わたしとことりと歌と

押田桧凪

第1話

 アカウント名『青い鳥』の中の人について、僕は断片的なことしか知らない。二週間前に更新された、彼女の最後のツイート『青い鳥と一緒に巣立ちます。今まで仲良くしてくださった方、ありがとうございました。』という、ただその一言を残して。


 青い鳥さんと知り合ったのは僕が短歌を投稿するアカウントを開設した頃にさかのぼる。当時の僕は『#tanka』あるいは『#短歌』というハッシュタグを使って趣味で詠んだ短歌をTwitterに気ままにアップしていた。


 彼女はそんな僕の文字だけの投稿にいいねをくれたり、引用リツイートで評をくれたりした。


『献血ができる身体が欲しかった ミオグロビンを恨むコウイカ』


「RT> 好きです。ちょうど私は生物を学んでいて、ABO式血液型について考えることがあるのですが、もし私が人間ではなかったとして、大切な人に私の血を分け与えられないのだと思うと、それはとても恐ろしく感じます」


 嬉しかった。僕の短歌は少し他の人とは違って、「実景を詠む」ということができないのをずっと悩んでいたからだった。そんな時に僕の歌を認めてくれる、肯定してくれる人がいることがとても心強かった。世間はちょうどコロナ禍で、僕の職場でも可能な限りすべての業務がリモートになり、まさに「巣ごもり」のような状況にあった中で、Twitterという鳥かごの中で身を寄せ合いながら僕は何とか生きていた。僕の歌を見つけてくれる、光のようなひとが彼女だった。


 彼女に出会って初めて迎えた夏、僕は一つの歌をもらった。ウスバカゲロウさんへ、と僕のアカウント名を添えて青い鳥さんが投稿した一首。人に何かをプレゼントされるのは久しぶりだった。


『懐かしい「なつ〜」の言い方「夏」だった ひまわりみたいにきみは笑った』


 何気なく僕が投稿した、入道雲を背景にしたひまわり畑の写真。陽の光を浴びて、育つ後ろ姿を切り取った青々とした情景からイメージが湧いたのだろうか。


 読んだ瞬間、すぐに目に浮かぶ顔があった。なんでか分からない。今まで見たこともない人で、あどけない可愛らしい声で、「なつ〜」とその人が言った。暑いの「あつ〜」と聞き間違えてもおかしくないくらいの小さな、か細い声だったのに、それでも確かに彼女だと思った。その人がたぶん、青い鳥さんなのではないかと僕は確信してしまった。というのも、彼女が詠んだ歌は、僕が撮りたかったそのものだったからだった。


「……なんで分かったんですか?」


 思わず僕は衝動的にリプを飛ばした。普段なら推敲を重ね、熟考の末に文面を直し体裁を整えて、一つの歌を投稿する僕にとっては考えられない行動だった。返信が来る。


「ごめんなさい。もしウスバカゲロウさんの心に軽く踏み入れてしまったのなら、謝ります。忘れてください」


 意味が分からなかった。「どういうことですか?」とすぐに僕は文字を打ち込んだ。それから時間をかけて、青い鳥さんはダイレクトメッセージでのやり取りで、僕に事情を説明してくれた。


 彼女には人の『念』のようなものを感じ取る力があるということ。それは幼い頃からの体質上そうだったらしく、『もの』から記憶を探り当てたり、人の触れたもの──撮った写真、猫の飼い主、落し物にまつわる記憶を掘り起こすような感覚だと言った。


「例えば、それは雪に触れた時にこれから訪れる春のぬくみを感じるようなものですか?」


 送信した後になって、変な喩えだなと自分でも思った。恥ずかしかった。


 雪が溶けたら「春になる」、「水になる」と答えが二分するのなら、前者のそれが彼女には感じ取れるのかもしれないと勝手に思ったからだ。


「それに、近いです」


 少しだけ僕は青い鳥さんに近づいた気がした。


 それから僕たちは(青い鳥さんから見れば共同作業として成り立っていないのかもしれないけれど)歌を詠み合った。一首送って、一首返す。その行為をTwitterの短歌界隈では「いちご摘み」(なんと可愛らしい名前だろう)と呼んでいる。僕は青い鳥さんといたご摘みをした。野いちごをついばむ鳥の姿を想像しただけで、心が踊った。似合っていた。ある時は僕から、ある時は彼女から、歌は始まった。


