見ることはできないが、その時の私の表情は的外れだったに違いない。
アンドロイドの瞳は私に対して『なんて顔をしているんだ』と言いたそうだった。
「ドームの真下は主に哺乳類が住む第八階層だ。三千年前と同じ姿をしているとは限らないし、危険なんだよ」
アンドロイドの思いやりにまっすぐに感謝するべきだ。監視対象だからではなく、私を心から思ってくれて、怒ってくれたのだ。
それなのに、私の涙の理由は彼女を疑った事への自責だった。自分の中の事ばかり考えている。
生まれた時から面倒を見てくれたのに、心のどこかでアンドロイドの役目だから面倒を見てくれているのだと考えていたのかもしれない。
最期の人間だから大切にされていて、私だから大切にされているのではないのだと。
いつも一緒にいるのは二人しかいない世界だからなのだと。
アンドロイドと人間なのだと、そのような関係なのだと勘違いしていた。
結局二人でケーキを食べることができたが、終始泣いていたせいでせっかくの味がわからなかった。それでもアンドロイドは許してくれた。
ドームの床には自動の修復機能があり、すぐに塞がった。その機能を初めて知り心が塞ぎ込んだ。
弾切れになった数十のマシンガンと何事もないような床が同時に視界にある様は不気味だった。
人類を閉じ込めた存在に恐ろしさを覚えた。
この恐ろしい空間でなんの疑問も持たずに呼吸を重ねてきた自分に憤りさえ感じた。
そもそも人類を閉じ込めたのは何故なのだろう。
青人類に攻撃をしないように人類を幽閉したというなら理解できるが、絶滅しないように指示をしたのは何故だろう。
動物も閉じ込めたが、何故わざわざ種別に分類するという手間をかけたのだろう。
しかも、あくまで青人類による分類であり、正しいかどうかは分からないのだという。
アンドロイドに任せっぱなしで青人類が一切関わらない事も何か理由があるのだろうか。
この塔の素材は。
絶滅しないように命令しておきながら食料生成機の最大生成量はぎりぎりだった。
謎だらけで気味が悪くなってきた。
本当に下におりるときはアンドロイドだけが知っているスイッチを押すのだと教えてくれた。
青人類により、人類にその情報を伝えることは禁じられていたそうだ。
「リリーが興味を持たないように隠していたんだ。ごめんな」
アンドロイドが私の事を思ってくれていると既に知る事ができていたから、その言葉を素直に受け取れた。
「他の人は聞きたがらなかったの?」
「ああ。ほとんど聞かれた事が無いんだ」
不思議で仕方ないのだが、塔自体を詮索しないという同調圧力が働いた時代もあったとアンドロイドが教えてくれた。
戦争中は塔の事を聞くのは逃げたいからだという事でタブー視されていた。
人類の人口が程よく減って暮らしに余裕が生まれると、わざわざ外を気にする人が減った。
たくさんの人間がいれば、人間達は他の事ではなく人間の事を気にしていたらしい。
塔から出たいという私の願いは周りに人間がいないからなのだろうか。
私も人間に囲まれた暮らしをしていたらこんな事を思いもしなかったのだろうか。
十六歳の誕生日から半年程経った日、アンドロイドが珍しく過去の話をした。
私が何度も話してほしいとねだったからだ。しぶしぶとはいえ丁寧に教えてくれた。
「宇宙から地球にいきなり現れた青人類が、人間に交渉しようと持ちかけてきたんだ」
この塔しか知らない私は大地に足をつけていた古代に淡い憧れを抱いた。
「青人類は青みがかった黄色の肌で、人間と会話する事ができた。だが交渉という言葉を用いたところで、侵略者だからな。人類は勝てるか分からないと知りつつ全面戦争に持ち込んだ」
「つまり、外から来た勢力が既存の地球の生物を塔に幽閉したって事?」
「そうだ」
アンドロイドは憂いを帯びつつも根深さを思わせるような苦々しい顔になった。
「私を青人類と人間が共同で開発した」
生物を塔に閉じ込めるなんて非情な存在だと思ったが、アンドロイドを作ったものだと思えば悪くいうのは憚られた。そのような私の心はアンドロイドにはお見通しだった。
「まあ、青人類の発注が元だけど人間たちの意地で九割程人間が開発したよ」
奇妙な安堵を覚えた私自身に違和感を持ちつつ、それでもアンドロイドが人間が生み出した存在でよかったと思った。
もちろん青人類が彼女を生み出したとしても私のアンドロイドへの気持ちは一切変わらない。
だけどそうだった場合は彼女の前で青人類の話をするのが難しくなるかと思っただけだ。
彼女がどのように生まれたのかを今までは考えもしなかった。
生み出され、多くの人間の生き死にを見てきた。時にはむごいものを見たに違いない。
三千年間で培った彼女の存在はアンドロイドと呼ぶべきではなく、また違うものなのではないか。
だからと言って彼女が人間だとは思わない。
なぜなら人間がアンドロイドの上位にあるとは思えないから。
長い時を生きて最期の私と出会った。
私は私の亡き後の事を初めて考えた。
三千年。
それを生き抜いた大切なアンドロイド。
三千年保ち続けた血肉を受け継いだ私。
全てがここにあるのになんの疑問も持たずにいたのだと、無力感のような脱力感のような物を感じたが、その虚しさを乗り越えた時、私は決意した。
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