仮想美術館

池松メメ

仮想美術館


仮想美術館

  

 日本政府が企業に融資し開発した仮想空間上にある美術館、通称「仮想美術館」。世界中の著名な作品が集まるこの仮想空間に入るにはゲーミングパソコン一つあれば十分だが、平面上の芸術に満足しない者は専用のメタバースセットを手に入れて空間に入っていく。僕の幼馴染もそのうちの一人だった。

 

 僕は朝、幼馴染が親戚に頼り2つ手に入れたメタバースセットの試運転に付き合わされて、仮想美術館にいけることになった。幼馴染は無類の美術作品好きだがそれに付き合わされる身にもなってほしい。僕は余り芸術に詳しくないし、余り興味もない。「まあ、それはそれとして」と流されて仮想空間へと潜った。

 足元から広がって、自分を包み込む光が地面を、空を作り出していく。同時に入った幼馴染はアバター、紅い髪のちび助になっている。それぞれ個性あふれるアバターが行きかい、美術館やショッピングセンター等に向かっている。僕のアバターはほとんどいじっていない。バーチャルで素のままの自分にちょっと洒落たタキシードを着せているだけだ。

 世界中の著名な作品が集まる美術館に向かう中、段々と輝く笑顔になるちび助の話にはいはいと適当な合図地を打っていると、件の美術館が見えてきた。

 ヒューンと飛んでさらに小さくなっていくちび助。どうやら僕のことなど放っておいて美術品を鑑賞しに行くつもりだったらしい。こんなことなら付き合うんじゃなかったかな、大学の小論文の宿題をやっていたほうが建設的だったかなどと考えながら、もう戻ろうとメニュー画面を開こうとしたとき

「鑑賞していかれないのですか?」

 突然2対の翼に抱かれるような白いワンピースをまとったアバターが僕に話しかけてきた。絵画から出てきたような少女は僕を覗き込むように小首をかしげていたが、すぐに姿勢を正し、美しいカーテシーをする。

「あ、失礼しました。私は白鳥、この美術館の案内役の一人です」

 優美なその姿に僕は見惚れて、お辞儀もできずに

「え、あ、僕は如月です。」

 段々と尻つぼみになっていく言葉に僕は羞恥心を抱ききゅっと手を握った。カーテシーに対しお辞儀もできない余りにも情けない姿だというのに少女、白鳥は如月様、如月様、と何度かつぶやき、こくりと頷いたかと思うと両手を取り、僕を美術館の方へと引っ張る。

「如月様は芸術はお好きですか?」

「え、いや、余り…詳しいくはない、かな」

「でしたら、白鳥が解説しますので、一緒に見て回りましょう」

 花が綻ぶように笑い、僕を芸術館へと誘った。


 モナ・リザに微笑まれたのはもちろんだが、風神雷神図屛風では凄まじい風や雷の音が聞こえたり、阿修羅像の腕が動いたりなどとすごいとしか語彙力のない反応しかできない僕を白鳥は馬鹿にすることなく、わかりやすいように解説していく。輝いて見える笑顔が幼馴染よりも柔らかくて、触れてみたくなった。

「どうされました?」

 急に触れたというのに、気味悪がることなく示す反応に、疑問を抱くことなく思っていたことをつい口にしてしまった。

「君が好きみたいだ」

「ありがとうございます。そういって頂けてうれしいです」

 ライクと取られてしまい少しの後悔が募っている時に、トンと後ろから衝撃があった。ちび助とかした幼馴染がツヤツヤとした満足した表情で腰に抱き着き見上げている。

「満足したから戻ろう!」

 本当の子供のように笑う幼馴染に苦笑する。白鳥にお礼を言ってから戻ろうと振り返ったが白鳥の姿はもう無くなっていた。幻でも見ていたかのようだった。

 現実に戻るともう夜であった。幼馴染からお礼としてもらったセットが入った紙袋を両手に持って、家族が待つ家へと急いだ。 


 それからというもの、如月は寝る間もなく仮想空間に籠っては美術館に通っていた。毎回案内を白鳥に頼んでは閉館時間もない美術を見ずに白鳥を見ていた。大学の成績も落とし、両親にも幼馴染にも心配されたが、「なんでもない」と言ってはげっそりとこけた頬を無理やり吊り上げて仮想空間に閉じこもった。現実に戻るなんて考えなんてなかった。仮想空間では痩せた体を白鳥に悟られることなく過ごした。元々のアバターからちっとも変えていない僕は現実世界の僕のままだ。

「芸術がお好きになったんですね!」

 なんて頓珍漢なことを言っている白鳥の額を小突いては自分なりの愛の言葉を周りには聞こえないよう囁く、好きになったのは芸術ではなく白鳥なのだと言ってはのらりくらりと躱されていた。いつまでも一方向の恋は如月の中でどんどん燃え上がる一方、現実の幼馴染はどんどん僕を遠ざけ、家族はついには精神病院に連れて行った。精神病院にもメタバースセットは精神安定のためにも持ち込みは許され、暇な時間しかない入院生活の間にも仮想空間に潜り込んだ。


 空白の額縁が並んでいる空間を見つけた。色とりどりだが何が描かれているわけでもない。空間はほかの芸術作品がならんでいる空間とは切り離された非現実的なこの空間に僕は薄気味悪さと寒気を感じ、ふと現実を思い出した。そうだ僕はもう何日も現実に戻っていない。そろそろ戻らないといけない。僕は人間で、白鳥も人間だ。白鳥は僕に付き合ってもう何日も現実に戻っていない。白鳥も僕も現実の体が危ないかもしれない。

「白鳥、そろそろ現実に戻ろう。そして現実でまた会おう」

「それは無理でしょう、私は学習型AIです。それに如月様は現実ではもう亡くなられております。」

 え、白鳥が学習型AI?それに僕が死んでいるだって?

