第六章 笑って「バイバイ」
沙耶が退職する日が来た。
既に借りていたアパートなども引き払い、結魂するための最低限の衣服などの入ったボストンバックを持っていた。
引継ぎをした人は元々小学校の用務員さんをしていた老人で滞りなく引継ぎなどが出来た。
だが、知らせから数日過ぎているのに、以来ゴル・ゴロスは姿を見せない。
その日は特別に職員たちで簡単な送別会をした。
仕事を早めに切り上げてお菓子とソフトドリンクで思い出話に浸ったり、雑談をしたりした。
一時間後。
送別会で挨拶をして沙耶が玄関に立つと、赤いスーツ姿の美女と高級車が待っていた。
美女は口を開いた。
彼女の正体を誰しも知り、緊張した。
「沙耶さんですか?」
美女が声をかける。
沙耶は無意識に鞄の取っ手を握りしめた。
「はい」
「では……」
「ストーーーップ!」
沙耶と美女の間に一台のカブが割り込んできた。
「……違法スピードギリギリまでトバしたけど、こんなに魔力を使うとは思わなんだ……」
運転席にいる春平はヘルメットを脱いで荒い息をした。
その背からピンク色の邪神が出てきた。
ぽてっと降りて両腕(?)で抱えたアルマイトの箱を沙耶の前で差し出した。
「これ……僕のお空をあげる!」
沙耶は突然のことに少し目を白黒させたが、にっこり笑った。
「ゴルちゃんの大切なお空、確かに受け取りました」
そういうと、沙耶は脚を折りゴルと同じ目線になり箱を受け取った。
ゴルはにっこり笑った。
と、いつの間にか横にいる美女が目線で沙耶に時間を告げる。
しかし、沙耶は最後に言った。
「ゴルちゃん、この帽子あげるね」
鞄から出したのは、出会った時に貸してもらった麦わら帽子をゴルの頭に乗せた。
「では……」
今度こそ、沙耶は立ち上がり、車に乗った。
誰も何も言えない。
普通なら『お元気で』などと気の利いた言葉も意味がある。
でも、彼女の向かう先はこの世界ではない。
沙耶はその覚悟があり、だから、ドナー、つまり提供者になった。
車は排気音と臭いガスを残して去った。
沙耶は、元々戦争遺児である。
沖縄戦で『敵にやられるよりかは天皇陛下のため、日本国安寧のために自爆しろ!』と本土から来た日本兵に言われて四歳だった沙耶は母や祖母らと自爆した。
その瞬間のことは分からない。
ただ、気が付いたら総務課の雑務を担当していた。
そして、珍しいことに周囲が年月が経っても普通は容姿が変わらないのに、沙耶は十七歳まで成長できた。
――原爆投下による運命のバグ
医療課の友人は、そう告げた。
――あなたはもっと、長生きできるのにアカシックレコードの管理が緩くなってバグが起こったの
それを聞いて沙耶は思った。
『世界には、いっぱい戦争がある。今度は私が助ける番だ』
ふと、アルマイトの箱が膝にあるのを思い出した。
「僕のお空をあげる!」
ゴル・ゴロスの言葉が謎だ。
「開けていいですよ」
運転している赤いスーツの美女はルームミラーで様子を見ていたようだ。
「ありがとうございます。では……」
中を見ると、驚いた。
山の上で日の出を見ている自分とゴル・ゴロスが求肥や寒天、葛などで表現されていた。
『沙耶お姉さん、大好き』
その思い全部、ゴルは、この和菓子に込めた。
元々、惰性の邪神である。
その邪神(の幼体)が精いっぱい頑張ったのだ。
まず、付属の黒一文字で太陽の部分を切り、口に含む。
卵黄のしょっぱさに驚く。
だが、すぐに葛や裏の羊羹の甘さが際立つ。
美味しい。
でも、涙が出た。
「ゴルちゃん、塩、効かせすぎだよ」
食べながら沙耶は涙を流し続けた。
夕闇が迫り、春平は気の利く職員から未開封のペットボトルのお茶をほぼ一気飲みした。
この世界に地下資源である石油などはほぼほぼない。
その代わり、己や同乗者の魔力などを動力とする。
だから、文字通り法定速度ギリギリの早さで何とか何とか間に合った。
地上のカブでは信じられない速度で走ったツケは疲労という形で来た。
ゴル・ゴロスは、車が去った場所から動かないでいた。
帽子の脇を持って下に下ろしていた。
ゴルは、帽子の下で泣いているのが分かる。
顔を隠しているが、地面は涙で濡れいていた。
「ねえ、春平爺ちゃん。僕、ちゃんと、沙耶お姉さんに『バイバイ』出来たかな?」
必死で震える声をゴルは押し殺していた。
春平は一言だけ答えた。
「ちゃんとできていたよ」
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