第43話 決着

 屋上では月明かりを引き裂くかのようにふたつの影が繰り返し交差している。

 葉月昴と西御寺篤也だ。

 昴が手にするのは、鋭い両刃を備えた金色の大鎌。その刃は使用者の意志に従って角度を変え、折りたたむこともできれば、真っ直ぐに伸ばして長刀のように振るうことも可能だ。

 一方、西御寺のトンファーもただの鉄製ではなく超常の力を象徴する淡い輝きを纏っている。それは刃こそ備えていないが、叩きつければ鋼鉄すら打ち砕き、突けば人体など容易く貫通する威力があった。

 力を秘めた武器と武器とが打ち合わされ、甲高い金属音とともに火花を散らす。

 西御寺はその凍てつくような視線で、昴は烈火のごとき視線で、互いに相手を射抜こうとするかのように、真っ向からぶつかり合っていた。

 少し離れたところで、その戦いの行方を見守っていた高月由布子は、足下に横たわる小夜楢未来に気づき、そっとその場に屈み込んだ。体中を串刺しにされるという壮絶な死に様に反して、その口元には微笑が浮かんでいる。

 この少女は自分を救ってくれた。だが同時に自分をこの八方塞がりな状況に追い込んだ張本人でもある。

 それでも由布子は未来を憎む気にはなれなかった。

 そっと手を伸ばして半開きのままだった瞼を閉じてやる。


「ありがとう」


 由布子は囁くように告げた。もちろん死者は何も答えてはくれない。しかし、その微笑むような横顔は、まるで由布子を励ましてくれているかのようだった。


 白い静寂に包まれた少女達たちを背にして、昴と西御寺の激しい攻防が続いている。

 リーチは鎌の方が長いが、手数は圧倒的にトンファーが上で、西御寺はその特性を最大限に生かすために、ひたすら前進して昴との間合いを詰め続けていた。

 しかし、険しい表情を浮かべているのは西御寺の方で、昴の口元には笑みさえ浮かんでいる。それは相手を侮っている余裕の表情とも違っていたが、負けることなどまったく考えていない強者の笑みだった。

 トンファーの攻撃を立て続けにかわし、ときには打ち払い、近接戦には長すぎるはずの鎌をコンパクトに振るって反撃を行う。

 その斬撃が頬をかすめたところで西御寺は大きく跳躍して間合いを取った。荒い息をつきながら、追い打ちをかけることすらなく静かに佇んだままの昴を睨みつける。


「――なぜだ!?」


 疑問は思わず口をついて出ていた。いかに強力な特殊能力があるにしても、目の前の少年は素人のはずだ。その能力にしたところで異常に身体能力を強化する意外には、特筆すべき特徴は見当たらない。

 ならば、いかに運動能力で劣っていようと、幼い頃から武術の研鑽を続けてきた自分に技術ではまったく及ばないはずだった。

 だが、実際にはまるで届かない。それどころか、この少年は明らかに手加減していた。もし殺す気があったのなら、決着はもっと早くに着いていただろう。

 舐めるなと言いたいところだったが西御寺は奥歯を噛みしめて、その言葉を呑み込んだ。この状況で、そんな言葉は負け惜しみにしかならない。

 それでも、このまま負けるわけにはいかなかった。間合いを保ったまま打つ手を考える西御寺に昴が静かに問いかける。


「なあ西御寺。おまえ――俺と由布子を殺せたとしても、その後で、あの鋼鉄姉妹をどうなだめるつもりだったんだ?」


 そんなことになったら鉄奈は間違いなく怒り狂うだろう。鋼にしてもそうだ。欺瞞に満ちた理屈や定説で納得させられる相手ではない。そういった世界を嫌になるほど見てきたふたりなのだから。


