エジプト猫物語

高台苺苺

第1話 猫と別れてエジプトに (セージ・雑種)

 

 3年間付き合った彼からプロポーズされた。そろそろかなあとは思っていたけど、いきなりだったので驚いた。

 しかも会社帰りに集合した日比谷公園の噴水の前。大勢の人がいるまで、いきなり「結婚しようか?」

 それだけ。


 彼は丸の内の商社系企業勤務の29歳。私は大手町にある団体系の事務職員の24歳。ごく普通のカップルだ。


 出会いは彼の同僚が企画したスキー合コン。同僚の銀行勤務の彼氏が出向していた先で、それ繋がりで私にも話がやってきた。


 その時は、今どきスキー?と思ったけど、別にスキーをしなくても観光したり、温泉がある小さな旅館でワイワイ楽しめるというので参加することにした。


 車を持っている人が近隣在住の参加者を乗せて現地集合形式。その時、迎えにきたのか彼だった。合コンでもあるので、ちゃんと男女2人ずつなるようになってて、後ろのシートに座る男女はすでに恋人同士だというので、必然的に私は助手席に座った。


  それが馴れ初めだった。


 彼はパッとしない普通の中肉中背の外見。中堅大学卒業。出身は雪が降る地方。

 だからスキーはめちゃくちゃ上手で、初スキーの私にも色々教えてくれた。

 スキー場でかっこいい彼に恋をして!なーんて事はなかったが、その後も何となく会うようになり、現在にいたるだ。


「結婚?急だね?してもいいけどー?なんで?」

 自分の返答もロマンもかけらもないなあと思いながらも、そう聞く。

「エジプト駐在が決まったんだ。来年の春に行く」


 今はクリスマス前の賑やかさの中の12月。噴水前の極寒風が冷たく身に染みる。


「エジプト?ピラミッドのある?観光とか出張じゃなくて?」

「そう。駐在。向こうで合同企画でスタートしているプロジェクトで行く。最低3年。長くて10年」

「10年?!」


 あり得ない場所への駐在話に、あり得ない駐在期間に現実味がなくて私は笑い出した。行きすぎるカップル達が微笑ましくみてくるが、そんなんじゃないよ?逆だよと、心の中で思いながら。


「つまり?そこについてきて欲しいってこと?」

「うん」

「私に仕事辞めて?」

「うん」


 ちよっともやっとした。なんだか私の仕事を蔑ろにされてるような気がして。

 短大卒業して、4年間働いてきて、やっと最近なれたかなーと思ってきたんだけどな。

 でも、彼は蔑ろにしてるわけではないらしく、かなり困った顔をしてる。

 ふーん。


「その話はいつきたの?」

「打診は10月。でも今日、日本の地方に行くか、エジプトに行くかの二者選択を言い渡させれた」

「で?秤にかけてエジプトとったんだ?」

「そっちの方がまだ出世の道がある」

「人工衛星になる可能性もあるんでしょ?言ってたじゃん、ここ最近は海外駐在を断る若手が多くなってて人事課困ってるらしいって」

「だから二者選択されたんだよ。俺だけじゃない、他にもスキーツアーに参加した同年代が片っ端から」


 あー、と、何となくあのスキーツアー企画の真の目的が見えてきたよな気がした。


「それって、大森さん、槙原さん、杉本さんに高橋さん?」

 全員、あのツアーでカップリングした人達だ。

「そう。大森さんはブラジル、槙原さんはネパール、杉本さんはペルー、高橋さんはジョージア。大森さんは彼女にその話をしたら、別れたらしい」


 わーお!それを私に言っちゃうんだ。


「でも行くんでしょ?大森さん」

「傷心駐在だと言ってるよ」

「向こうで良い人見つかるといーねー」

 と、人ごとのように言いながら、私は嘆息した。


「わかった。両親にも話してみる。それからだね」

 彼はやっと笑うと、あ、と、言うように水色の小箱を取り出した。そこには彼の3ヶ月分の給料の塊がキラキラと輝いていた。

 おおおお~~!綺麗だ。すこし気持ちがときめく。こんなの用意してくれていたんだ!事務的にプロポーズしてきたから、そんなのないと思っていたよ。

 それを彼が厳かに私の左指にはめて、周囲の無関係の通りすがりの人達が拍手をしてくれて、それで私達の婚約が一応成立した。


「あのさ、一つ重要な事を聞いて良い?」

「え?何?」

 警戒する彼に、私はおかしそうに笑った。


「違う、違う。簡単な事。私の飼い猫のセージを連れてってもいい?」


 セージとは私が子猫から飼ってる飼い猫の名前だ。ロシアンブルーみたいな感じだけど、雑種だ。子猫時代、セージの葉の色に似てたのでセージとつけた。彼女とは離れたくない。