 いきなりカラスに襲われたかのような言葉に何とも言えなくなった。はっとメニュー画面を見る。最後に現実に戻ったのはいつのことだっただろうか、仮想空間にはメニューを開く以外に時間を確認するしかない。そのうえ一度仮想空間に入ったら自身でログアウトする以外には安全に現実に戻るすべはない。強制的にシャットダウンすると機械が壊れて使用者が仮想空間に取り残される可能性僅かにだがあるからだと、大学の授業で習った。メニュー画面のログアウトを押しても戻る様子がない。何度も、何度も、何度もログアウトを押す。戻れ、戻れ、戻れと念じながら何度も何度も押す。

「如月様のご両親は15日間戻ることのなかった如月様を起こそうとメタバースセットを強制シャットダウンいたしました。」

「はは、はははははははははは」

「それによって如月様はこの仮想空間に取り残されている状況です。ご両親はセットを外され、植物状態になっている如月様を何とか現実世界に起こそうといたしましたが諦め火葬し、日本政府を訴えようとされていると思われます。」

 ごくわずかな可能性が僕に当たった。最悪の可能性が僕にあたってしまったのだ。僕にもう戻る体はない。この仮想空間にずっと、ずーっと取り残されていくのだ。戻ることにないかつての日常、幼馴染の顔ももうぼやけている。疎遠になったのが間違えだったのだ、ちび助の姿は少し見かけても、さっと避けていく姿があった。僕がこんな状態になっているなんて幼馴染は知らなかったろう。僕の葬式には出てくれたのだろうか、泣いてくれたのだろうか。もしかしたらセットを渡したことを後悔しているかもしれない。

「如月様はサイバーゴーストになりまして、私たちを作り出したマザーコンピューターに回収され私たちと同じようにこの仮想世界でお客様の案内をしていただくことを提案します。」

 ちび助の紅い髪行きかうアバターたちのなかに見えたような気がした。僕はパッと動いてちび助に触れる。触れた感覚がなかったのはもう死んでいるからなんて考えも浮かんだがすぐに切り替える。

「ちび助!!僕だ!如月だ、助けてくれ、助けてくれよぅ……」

「誰だよ、お前。俺はちび助なんて名前じゃねーぞ、気持ち悪いな」

 そう言ってそのままログアウトしたのか消えていった。きっと現実に戻れたのだろう。僕はもう戻れないというのに。うなだれてる僕を白鳥はそっと触れる。

 「如月様、もうあきらめてださい。貴方様の実体はもうないのです。さあ、マザーのもとへと向かいましょう。きっといい待遇で迎えてくれます。」

 白鳥が柔らかな笑顔で差し伸べるその手をはねて、言ってやった。


「僕は人間だ、死んでいても人間なんだ!お前たちのようになんかならない!」


 なんだなんだと集まってくるアバターたちを搔き分けて電子の海へと消えていった。

「そう、ですか。ですがここはコンピューターの中。どこに行っても貴方に居場所はありません」



「ありがとう、毎日タツキの仏壇に手を合わせてくれて……」

「いえ、本当に悪かったのは私です。私が、私があまり興味がないのにたっちゃんを仮想美術館に誘ってしまったから……あの時セットを渡さなければたっちゃんは今も生きていたかもしれません。」

「いいえ、貴方は悪くないわ。私たちが強制シャットダウンで戻ってこれないなんて思ってもみなかったから、医者の制止も振り切ってシャットダウンしてしまったから。」

「私、ひょっとしたら、たっちゃんは今も生きているんじゃないかと思っているんです。仮想世界に潜ったらひょっこり現れてくれる気がしているんです。なんだちび助、元気がないなって言ってくれる気がするんです。」

「駄目よ、貴方まで戻ってこれなくなったらどうするの。」

「すいません、軽率でした。もう、あのセットを使うことはやめようと思います。」

「それがいいわ。……私たち、政府を訴えようと思うの。仮想空間が消えることはないだろうけれど、それでもきっとあの世界の危険性をみんなが考えてくれるように裁判を起こすわ。」

「はい。でもあの白いアバターの人いったい何だったんでしょうか。」

「白いアバターの人?」

「はい、前にたっちゃんを見かけたときに一緒にいた白い髪の毛の白い服を着た女の方です。」


 力なく答える女性のスマートフォンの中には、幼さが残る紅い髪の花魁姿のアバターが不思議そうに会話を聞きながら頷くと、画面から消えていった。

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