第49話 神獣

 彼は体のどこかから何かが流れ込んでくるのを感じた。

 それは何者かの強い意志だ。

 悲しみと、怒りと、喜びと、慈しみと――ありとあらゆる感情が入り混じった、驚くほど純粋な魂を持つ者の意志――天使の意志だった。

 天使は言った――「帰って」と。それを必死になって念じていた。

 それとともに、もうひとつの意志も流れ込んでくる。

 本来ならそれは彼が意にも介さない――判断基準に加えない者の意志ではあったが、その者は天使を愛し、天使はその者を愛していた。

 ゆえに彼は悟った。

 自分はまだ――ここに来るべきではないのだと。



 昴と由布子の手に硬いものを貫く感触が伝わってきた。

 長刀と化した金色の鎌は、純白の光を放ちながら神獣の眉間へと突き刺さっている。

 その刃が突き立った一点を中心にして、神獣の巨体に石膏がひび割れるかのような無数の亀裂が生じはじめていた。

 神獣の背の上に居た鋼鉄姉妹は、それを見て慌てて空へと退避する。

 彼女たちの眼下で亀裂は神獣の全身――それこそ翼の先まで広がっていき――次の瞬間、ガラスが砕けるような澄んだ音色とともに、一斉に透明な細片となって砕け散ってしまった。

 そして、この時を待っていたかのように世界が色を変え始める。

 闇に包まれていた校舎は青白い色から見慣れた灰白色に変わり、木々もまたその瑞々しい緑を取り戻していく。遠くから列車の汽笛が響き、周囲の山では鳥たちが囀っている。

 見上げると空は青く、そこを一羽の白い鳥が羽ばたいていく。澄んだ早朝の大気の中、心地よい柔らかな陽射しが降り注いでいた。

 不思議なことに、大地からは神獣の落下によって生じた大きな窪みも、怪物の死体も、戦いの痕跡までもが消え失せており、倒壊したはずの校舎も元の清閑な佇まいを取り戻している。

 まるで、すべてが夢か幻だったかのように、穏やかな日曜日の朝が訪れていた。

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