第52話 バレエ教室と猫 (エトワールとノアール)
帰国が決まった田中家。まだ先だけど、急にバタバタしてきたそうで、ある日、お嬢さんのバレエレッスンに付き添ってもあれないかと電話が来た。
アパートのオーナーが急にアパートチェックに来ることになり付き添えなくなったのだそうだ。なのでレッスンをキャンセルしようとしたら、帰国が決まり少しナーバスになったお嬢さんは、レッスンを休むのは嫌だと珍しく拒否。
(いつもは聞き訳がいいそうだ)
他のお子さん関連の知り合いの方達は、各自のお子さん達の習い事付き添いがあり、頼めなかったので…と、凄く申し訳なさそうに仰る。
その日は時間があいていたので、即OKした。バレエ教室はなんと、うちから歩いて直ぐの場所の建物だった。そんなところにあるとは知らなかったなあ。
そこはイギリス植民地時代?に造られらたと言われる建物で、10数階建てのビルが多い中で、4Fか5Fくらいの低層建物。外から見ても、異彩を放つ優雅レリーフや装飾があちこち使われ、ちらりと見えるエントランスホールも広く天井も高くて、かなり高級感がある建物。ずっと、何かの博物館か個人所有の建物かと思っていた。
カイロでも数回大きな地震があったけど、それにも耐えて(修復はしたけど)いる建築物なんだそうだ。凄いね。
田中マダムとお嬢さんの千香子ちゃんと建物の前で集合。そこで田中マダムとバトンタッチして、千香子ちゃんと中に入る。エレベーターは旧式の手動で開けて入る方式のだ。
千香子ちゃんは慣れた手つきで、ガシャン!とドアを開け、中に入りドアをガシャン!と閉めて、3Fを押す。エレベーターはガコン!と動き出して、ゆっくりと上に上がる。
外を遮るのはこの柵のみなので、各階や途中の壁が丸見えで斬新な感じ。
ヨーロッパでも古い建物でこういう旧式エレベーターはたまにみるけど、カイロでも結構残っているので違和感も不安もない。
でもこういう古いエレベーターのメンテンナンスって、誰がどうやっているのかなあ?と不思議に思う。
どなたかおっしゃっていたけど、古いけど構造がシンプルなので(コンピューター制御とか複雑ではないので)機械の事が分かれば、管理は簡単だと聞いたけど。
と、考えているうちに、現代エレベーターの3倍以上の時間をかけて、ゆっくりとエレベーターは3Fに着いた。
物凄く大きな(通常のドアの2倍はありそう??)なドアが半分開かれており、中は優雅な窓が並ぶ明るい広いダンスホールみたいレッスン場。壁にはぐるりと鏡が張られ、更に広く感じる。
天井は声が反響するほど高い天井。花と葉っぱのレリーフ装飾が施され、大きな古いデザインのシャンデリアがキラキラ輝いている。(でも電球はろうそく型のLEDなんだって!)。
周囲にドアが並び、そこが男女の更衣室(シャワールーム付き)と控室とか事務室とからしい。
付き添いの人達は周囲に置いてある、猫足の椅子に優雅に足を組んで点在して座っている。
夢乃も空いている席に座った。
なんだか空気も時間の流れも優雅な感じで、窓の外から聞こえるカイロの喧騒が異世界のざわめきの様に聞こえるのが不思議。
ターン!ターン!と、練習している生徒達のステップの音が高く高く響く。
やがて着替えた小さな幼稚園児くらいの子達から、大人まで集まり、中央に置かれたバーに並んで基礎レッスン?(すみません。バレエは見るだけでしたことないので詳しくないの)が始まった。
それはまるで古い映画のワンシーンみたいで、タイムスリップしたみたいだった。
基礎が終るとそこからランクに分かれてそれぞれのレッスンが始まった。優雅な付き添いマダム達はくすくすと言う感じで何か会話を交わしたり、本を読んだり、窓の外を眺めたりしている。
