第5話 クソっ!皇帝めっ…!


そんな夫の心境などつゆ知らず、ルーネは朝食を堪能していた。


前の生では、病気が悪化してからろくに食事も喉を通らず、辛い思いをしていた。


それがなんということか!


若い体に貧相とされる食事は、たまらなくおいしかった。


食事というのは、料理側だけの問題ではない。食べる側の問題が重要なのだとルーネはつくづく感じていた。


(ハッ!これはパオチーの実!)


それにルーネは辺境料理が好きだった。


(辺境にしかないのよね~!あら、ムソンったら残してるわ。……そういえば、朝食を一緒にとることなんて滅多になかったわね。私ったら、ムソンの食べ物の好き嫌いもよく知らないわ……。でも……)


『……先に朝食に行きます』


ムソンが言い残した寝室での別れ際の言葉。それを思い出してルーネはムフフと笑うのだった。



(先にってことは……、誘ってくれたって考えてもいいのかしら?)


これからが楽しみだとルーネは思った。


ルーネはどこまでも前向きだった。


脳裏に浮かぶムソンは、なぜか上半身裸だった。




ムソンは、執務室にこもって事務仕事をしていた。


ろくに行政官を雇う金もないから、多くの事務仕事をムソンは自分で処理しているのである。


「……奥様とうまくやっていけそうですか?」


老執事長のキャメロン・アンダーソンが聞いた。


いくら執事長といえども、ずいぶん踏み込んだ質問である。


ムソンとキャメロンはたった一年の付き合いだ。ムソンが辺境伯になり、コドラ地域を拝領してからの仲であった。


だが、それでもお互いがお互いにとってかけがえのない存在になっていた。


というのも、戦争奴隷出身で、事務仕事どころか文字の読み書きさえ満足にできなかったムソンに請われて、キャメロンは一から教育を施したのであった。


キャメロンも一領主が一介の執事に頭を下げてまで領主業を理解し、全うしようという姿に感銘を受けた。たった一年で書類仕事をこなしてしまうようになるとは夢にも思わなかったが。


ムソンの優秀さに老執事は舌を巻くばかりだった。


なんにせよ、ムソンとキャメロンは戦友のような固い絆で結ばれていた。


「……執務中だ」


しかし、そんなキャメロンにムソンはにべもなく答えた。


キャメロンはヤレヤレとため息をつくしかなかった。


ムソンもため息をつき、肩を重くした。


「旦那様、お茶でも淹れましょう。ご休憩なさってください」


「ああ」


ムソンは伸びをして、ベランダに出た。


青い空だ。今日はこの地域にしては、わりに温かい気候だった。


空を眺めていると、ムソンの脳裏に『とても魅力的な土地だと思いますわ!』という脳天気な発言をするルーネが浮かんだ。


思い浮かべるルーネは、なぜかお花畑に立っていた。


ムソンはまたため息をついた。


(あんな何も知らない娘にこれから苦労をかけることになるのか……皇帝め!余計なことを……!)


ムソンは皇帝に怒りの炎を向けた。


実はムソンに結婚を命じたのはこの国の皇帝である。


断れば謀反を疑われるから承諾したが、よりにもよって“蛇のゼファニヤ”と狡猾で名高いゼファニヤ公爵家の娘だという。


どんな娘が来るかと思えば、さすがは狡猾なゼファニヤ公爵令嬢だ。


思いもよらない反応ばかりを返してくる。


特に昨夜。


おかげでムソンは、ほとんど寝られなかった。


蛇のように狡猾に、ずる賢く政敵を絡め取り服従させていく。それが蛇のゼファニヤの評判だった。


ほんの16歳の小娘だというのに、聞きしに勝る手腕だと思った。


だが、朝食の席でのあの屈託のない笑顔……!


ずっと辺境料理をうれしそうにパクついているあの笑顔……!


自分と話している時もチラチラと料理のことばかり見ているあのあどけない幼児のような顔……!


はじめは百年戦争の英雄ともてやされる自分を利用して、何か良からぬことを企んでいるのではないか?と疑念を強めていたが、今では別の疑念が急速に頭をもたげてきていた。


……この娘、なにも知らないのではないか?


だとしたら、これまで贅沢の限りを尽くしてきたであろう公爵令嬢に、元戦奴の辺境伯がただただ貧乏暮らしを強いることになるわけだ。


その気苦労を想像したら、ムソンは肩がどうしても重くならざるを得なかった。


(あのあどけない笑顔を俺がすり減らすというのか……クソっ!皇帝め!やはり許せん!)


だが一方で(いやいや、あの笑顔すらも演技なのかもしれん……)と疑念を完璧に捨て去ることはできなかった。


悩ましい。


と、なにやら庭が騒がしい。


「なにご……!?」


ムソンは一目見るや、ひらりとベランダから飛び降りた。高さは10メートル以上あったが本人はまったく問題にしなかった。


「旦那様っ!?」


ちょうどお茶を持ってきていたキャメロンが狼狽して、カップを落としてしまった。


ムソンは着地するや否や駆け出していた。




火が燃え盛り、煙が上がり、多くの人々が集まっていた。


ムソンが駆けつけてきたのを見つけたルーネが言った。


「あら?ムソンさんも食べますか?」


ルーネの顔は煤だらけだった。


城中の家来たちとともに煤だらけになって、料理を作っているのだった。


ルーネは煤だらけの顔で無邪気に笑っていた。

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