 でも無理だろうなとは頭の中でわかっていたが、あえて聞いてみた。彼を試すように。

 彼は考え込んでから言った。


「手続きを色々すれば、連れていけない事はないけど。セージはもう12歳だろ?13? 長距離フライトだし、環境全く違うし、、。向こうの医療事情とかもわからない。向こうでの生活に慣れてから連れていくか‥。もしくは、実家に置いて行った方がセージの幸せじゃないかな?」


 別に連れて行きたくないわけではないらしい。それで少しなんかモヤモヤしてたのが消えた気がして、私は笑った。

「うん。私もそう思う。セージには無理だよね」


 そう言う事で、子猫から可愛がってた大切な家族を家族に預けて、私はなんだかんだバタバタしながら、彼と2人でエジプトに行くことになった。


 帰宅して直ぐに両親に話すと、びっくりはされたけど、結構簡単にOKがでた。まあ、彼との付き合いも長いし?何度かここにも来ているから覚悟はしていたみたいだけどね。


 会社も翌日、上司に打診してみたら、やはり驚かれたけど(駐在先がメジャーな欧米とかではなくエジプトというところが大きいような気がした)、やはり簡単に受理された。

 辞めるまでに半年もないので、午後にはすぐに関係者には報告がされ、それもあっさり納得されて、春の結婚式前に、円満退職という運びになった。

 

 揉めたり嫌がらせされたりとかなくて、よかったと思いながらも、なんかもやっとするのが否めないのはマリッジ・ブルーだからなのだろうか。

 

 彼の両親や家族にも何度もあっているので、あっさりと話は進んでいく。エジプトで働く息子を支えてやってくれと、ご両親から頭を下げられた。


 結婚式は家族と親しい友人のみを招いて簡単に済ますことにした。時間ないしね。

 

 それに、海外駐在するのにあたって、こんなに手続きとか予防接種とかいろんなことをやらないといけないとは知らなかった。毎日毎日、彼の会社に行って手続きだのなんだの話を聞かないといけない。全部会社任せだと漠然と思っていたけど、提出とかは自分たちでしないといけないんだね。当たり前か。


 なので、手続きを簡単にするために、私達はクリスマスの日に籍を入れて事実上夫婦となった。住んでいる場所は別々で、私も手続きしたら実家にいつも通りに戻るので、全然実感がわかない。ロマンチックじゃない。こんなものか??


 セージは毎日無頓着にマイペースに私のベットの上で寝て、昼寝して、お母さんか私にご飯を貰い通常生活だ。

 ちょっと悲しいな。

 ユーチューブの猫達みたいに、飼い主の「何か」を「予感して」慰めてくれたりなんかは、ない!セージらしいや。


 どんどん月日がたち、あっという間に寿退職、荷物を船便で出して残りをパッケージしていく。

 そして結婚式。これは父がちょい涙目でじんわりきて、なかなかいい結婚式だったと思う。こじんまりしていたけど、、みんなに祝福されて嬉しかった。

 でもその後は怒涛のように出国準備だ。

 

 そのバタバタ走りまわる私をセージはあくびをしながら横目で見るだけ。

「セージ~~~もう少しで私達お別れなんだよ~~」

 と、抱き着いても、セージは知らんぷりだ。ドライすぎる。


 そして出発の日、何かを感じたのか?それとも家族全員が出かける準備をしているせいなのか?珍しくセージが玄関まで見送りに出てきた。

「セージ!!」

 涙ながらにちょい固め太りのセージを抱きしめ、ちょいドライフードの匂いのする肉球の匂いを嗅いでいると、お母さんが

「猫はいいから!早くしなさい!」

 と、怒ってくる。

 

 セージは最後に、頑張って来いよと言うように、私に涙をざりざりと舐めてくれて、鼻を押し付けてくれた。


 ありがとうセージ、頑張ってくるよ。


 私、花岡夢乃は夫の花岡和也と共に、成田空港からあわただしく一路経由地のパリに向けて飛び立った。最愛のセージと別れて。



追記:

昔の駐在時のオハナシです。私と友人知人の体験いろいろです。なので登場人物の名前は全部(仮称)です(;^_^A。

セージは帰国まで待っていてくれて、ファリーダにも猫教育してくれました。長生きしました。

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