そこに1匹の大きな毛足の長い猫が入ってきた。当たり前の顔で入ってきて、ピアノの上に飛び乗ると、子供達のクラスをじっと見つめていた。
「先生の飼い猫なのよ」
あまり凝視していたからだろうか?隣に座る白人女性がそう教えてくれた。
彼女はフランス人で息子さんのレッスンに付き添っていると言った。千香子ちゃん達のクラスに黒髪のハンサムボーイが、ママンに向かい手を軽く振る。ママンもにこりと微笑んで振り返す。
「レツスンが始まると、いつも大御所の女優のように遅れて現れて、みんなのレッスンを見るのよ。面白いでしょう?」
ヒマラヤンみたいなその白っぽい猫(グレーが混じっている?)は、青い瞳で子供達をじっと見ていた。
「名前はなんていうんですか?」
「étoile(エトワール)」
彼女はそう言うと、ぴったりでしょう?と笑う。
étoile(エトワール)?フランス語?星とかいう意味だよねえ?星って感じの毛色でもないけど?と思いながら、そっと携帯電話でググると、なんと!バレエ用語?で、パリのオペラ座が最高位のバレエダンサーだけが属する階級を「エトワール」と名付けたのが始まりで、花形級のダンサーの事を言うんだそうだ!
知らなかった!
エトワールはピアノから降りると、優雅な足取りで練習を続ける子供達の周りをくるくると回るように歩いていく。
「ダンスしているみたいでしょう?」
くすくすフランス人ママンは笑いながら目を細めえてエトワールと愛息子を見つめる。
「本当。踊っているみたい」
「前はオス猫もいたらしいの。ノアールと言う黒猫。でも去年急にいなくなったらっしくて…多分死んだんじゃないかと言われているの。ほら、猫って死期が近づくと姿を消すというでしょ?」
ああ…と夢乃は頷いた。
「砂漠で産まれた猫だから、砂漠に帰ったんだろうと言っているの」
「砂漠の猫だから…」
ふと、孤高の黒猫が大きなふさふさのしっぽを揺らしながら、眼下に広がるカイロの街を見回し、満足した顔で砂漠の彼方へと続く白い道を歩いていく姿が浮かんだ。
「エトワールもいなくなったら寂しくなりますね」
「エトワールは空に帰るのでしょうねえ。でも大丈夫よ」
フランス人ママンは立ち上がると、レッスン場を出て2Fに行く。開け放たれているドアから勝手に中に入り声をかけると、奥から出て来たメイドが大きな籠を運んできた。
その中にはふわふわした子猫達が寝ていた。
「エトワールが産んだんですって。たぶん、ノアールの子じゃないかって。ノアールはおじいちゃんだったけど、ちゃんと子孫を残して行ったのねえ。だから大丈夫よ。寂しくないの」
きっとこの子達の1匹か何匹かが、ママのエトワールについていずれはレッスン場に行き、くるくると子供達の間を踊るように歩くんだろうなあとおもうと、なんだか笑みがこぼれた。
レッスン場に戻ると休憩タイムらしく、子供達が床に座りながらエトワールを取り囲んで楽しく談笑している。千香子ちゃんも嬉しそうにエトワールを撫でながら、楽しそうにきらきらした笑顔で笑っていた。
ふと、日本に帰ってもその笑顔でいてほしいな…と思った夢乃だった。
追記:
ゲジラにも古い建物が沢山あり、広大な庭付きプール付きの大きな邸宅形式は各国大使公邸や大使館で利用されていました。他にもイギリス植民地時代?と言われる、ヨーロッパ風とエジプト風がまじりあった素敵な建物も結構ありました。
配管とかが古くてメンテナンスが大変なので、一般住民はどんどん新しいビルに引っ越す人が多いけど、お金持ちの人達はこういう古い建物を、道楽的にお金をかけて補修して住んだり、貸したりしていると聞きました。
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