第七段

 あだし野の露は消えず、鳥辺山の煙がいつまでも上がり続ける。


 世界から人間の”死”が消滅した。人生に限りはなくなり、遂に永遠が実現したのである。


 しかし、死は老いと一緒には立ち去ってくれなかった。何十年か経ち、老いだけがこびりつく古い体をどうするか考えなければならない。


 そこでほどなくして、人の魂をほかの体に移植する技術が開発される。


 この技術は画期的ではあったが、開発は以前よりはスムーズに進んだだろう。なにせ、移植に使う体も精神も死なず、実験の失敗が存在しないのだから。


 かくして、資本主義の恩恵を受けた上位の人間、重要職の人間から肉体のみ若返っていった。そのうち、移植が安価で利用できるくらい一般化が進んでいく。一部では人種、性別を気軽に変えるくらいお手軽なものになっていった。


 そして、基本的人権は概念ごと消えさった。どれだけやっても死なないのだから、人を大切にする必要もない。


 子供が生まれたのならその肉体を売れば金になる。魂は適当な人形に宿してしまえばいい。どうにも立ち行かなくなって自身や子供の肉体を売る者、移植のための体を買う者、移植できずに老いてゆく物言わぬ肉塊と化す者に分かれていく。


 さらに何十年か経つと、爆発する人口に食料の供給が追い付かなくなり、飢餓者が大量発生した。仕方がないので、肉体の維持ができない人は魂をほかに移して、余った体は適当に埋めたり燃やすことになった。その移植ができないくらい貧しいのなら、生前葬されることになる。地中では不幸な不死者のうめき声で埋め尽くされている。



───

─────


 そうして死の消滅から100年以上たった頃、食料の供給が安定して、不死前提の法整備もなされたそんな世界にて。肉体と魂がバラ売りされる店の商品、人形に込められた魂たる私は、今日もショーウィンドウ越しに路地を眺める。




 話し相手として、喋る人形としての需要が一定数あるのでこうした人形は売り場に並べられる。私は中でも落ちこぼれで、何年も買い手がついていない。私よりも愛想がよくて、お話がうまくて、教養がある子が選ばれる。私はこのまま店先でホコリを被っていくんだろうか。途方もなく長く、のっぺりとした未来に押しつぶれそうになるけど、あまり泣かない方が良い。魂が曲がっちゃうんだって店主のおじさんが言ってた。

 人形になってずっと泣いてる子や心が壊れてしまったりクルってしまった子は、燃やされて物言わぬ灰にされる。意志を持つ蠢く灰になる。だから私はまだ幸せな方なんだって。これもおじさんが言っていた。


 物心ついた頃から人形なので、カラダというものがどういうものかわからない。横でカラダ単体で売られているけど、それが誰のものなのか知らないし。


 私のカラダはどこにあるんだろう。カラダを動かしている自分なんて想像すらできない。ただ、ずっと自分の中心にぽっかりと、大きな穴が開いている感覚だけがある。                                                                                                                                                                                  




 ふと、私の前で男の子が立ち止まった。金髪で透き通るような碧い目をして、今までみたどのカラダよりも美しく、太陽光が反射して輝いて見えた。


「なにみてんの?楽しい?喋る人形なんて珍しくもなんともないでしょ」


「……キミ、名前なんて言うの」


 予想よりも低いハスキーな声で聞き返された。


 ナマエ……名前?私の名前…………そっか、もともと私も名づけられて生まれてきたんだ。でも自分に関するコトは商品コードしか思い出せない。


「名前…………わからない。ずっとこうだから」


「そっか」


 目を伏せる。薄色のまつ毛が風に揺れる。


「兄弟とかって知ってる?」


「知らないよ。覚えてないもん」


「そっか。そうだよね」


 持っていたメモをクシャっと丸めると、男の子はそのまま立ち去った。


 なんだったんだろう。




 *




 それから、毎日のように金髪の子が遊びに来た。ショーウィンドウ越しにいろんな話をしてくれた。この世界がなんでこうなっているのか。死ぬ動物の尊さ、森の秘密基地、大きくて端が見えない水たまり。

 本を読み聞かせてくれたこともあって、私はとても楽しかった。でも私は何にも知らないので、店に来るヘンなお客さんのお話をするくらいしかできない。でもそんな私のつまらない話でも、彼はコロコロと笑ってくれた。


