百合と怪獣

徒家エイト

第1話 

 元和げんな12年(西暦2030年)7月23日。

 梅雨がようやく明け、空はからりと晴れ渡っている。

 その空の下、千葉県北総市の古い集合住宅の一室で、二人の女性がのんびりとした朝を迎えていた。

「ねえ、百合」

 その一人、市原笑いちはらえみはあくびをしながら、同居人に声をかける。

 笑はふんわりとした生地のピンクと白のパジャマを着た、二十代後半の女性だった。柔和な顔立ちで、肩の下まである明るく長い髪は、少し癖がついている。

「なに、笑」

 隣に腰掛けていた水留百合つづみゆりは優しく微笑んだ。笑よりも少し年上で、首元までの短い黒髪を後ろでまとめている。

 笑と比べるとしっかりとした目鼻立ちをしていて、キャリアウーマンといった風貌だったが、今は鼠色のスウェットを着て、楽な格好で座っていた。

「久しぶりのお休みじゃない? せっかくだし、どこかお出かけしない? 映画でも見ようよ」

「んー」

 笑の提案に、百合は天井を見つめる。

「私的には、家で笑と一緒にいたいかも」

「ええー。出不精ねえ」

「いいでしょ。人混みとかあんまり好きじゃないし」

「そっか」

 笑は諦めたよう笑って、ごろりと百合の膝の上に寝転がった。百合はそんな彼女の前髪を、やさしく撫でた。

 この穏やかなひと時に、百合は思わず顔をほころばせる。

 カーテンからは、朝の柔らかな陽光が差し込み、ベランダにとまったスズメが、チチチと鳴き声を上げていた。

 つけっぱなしのテレビは、金沢の観光地特集を流している。ちょうど金箔を使ったパフェを紹介する女優が映っていた。毒にも薬にもならない内容だが、のんびりとした朝には似合っているな、と百合は思う。

 宇治抹茶のアイスを頬張る女優を見ていると、百合の胃袋も空腹を訴えてきた。

「とりあえず、朝ごはん食べよ」

 百合はそっと笑をどかすと立ち上がった。そして台所に立つ。

「笑、今日パンで良い?」

「うん。百合が作ってくれるならなんでも」

「おだてても何にもでないぞー」

 そう言いつつ、百合の顔がにやける。

 冷蔵庫から卵を二つ。食パンを二枚、そしてソーセージの袋を取り出した。食パンはトースターへ、そして卵をフライパンの上で割ると、ソーセージと一緒に炒める。

「ねえ笑、ヨーグルトって残ってなかったっけ?」

「あー、昨日全部食べたような……」

「あれ、そうだったっけ?」

 百合は冷蔵庫を覗く。ヨーグルトはない。

 その時、スマホが鳴った。電話だ。二人とも、ほぼ同時に。

「はい、水留」

「市原です」

 ワンコールもならないうちに、二人は電話を取った。

「マジか」

「あらそう」

 二人の顔はみるみる険しくなっていく。

「わかった。すぐ行く」

「はいはーい。百合と一緒に出るわね」

 電話を切ると、百合は大きなため息をついた。

「仕事かぁ」

「はいはい。行きましょ、百合。みんなが待ってるわ」

「あー、せっかく休みだったのになぁ」

「続きは全部終わってから、ね」

「いつになるやら」

 ぼやきながらも、百合が外出の準備を終えた。笑も同様だ。緑と白の作業着に、キャップを被っている。

 背中には『特異環境保安庁』という文字が入っていた。

 二人は大きなリュックサックを背負うと、駆け足で家を、特異環境保安庁の寮の一室を飛び出した。

 防災スピーカーからはサイレンの音が鳴り始める。日常の壊れていく音が、次第に大きくなっていた。

『怪獣速報―千葉県北総市に怪獣警報発令:特異環境保安庁発表―』

 笑顔でソフトクリームを頬張る女優の顔の上にこんなテロップが現れたのは、その直後のことだった。


 怪獣。

 巨大な体躯と特殊な能力で古来から人類を圧倒してきた、特殊な生物群の総称。

 普段は地下深く『特異環境』と呼ばれる空間に生息し、何かのきっかけがあれば地上へと来襲する。そのたびに人類は、大きな被害を被ってきた。

 そんな怪獣災害、『獣害』に対抗すべく、環境省の外局として設置されたのが『特異環境保安庁』、通称『環保』だ。主に特異環境の管理、研究、保護を担当し、獣害が発生した際には武力でもって怪獣を駆除する。

 いつ、どこに、どんな怪獣が出現しても、国民の生命や財産、何より平和を守れるよう、彼ら、彼女らは、日々職務に専念しているのだった。

 これは、そんな特異環境保安庁に身を置く彼女たちの物語である。

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