第四十三話 第一関門
七宮さんは早速充電したマッサージ機のスイッチを入れて、動作確認をする。
「んっ……振動が強い……」
「ま、まあ、マッサージに使うやつだからね」
「……どうやって使うの?」
「効きそうなとこに当てて……な、七宮さん、そっちは……っ」
七宮さんは座る場所を探したのかと思ったが、机の前に置かれた椅子は無視して、俺の布団の上にそろそろと座った。
(なるほど、そろそろ幻術もしびれを切らしたか……だが俺はそんな安易な誘惑には……)
「……ちょっとやってみせて。肩とか……」
「っ……え、えーと……」
バッテリーを七宮さんのスキルで急速充電できているのかという疑問はあるが、実際に動いている。動かせてしまう。
これが幻術による誘惑としたら、真正面から向き合うことでも克服することができる――そのはずだ。
「……ちょっとだけでいいから」
「は、はいっ……って……えぇっ……」
理性にヒビが入る音がする。七宮さんの後ろから、そして服の上からでいいと思っていたのに――彼女は自分から寝間着の上をはだけて肩を見せてくれる。
電灯の明かりの下で白い肌が眩しく見える。だが俺は向き合う――こんな幻術に屈してはいられない。
「……明かりは消して欲しい」
「っ……ご、ごめん、じゃあ常夜灯で……」
(あっ……これはどうあがいても雰囲気が出てしまうやつだ)
幻術に多少は抗うべきなのだろうが、暗くしてほしいと言われたら従うしかない。しかし部屋が薄暗くなったことで、言い訳のしようもないほどやましい空気になってしまった。
「じゃあ、行くよ……痛かったらすぐにやめるから……」
「うん……んぁぁっ……!」
肩にマッサージ機を当てる――振動は初めは弱くしてあるが、それでも七宮さんは敏感に反応する。
「……だ、大丈夫……全然、平気……続けていい……」
「……結構凝ってるみたいだね……左と右、順にやっていくよ……」
「ふぅっ……ん、んんっ……そこ……もっとぐりぐりして……んぁぁっ……!」
(ここか……ここを入念に……って、普通にマッサージしてる場合じゃないぞ……!)
――あなたって力だけは強いほうだから、按摩師にでもなればいいのにね。
アンゼリカはベックに対して、肩を揉めとか足を揉めとか、ダンジョン内での野営中に命令してくることがあった。元々身分が高いので、人を顎で使うことに遠慮がない性格だったということもある。
前世の経験が多少は生きているのかもしれない。七宮さんの反応で頭はオーバーヒートしそうだが、彼女にベストコンディションであってほしいという願いによって、理性の崩壊を踏みとどまれている。
「肩はこれくらいで……他にやって欲しいところはある?」
「……藤原くん……」
「え……うわっ……!」
七宮さんが振り返り、何をするのかと思っているうちに手を引かれ――俺は布団の上に倒されていた。
(今のは護身術か何かか……っ、簡単に転がされた……!)
まさかそういった反撃をしてくるとは思わなかったが、これで幻術が俺に対して敵意を持って使われていることがわかった。
「……な、何を……するつもりなのかな……?」
仰向けの俺に跨ってくる七宮さん――もう幻術がどうとかは関係なく、こんな夢を見ている自分を叱りたくなる。
下から見上げると胸が――影を落とすほどに前にせり出している。
太ももが俺の腰骨に当たっているが、柔らかすぎてどうにかなりそうだ。こんなことだからプリンに襲われる夢など見てしまうのだろう。
「いっぱい虐められたから、お返し……」
マッサージ機を使って俺にどんなお返しをするつもりなのか。それは武器に使っていいものではない。
「い、虐めてたわけじゃ……俺はあの、
このままではやられる――幻術に取り込まれる。
七宮さんの目に宿る熱。それが本物で、本当に俺に向けられているなら、このまま身を任せてしまいたくなるところだが、そうはいかない。
「(――そこかっ!)」
《スキル『固定』を発動 対象物の空間座標が固定されます》
部屋の中に不意に生じた殺気に対して、俺は『固定』を発動させる。
俺が七宮さんに気を取られているうちに仕留めるつもりだったのだろう――物陰の闇から現れて、こちらに忍び寄っていた黒いもやのようなもの――触手のようにうねっている――が、ピッタリと止まっていた。
「っ……」
そして七宮さんもこちらに手を伸ばしたところで止まっている。マウントを取られたままの姿勢から逆転するにはどうするか――幻術を克服するために、俺が選ぶ方法は。
(幻夢の七宮さん、悪く思わないでくれ……ここで止まるわけにはいかないんだ……!)
◆◇◆
「……はぁ……はぁ……」
七宮さん(幻夢)はしっとりと汗ばみ、布団の上でぐったりとしている。たとえ本物ではないと言っても、風邪を引かせるようなことは胸が痛いので、乱れた服を直し、可能な範囲で汗を拭いて、上から毛布をかける。
『固定』を使った相手に対するマッサージ機による刺激は、『固定』を解除したあとにとんでもないことになるということが分かった。全身の凝りがほぐされた結果、七宮さん(幻夢)は脱力しているのだ――それ以外に何があるのか。
しかし危ないところだった。『固定』を使えなければ不意を突かれて魔力を吸いつくされ、幻術の主に屈していたところだ。
固定した黒いうねりは圧縮して、いちおうストックしておくことにする。手をかざして握りしめると、掌の中にチップが生成された。
《チップの内容:夜を這いずる手×2》
この『夜を這いずる手』は敵の攻撃自体の名称ということになるので、そこから幻術使いの正体を特定できるかと思ったが、これだけでは分からない。『夜』というキーワードからして、やはり夜魔の類だろうか。
効果については俺が受けていないのでまだ不明だ――魔力吸収か状態異常あたりか。
「……藤原くん……凄かった……」
『凄い』という言葉を七宮さんはこんなことに使ったりしないので、やはりこれは幻夢によるものだ。自分に言い聞かせているみたいになってきたが、実際に襲われたので敵は必ず存在している。
「これも一種のダンジョン攻略だな……」
俺は賢者のように澄み切った感情で、『魔力回復小』のオーブを使いながら独りごちる。
もしこの寮をベースに幻術が構築されているなら、敵はあと三人いる可能性があるが――そして、その三人以外に幻術使いがいるとしたら。
長い夜になりそうだ。俺は息を殺し、眠ってしまった七宮さん(幻夢)を残して、幻術に侵食された寮という名のダンジョンに踏み出した。
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