 でもいろんなお話を聞かせてくれても、ナマエだけは教えてくれなかった。


「あなたはなんて名前なの」


 聞くと、きまって


「ボクは……」


 と言いよどんで、そのままお別れの時間になってしまう。なので、最近は話題にも出さないようにしている。


 彼が帰った後、店主のおじさんにそのことを話すと、とてもうれしそうに聞いてくれる。

「心が豊かになって教養がついて、良い傾向じゃないか。これでうちの店からはもうじきおさらばかな」




 *




 1ヶ月くらいたった頃、朝おじさんが興奮気味に話しかけてきた。


「聞いてくれ、中央の人たちが君をぜひアイドルにしたいんだそうだ。精神性がとても気に入ったって!まさかうちから出るなんてなぁ!!」


 そういえばおとといくらいにスーツのおじさんが2、3人押しかけてきたっけ。適当にお話ししただけだったけど、どうやらお眼鏡にかなったみたいだ。


「あいどるって、なったらどうなるの」

「一生中央区で暮らせるんだ!こんなところ二度と来なくて良いんだぞ!!」

「……」



 昼頃に来た男の子にそのことを話すととてもショックを受けたようだった。そんな彼の顔を見て、私も少しだけない胸がちくりと痛んだ。




 去り際の暗い顔が脳にへばりついて離れない。




 それから、彼は店に来なくなった。私が嫌われるようなことをしたのだろうか。おじさんにばれないように小さく泣いた。




 *




 中央へ引き取られる前の晩、パリンッと小気味のいい音で起きると、二つのサファイアと目が合う。


「こんなことして大丈夫なの?」


「大丈夫なもんか。一緒に秘密基地に行こう。ボクの家は本当の親じゃなくて信用ならないんだ」


「秘密基地!行きたい!!」


 彼は持っていたハンマーを投げ捨てて、きれいな白い手で私をつかんで胸ポケットに入れると、店を勢いよく飛び出した。


 走る、走る走る。警報を置き去りにして、町の喧騒から離れて。初めて路地以外の景色を見た。大きな噴水もおしゃれな門も、どれも初めて見るものしかない。


 森にたどり着くころには私のワクワクは最高潮に達していた。カラダがあったなら、飛び上がってくるくる回転していたに違いない。心臓があったなら、胸から大きな音が鳴ってカラダまで震えていそうだ。




 *




 廃棄された列車を使った秘密基地はとてもよくできていて、私はずっとドキドキしていた。

 面白い絵本だらけの本棚から、リクエストした本を読んでくれる。ねこは何回も死ぬらしい。人間はだれも死なないのに

 摘んでくれた赤いお花の匂いが今まで路地から漂ってきた、どの香水よりも深く素晴らしく感じた。彼が食べている果物は見たことがない色であふれている。色とりどりの風車が窓の外をくるくると回り、目が回りそうになる。基地の中は彼の汗の良いにおいで懐かしさにくらくらする。笑う彼の眉毛の終わり際がまばらに光っていた。

 暑いときはペットボトルでつくったというセンプウキで、心地良い風を当ててくれた。本当のセンプウキは人が動かさないみたいだけど。




 時間は緩慢で永劫に、ただただ過ぎてゆくけれど。私と彼の、このまぶしい”今”だけはとても大事なものなんだと思った。永遠で薄めてはいけない、かけがえのないものだと思った。




「アキラっていうんだ」


「え?」


「ボクのナマエ。明るいって書いてナゴ アキラっていうんだ」


「アキラ……あきら?」



 私の中にぽっかりとあいた穴の周りがじくじくと痛む。なにかたいせつなものが思い出せない。




「ダメだ、もう行かなくちゃ」




 外から人工の明かりが無遠慮に差し込む。私たちは2日ほど過ごした秘密基地から暗闇の中静かに脱出した。




 *


走る、走る。転ぶ。起きて走る。


遠くで足音が聞こえる。うるさい怒号が聞こえる。


でも私はそれどころじゃなかった。


私は以前に嗅いだことがある気がした。なんだっけ。赤い花の匂い?走った町の匂い?ドロドロとこぼしながら食べていた果物の匂い?


────違う、アキラの汗の匂いだ。一緒に寝た白いベッドの匂いだ。

私の頭上で泣く男女の匂いだ。過ぎ去ったカコが降り注いでくる。光り輝いていた慈しみで溢れてゆく。


私も祝福されて産まれたんだ。最初はいらない子じゃなかったんだ。


私のカラダはどっかに行っちゃったけど、魂がちゃんと覚えてた。

こうして、また会えたんだ。


「あきら!!」


「なーにー!」


「思い出したの!私の名前ー!!」


「………」


 走る彼の顔が複雑そうに見えた。


「私はアカネ!!ナゴ アカネ!!!アキラは私の、弟!!」


 アキラは崖に突き当たって、立ち止まった。


 全力疾走して汗だらけになった体を上下させて、息をゆっくりと整えている。


 人形の私を優しく、ゆっくりと地面に立たせた。


「ねぇちゃんだけ売られて、…………ボクだけ、ぼクダけ引き取られて。ボクだけ姉ちゃんのおかげで”普通”に生きてたんだ。姉ちゃんをやっと、やっと探し出せたけど、ボクが悪いから言い出せなかったんだ」


 口角がさがって、青空みたいな目から大粒の涙を流している。


「いいの。今そばにいられる。それだけでとっても幸せ」


「今ならボクだけ捕まれば、姉ちゃんは無事に人間に戻れる。普通の人に戻れる」


「嫌よ。アキラと一緒じゃなきゃ嫌。キミが捕まるなら、私はクルったふりをして灰になるわ」


「そっか……」


 にへらぁと初めて見る年相応の笑った顔になった。私には顔がなくて、心がとっても熱くなっているのに同じ感情を表に出せないのが、ひどく悲しい。


 でも、アキラが笑っている顔をずっと見ていたいと思った。何年も生きていて…………生きているか死んでいるかわからなかったけど。今、この瞬間のためにカコがあったんだ。




 森の方からせわしなく足音が聞こえる。何十人もの靴音が押し寄せる。




「…………そうだ、海の底で暮らそう。海にも秘密基地を作ろう。森の基地には帰れないかもしれないけど、負けないくらい立派なものを作ろう」


「うん!私もアキラと暮らしたい!貝殻で椅子を作るの。本で聞いたアクアリウムみたいな海で、魚と一緒にあなたと踊るの」


 警察が目前にまで迫り、私たちは意を決して海に飛び込んだ。




 日の出の太陽が私たちを祝福しているようだった。
































 *




【世界で135年ぶりの死亡者がでました。日本時間で本日午前4時58分、185歳の女性がアメリカの病院内で老衰で死亡した、とのことです。国内でも続々と死亡報告があがっています。原因不明ではありますが、不死の病が突然消滅したとの見方が強まり────



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

真夏のオマツリ短編7本 長瀬 @nagasetole

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