「彼女たちがどういった人間かは知らんが、お前たちの仲間であれば、よもや神獣に代わって世界を滅ぼすなどとは言わぬだろう。最悪でも、私ひとりの命でカタがつくはずだ」

「あんたも、俺や未来と同じか。過去に大切な何かを失くしてきたんだな」

「私はお前達とは違う。奪われたのではなく、を自らの意思で切り捨てたのだ」

「なぜだ?」

が愛した世界を――守るためにだ」


 言い放つととともに西御寺は再び昴に躍りかかった。

 しかし、昴は冷静に見切ると、渾身の一撃をもって西御寺のトンファーを二本まとめて両断する。涼しげな音を立てて残骸となった武器が床の上に転がった。

 唇を噛みしめる西御寺を昴は悲しげに見つめた。同じ痛みを知っている者同士なのに、西御寺は未来に寄り添うのではなく殺し合う道しか選べなかった。


「西御寺……」

「同情などいらん」


 昴の目に憐憫の情を見て取った西御寺は、壊れた武器を放り出すと腰の後ろから小ぶりのナイフを抜いて構える。

 それには無反応で昴は自然体のまま西御寺に言った。


「痛ましい話を聞けば同情くらいするさ。たとえ相手がお前みたいな奴でもな。同情くらいできなきゃ人間じゃない」

「かも知れん。だが、私はそれを捨てて人間でなくなろうとさえしているのだ。自分を貫きたいならば手加減はやめろ」

「手加減はしてないさ。あんたを殺さないようにするために、さっきから全力で戦っている」

「それは傲慢というものだ。戦う相手の生殺与奪さえ、自分の意思で決めようなどとと」

「それを言うなら、戦う相手に殺すことを強いるのも傲慢ってものだろ?」


 違うかい? とでも言いたげな悪意のない口調だ。

 だが、彼はべつに西御寺を赦したわけではないだろう。この真っ直ぐな少年にとって、由布子を殺そうとし、柳崎を投げ飛ばしただけでも許し難いはずだが、西御寺はさらに未来の命を奪ったのだ。赦されることはない。おそらくは永遠に。

 それでもなお西御寺を殺そうとしないのは昴にとって戦いが、ただの手段に過ぎないからだ。守るべきものを守るための方策のひとつとして、彼は武器を手に取っているだけだ。

 理解すると同時に浮かび上がる想いがある。

(だが、それに対して私は――)

 西御寺はふとそれを考えた。高月由布子を殺そうとしたときに自分は本当に世界を守る方策のひとつとして、それを選んだのか。

 小夜楢未来の抹殺を組織から命じられたとき、そこに正当性があるかどうかを、はたして吟味してみたのか。

 いつしか考えることさえ放棄して、いつの間にか手段と目的の垣根さえ、曖昧になっていたのではないか。

 込み上げてくるそんな想いを、しかし西御寺は押し殺した。

 認めてしまえば戦えなくなる。そんな気がして自分の弱さから目を背けたのだ。

 そして、その存在自体が自分を否定するかのような昴に向かって、牽制のためにナイフを投げつけると、つづいて両手を大きく交差させて、そこに魔力を集中させた。

 昴がナイフを叩き落とすとほぼ同時に朗々たる声を響かせる。


「雷光よ!」


 西御寺の両腕を伝うようにして凄まじい稲妻が迸った。

 今度の狙いは由布子ではない。この場で最も危険な敵――葉月昴だ。

 あの紺のマントには雷光は通じないかも知れないが、昴はいま自分のそれを由布子の肩にかけたままだ。あるいはあの金色の武器ならば、ある程度は打ち払えるのかも知れないが、最大威力で放たれた、この雷光のすべてをかき消すことなどできないはずだ。

 よくて瀕死。そうでないなら一撃で殺せる威力のはずだった。


(私の勝ちだ!)


 歓喜とは何かが違う感情を抱きながら西御寺は勝利を確信する。

 だが、それは油断に他ならなかった。

 昴はすでに、その攻撃を目にしている。だから、西御寺が武器を失ったとき、それに頼ることは最初から読めていた。いや、待っていたのだ。術を放出したあとに隙が生まれることを見抜いたうえで。

 戦いの中で位置取りを調整したことで、昴はもう由布子を背にしてはいない。もはや後ろを気にする必要もなく、神懸かり的な速さで雷光をかいくぐると、敵の発した稲妻さえ逆に目眩ましにして接近し、金色の鎌の背を敵の右肩へと叩きつけていた。

 ――骨が砕ける嫌な音がした。

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