『献血ができる身体が欲しかった ミオグロビンを恨むコウイカ』


 そして、この何気ない僕の歌に返歌をくれたのも青い鳥さんだった。投稿に添えられた『#返歌』が僕に向けたものであることに気づくのに数秒かかった。


『たてがみがなかった方が幸せなライオンまるで私みたいだ』


 苦しかった。あまりに良くて、苦しかった。彼女が詠むことで何倍も深みが生まれた気がして、少しだけ僕は嫉妬した。これこそ、まさに僕が短歌を通して言いたかったことだったから。


 記号化された性も、機能も、生まれ持った身体的特徴も全部「ふさわしくない側」だったとして、誰が自分を「不適合」だと認めてくれるのだろう。もしくは「早く楽になりたかった側」の人間だったとして、誰が自由にしてくれるのだろう。ずっと僕が考えていたことだった。それを彼女に言い当てられた気がした。


 そんな人に出会ってしまったことを、運命とか奇跡とか、ましてや31音で表現する術を僕はまだ持っていなかった。


 そして、ふと思った。僕の感性にチューニングしたかのように直接的な歌を返歌として贈ってくれるのは、彼女の本心からではなく、彼女が見ている、あるいは僕に見せている『僕自身の記憶』──投稿から垣間見える人間性あるいは画面に触れたことで得た念の情報だったりするのではないか、と。そこに考え至ってから僕は何度も自分を否定するように「そんなことはない」と思い続けてきた。もし、僕が見ているものが、青い鳥さんによって僕が読んで気持ちよくなる歌としてデザインされたものでしかないのだとしたら、全てが嘘のように感じて青い鳥さんの存在自体を疑いかねなかったから。彼女がいる、彼女のアカウントが存在するたったひとつのTwitterという正しい世界を守りたかったから。


 実景を詠めない僕の歌に、彼女は世界にルビを振るように新しい景色を見せてくれた。それが、とても心地よかった。ネット上という目の見えない距離を超えて、お互いにいいねを押し合ってつながっていられる、その関係性の薄さ、安易さ、便利さに僕は恩恵を受けていたし、安心して身を委ねることができた。知らず知らずのうちに、大げさな言い方だけれども、ここがぼくの居場所だと思ってしまった。それから、二年が経った。


『我ここにあり、とばかりに主張する窓の手垢を怒れない母』


 ぺたぺたと窓ガラスに触れて駆け回る子どもが目に浮かんだ。青い鳥さんがこう詠んで僕はすぐに歌を返した。


『走馬灯 瞼の裏に映るのが僕だけであれ願う七月』


 ここにあれ、という気持ちは変わらない。誰かの中で残り続けるものがある限り。その日は七夕だった。


『ゆれたね、ときみの生きてる圏内を救う言葉を他に知らない』


 これはたまたま僕の住んでいる地域で地震があって、幸い軽い揺れで収まったものの、青い鳥さんが僕の投稿を目にして「ゆれたね」と言葉を返したことを思い出して詠んだ歌だ。けれど、「もしや青い鳥さんは……」等とそれ以上僕は詮索することはなかった。ただ、青い鳥の存在をより強く僕の中で確かなものにできて嬉しかった。


『きみからの便りはいつも時差ツイだ リアルタイムで話したかった』


 これは仕事が忙しいのか、更新頻度の落ちた青い鳥さんに向けた歌だった。けれど、いいねは来なかった。もしかしたら、目に入らなかったのかもしれない。


 気づけば、これまで青い鳥と詠んだ歌の中には季節があって、僕は「僕」と「きみ」という言葉を歌に無意識的に含めていた。初めて実景を、ちゃんと詠めていた。


 嬉しかった。嬉しくて、この感情がとてももどかしくて、誰かに伝えたい思いで溢れて、でも最初に浮かんだ顔がいつも会ったこともない青い鳥さんだったのがとても不思議だった。青い鳥さんは最近は忙しいみたいで、当然タイムラインも追ってないはずだろうと踏んで、僕は深夜に歌を投稿した。誰も見ていないような世界で、それこそAPI制限で見れない人もいる中で、それでも言葉を届ける意味が、呟く意味が分からなくなっても僕は歌を詠んだ。


