第四話

 最後のお別れよ。

 お母さんのそんな潤み声も、ぼうっ、と夜の闇に霧がかかるみたいに、頭の奥底へ沈んでしまった。

 箱の中で仰向けになるお父さんは、蝋燭みたいに真っ白な顔で眠っている。いつもはほっぺたが赤味がかっていて、お風呂上がりにお父さんまっかかー、とからかっては頭をクシャクシャに撫でられたのに。

 菊のお花を添えましょう、そう周囲の大人に促され、有無も言う前に白い菊を小さな手に握らされてしまった。

 なんで、と私は胸に呟いた。

 なんで、こんな寂しいお花なの。

 お父さんの好きなお花は、真っ赤なバラなのに。

 お母さんにプロポーズした時に、百本のバラをプレゼントしたって、そんなドラマみたいな実話が話題に出るたびに照れくさそうに、でも熱のこもった眼差しではにかんでいたのに。

 どうしてバラをあげちゃいけないの。

 どうしてお父さんを箱から出しちゃいけないの。

 どうしてみんな泣いてばかりで、スーパーマンを信じないの。

 もやもやと浮かぶ疑問の言葉が口に出そうになったけれど、お母さんが私の肩に添えた手があまりに冷たく震えているものだから、何だか私が悪いことをした気分になったのだ。しぶしぶ出かかった言葉を喉奥に押しやって、ちくちく痛むけど飲み込んで、私はぎこちない動きでお父さんの顔の横に菊を添えた。

 素直にありがとうって言える子が好きだぞ、なんて言ってたくせに。

 お父さん、どうしてずっと黙ってるの。

 寂しいお花は、嫌だった?

 真っ赤なバラをあげたら、お父さんはまた頬を染めて笑ってくれるかな?

 悶々としている私は、気付いたらお母さんとリンクしたみたいに、体が震えていたのだ。

 唇をきゅうっと噛み締める。そうじゃないと、悲しい感情の渦が巻いて口から泣き叫んでしまいそうだったのだ。

 泣いちゃだめ、泣いちゃだめ、呪文のように心に唱えて、ちくちく刺さるような胸の痛みに知らないふりをした。

 嫌な汗をワンピースの裾にすり付けて、見ないふりをした。

 お父さん、スーパーマンでしょう。

 ねえ、早く悪を倒して帰ってきてよ。

 そんな悲痛な祈りも虚しく、お父さんの箱に、長い蓋がかざされた。

 お父さんが真っ白い顔のまま、眠ってばかりのスーパーマンのまま、その寝顔に影がかかる。

 

 お父さんが──見えなくなる!!


「いやだぁっ!!」


 噛み締めた唇を解くと、私の口からガラスを割るような金切り声が飛び出た。


「返してえっ!! お父さんを返してぇっ!!」


 叫びと同時に眼底がじわりと熱くなって、大粒の涙が溢れ出た。


「おどうざぁんっ!! おどうざぁぁんっ!! いがないでぇっ!! うぁぁぁぁぁぁ〜!!」


 駄々っ子みたいに泣きじゃくりながら、手足をもがいてあがいて、遠ざかる箱の方へ手を伸ばしそうとするが、お母さんに取り押さえられてしまった。

 されどもお母さんの腕を振り払い駆け出そうと足を踏み出すが、今度は叔父さんに抱き上げられる。宙に手足が浮きながらも、あがいて、あがいて、あがきまくって、くうを殴りまくって、私は獣みたいに癇癪を上げて泣き叫んだ。


 泣きながら、また、残酷なことを悟ってしまった。

 スーパーマンなんて、いないんだ。

 お空にさらわれたら、帰ってこれないんだ。

 お父さんのばか、嘘つき。

 

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