イミテーション 殺して犯して

TEPPEI

プロローグ

麗子れいこ——!」

 寝室に、大柄な男が飛び込んできた。恋人の、佐藤良彦だ。

 声を震わせながら彼は聞いてきた。 

「麗子、大丈夫なのか……」

「ええ……。幸い、命に別状はないわ。けど、火傷のせいで……」

 ここで麗子は、自分の顔に巻かれていた包帯をほどきはじめた。

 素顔をさらすと、佐藤良彦は目を見開いた。

 麗子は自嘲気味に言った。

「どう、ひどい顔でしょ? 先生の話では、皮膚の移植をしても、元の顔に戻すのはむずかしいだろうって……。あと失った髪も、生えることはないだろうって……」

「そ、そうなのか……」

 いつもは堂々としていて、尊大な態度さえ見せる目の前の男は、今は怯えた仔犬のようにオドオドしていた。

「でも佐藤さん、約束してくれたわよね。どんなことがあっても、わたしのこと愛してくれるって」

 問うと相手は、これまで以上にうろたえて見せた。

「あ、ああ……。もちろんじゃないか……」

 佐藤良彦は声を上ずらせながら答えたあと、左手の腕時計を見てから芝居がかった調子で続けた。

「悪いが麗子、今から大事な予定があって、長居はできないんだ……。また近いうちに顔を見せるから、それまで元気でいてほしい……」

 そう言い残すなり、彼は逃げるように去っていった。

 麗子は大きなため息をついた。

「はあ、またか……」

 落胆しながら自分の顔に手をもっていく。そしてただれた皮膚をつかむと、手前にぐっと引っ張った。ケロイド状の皮膚が、ビリビリと音を立てて剥がれていった。

 麗子は人工皮膚を投げ捨てると言った。

「また、パパの勝ちのようね」

 いつの間にか寝室には、父親の姿があった。だいぶ年の離れた初老の父は、ピンストライプのスーツをきちんと着込んでいた。

 父は勝ち誇った顔で言ってきた。

「どうだ麗子、これでいい加減、お前も懲りただろ? いつもパパが言っているように、お前が醜くなったら、どんな男だって、お前から離れていくものなんだよ。中身だけを見て愛してくれる男なんて、この世にいるわけがないんだ。夢見がちなお前にとっては酷な話かもしれんが、それが現実というものなんだよ。だからいいかい。いつまでも絵空事ばかり言ってないで、パパが選んだ男と早く結婚するんだ」

「でもね、パパ。わたしはやっぱり、どんなことがあっても愛してくれるような人じゃなきゃ絶対にダメなの」

 父は呆れた顔をして肩をすくませた。

「本当に懲りん娘だ……。だが今回も、お前は賭けには負けたんだ。次の日曜日には、約束通り、パパが紹介した男と会ってもらうからな」

「わかったわよ。でも会うだけだからね。いくらパパの頼みでも、好きでもない人と結婚できないから」

 ここで、執事の沢尻が割って入ってきた。

「ご主人様、そろそろお戻りになったほうが」

「ああ、そうだな」

 執事の沢尻は、父がもっとも信頼する男だ。いつも背筋がぴっと伸びていて、身だしなみにも寸分の隙もない。唯一の欠点といえば、表情に乏しいところかもしれない。

 寝室を出ようとしたところで、父が激しく咳き込んだ。

「パパ、大丈夫!?」

「あ、ああ、大丈夫だ……」

 沢尻に寄り掛かりながら、父は息を整えている。

「ご主人様、少し休まれていかれては?」

「そうよパパ。わたしの部屋で休んでって」

「いや、大丈夫だ……」

 咳が完全に収まると、父は切なげな視線を向けてきた。

「麗子、パパはもう長くない。早く結婚して、孫の顔を見せておくれ」

「もう、パパ。そんな冗談言わないでよ」

「冗談じゃないのは、お前もわかってるはずだ。パパに残された時間は、お前が思ってるよりも短い」

 父の真剣な顔を見て、麗子は何も言えなくなってしまった。

 黙っていると、父は表情を一転させて、おどけた調子で言ってきた。

「今日も、まさかの場合に備えて正装してきたんだが、わざわざ着替えずに、入院着のままでもよかったかもしれんな」

「パパ、誰も正装してきてなんて頼んでないでしょ」

 言い返すが、父のそういう生真面目なところが好きだった。

「麗子、次の日曜日には、絶対に他の予定を入れるんじゃないぞ」

「わかったわよ」

 沢尻に肩を借りながら父は寝室を出ていった。

 寝室にひとりになると、麗子はベッドの上で大きなため息をついた。

「はあ、わたしの運命の人は、いつになったら現れるのかしら——」



       *  *  *



 見上げれば、灰色の雲が立ち込めていた。まるで故人をしのぶかのように小雨が降り注ぐ。参列者は数百人はいるだろうか。傘を差す弔問客らで葬儀場はごった返していた。

 喪主を務める麗子は、喪服姿で父親の遺影を見つめていた。父の死後、さんざん泣きはらしたから、流れる涙はもう残っていなかった。

 心を許せる家族はもういない。母親を早くに亡くし、祖父母もすでに他界している。それだけに、父とは誰よりも深い絆で繋がっていた。父親の強い愛情によって育てられたため、母親のいないことを寂しいと思うことはほとんどなかった。ゆえに、麗子は父の死に、かつてないほど打ちのめされていた。

 不幸中の幸いだったのは、事前に父の余命がわかっていたことだった。おかげで、ある程度の覚悟はできていた。もし、父が何の前触れもなく亡くなっていたならば、ショックは計り知れなかっただろう——。


 告別式が一段落し、敷地内の喫煙所の近くを通りかかったところで、麗子は思わず足を止めてしまう。

 喪服姿の中年女性たちが、自分のことを話していたからだ。

 煙草の臭いが立ち込める中、麗子は黒い傘で顔を隠しながら聞き耳を立てた。

「確か、一人娘よね?」

「ええ、そうらしいわね」

「お年は?」

「まだ二十代じゃなかったかしら?」

「ということは、四十代のときに作ったお子さんてことね」

「孫の顔が見れなくて残念よね」

「それにしてもあの子、一人で何十億っていう遺産を受け継ぐらしいじゃない? そんな大金、何に使うのかしら」

「噂じゃ世間知らずのお嬢様のようだから、悪い男に引っかかったりするかもよ」

「それ、大いにありえるわね」

「もしくは、まだ若いから、変な投資に手を出すかもしれないわよ」

「それもありえそう」

「で、遺産を食い潰すというわけね」

 女たちが互いに意地悪く笑い合う。

 麗子は弔問客の無神経なゴシップに胸を痛めながらその場をあとにした。

 人目のないところで立ち止まると麗子は肩を震わせた。

「パパ、ごめんね。親不孝な娘で……。でも何でもっと、長生きしてくれなかったの……。ひどいよ、わたしを一人にするなんて……」

 麗子は灰色の空を見上げた。枯れたはずの涙が頬を伝っていった。

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