『Twitter 顔の見えない誰かにも思いを馳せるくらいには恋』


 いいね、が付いた。反射的に通知欄を見る癖が付いたのもきみのせいなんだよ、と言い訳をするように伸ばす指先の素早さに我ながら笑えた。青い鳥さんだった。よりによって、なんでこの歌を、このタイミングでと恨めしく思った。全身が火照るようにカッカしていく。冷静に考えると、これは歌としての形をとった僕なりの「告白」だった。削除しようかな、と言葉としてしか知らなかった「ツイ消し」を初めて実行しようとしている自分にも焦りを感じた。これじゃ、どう弁明しても無駄だ……。


 諦めるように携帯から指を離す。シュポッと小気味良い音が鳴って、新着ツイートの更新があることに気づく。


『画面から伝わる熱があなたへの思いと気づくくらいには恋』


 目を走らせてすぐに頬が緩んだ。青い鳥さんが、僕の歌に反応した。それも良い方の反応であることに違いなかった。これはもうプロポーズでしかないだろう、とはやる気持ちを抑えながら、「もし、真意まで青い鳥さんに感じ取られてしまったのなら恥ずかしいです……」と正直に返信した。「まぁそれはどういうことでしょう(首を傾げて考える絵文字)」と青い鳥さんははぐらかした。酸っぱかった。



 この触れられない距離にいるはずの僕たちの交流が、永遠に続くと僕は思っていた。けれど、トーク履歴を見返しては関係の変遷をたどるように、SNSとは得てしてはつ恋から別れまでをインスタントに物語る道具だと知るのにそれほど時間はかからなかった。


 そして、その日は突然やって来た。Twitterがなくなる、と騒がれてから青い鳥さんの報告は早かった。『やめます』という文字がタイムライン上ですぐに目に留まった。いや、やめますとは言わなかった。いつだって、青い鳥さんの使う言葉は僕に優しかった。


『青い鳥と一緒に巣立ちます。今まで仲良くしてくださった方、ありがとうございました。』


 それに続く一連のツリー投稿を息をするのも忘れて、僕は呆然としながら読んだ。


『文字だけでは私は不十分でした。勉強不足でした。短歌の奥が深いことを、大切なひとに教えてもらいました。


「青い鳥」という名前にしたのも、このロゴを私が好んでいて言葉の海を渡る鳥の姿と青空がぴったりと私の頭から離れなかったからです。


 言葉は目に見えている以外の情報を知っています。ということを私は経験上、知っています。だからこれを読んでくれた方と、私と、そしてあなたに、私はとても感謝しています。


 私が知っている鳥は、もうすぐここから羽ばたきます。そうしたら、なぜだか少しだけ「私も」と思った自分がいました。体質上、人のものや言葉と近い場所にいるのが私には不向きでした。少しでもそれに慣れることができたら、と思って始めたのが私にとってのTwitterでした。ですから、これは一つの良い機会だと私は思います。


 青い鳥として、ではなくもちろんTwitterと言う私を生かした場所でもなく、またどこか別の世界で、私と小鳥と歌に、出会い直せたらと強く願っています。ありがとうございました。』


 それは、青い鳥さんの決めたことだった。Twitterが無くなる合図だった。そこにずっと縋っていても駄目なんだと僕は何度も納得しようと試みた。けれどやっぱり、歌を詠むことでしかこの気持ちに折り合いをつけることはできない気がした。


『ソビエトと呼ばなくなった母の言う「青い鳥」の意味を知らない』


 いずれ忘れ去られるかもしれない日のことを考える。紛争で分裂して境界線が無くなった国のことを思う。Twitterと呼ばれない歴史をたどることを、青い鳥という言葉が通じない世界が来ることを想像する。彼女がいたことを、僕だけは絶対に忘れないと歌に刻もうと思った。


『遠くない未来に言葉を託すなら帰ってこいよツバメのように』


 記憶は、念は、言葉は、ずっと地続きだと信じていたい。青い鳥さんに教えてもらったように、いつか彼女が、小鳥が、歌が彼女のもとに帰ってくるまで僕はここで待っていようと思った。

 

 さよなら、Twitter。

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