第41話 ヒューマニズム

 夜の学園を冷たい風が吹き抜けていく。すべてが静止したような世界の中で、その一帯だけが時を刻んでいるかのように見えた。

 渦巻く暗雲は神獣の出現とともに姿を消し、夜空には一定の明るさで決して揺らぐことのない白い月が浮かんでいる。

 その冷たい月明かりの下、葉月昴は西御寺篤也と真っ向から対峙していた。

 昴の背後にはひとりの少女が立ち尽くしている。彼女の名は高月由布子。昴にとって、まさしく天使のような存在だ。

 彼女を守るために昴は金色の鎌を構える。その瞳には怖れもとまどいも残ってはいない。自らが為すべきことを、はっきりと自覚している眼差しだった。


「本末転倒って奴だよ、西御寺。天使が人類を見限るのは、人間があんたみたいになっていくからだ。人の心を置き去りにして、ただ合理的に判断するなら、それは機械と変わらない。そんな人の心の摩耗が滅びをもたらすトリガーになるのさ」

「なにも知らぬくせに、ずいぶんと知ったふうな口を利くものだな」

「だったら、あんたは神獣の何を知っているんだ? 何も解らないまま、安易な解決策に逃げようとしているのはあんたのほうだろ?」

「確かに神獣は人知を超えた存在だ。だが、我々組織は、それについて長年の研究を重ねてきた。その結果、これしかないと言っているのだ」

「人知を超えてるなんて言ってる時点で、その結論に説得力はないな」

「道理の解らぬ奴め、どうあっても邪魔をすると言うのか」

「あんたが由布子の命を狙う限りはな」

「ならばやむを得まい。覚悟を決めることだ」


 鋭い眼光が射貫くかのように昴に突き刺さるが、彼はそれを悠然と無視していた。怒りに我を忘れているわけでも強がっているわけでもない。ただ単純に目の前の男が怖くないだけだ。

 戦意が心の内から際限なくわき起こり、これまで眠り続けていた体中の細胞が、一斉に目を覚ましたかのように力がみなぎっていた。負ける気など微塵もしない。


「昴……」


 由布子は震える瞳で昴の姿を見つめている。その彼女を守るように昴はさらに一歩前へと踏み出す。


「愛のためか?」


 なんの感情も宿さぬ口調で西御寺は〝愛〟という言葉を口にした。

 それが昴には滑稽に思える。目の前の男はその言葉の本当の意味も解さず、理解したつもりになってバカにしているのだ。

 だが、そんなことを教えてやったところで無意味だろう。本当に言葉が通じない人間というのは、未来のように道を見失い、迷走している人間ではない。目の前のこの男のように、ひとつの道しか認めない傲慢な人間のことだ。

 昴は今ハッキリと理解していた西御寺篤也は彼にとって決して相容れぬ存在――本当の意味での敵だ。

 その敵を不敵な視線で射抜くように睨みつけたまま、昴は言葉を返す。


「愛ってわけじゃないな。それはそれで悪くないが、たとえいま俺の後ろに居るのが月見里だったとしても、俺はあんたの邪魔をするさ」

「くだらんな――結局は安っぽいヒューマニズムというわけだ」


 鼻で笑うかのような西御寺の言葉に、昴も嘲笑で応じた。そして切って捨てるように言い返す。


「なら訊くが、高尚なヒューマニズムってのはなんだ? まさか、より多くの命のために、罪もないひとりの少女を犠牲の祭壇にあげるのが、それだって言うんじゃあるまいな?」

「たとえそれが罪だとしても数多の命を救うためならば、その罪を背負う覚悟を決める。それが大人の判断というものだ」

「その場合、その数多の人たちは、それを罪だと思っているのか?」

「それは……」


 やや意外なところで西御寺は言いよどんだ。あるいはこの男は自分の中にある歪みを無意識に感じ取っているのかもしれない。


「あんたが悲痛な思いで罪を犯したとしても、連中がそれを喜ぶのは、それが自分たちにとって都合がいいからさ。都合がいいから感謝する。都合がいいから正義と持て囃す。連中にとっての善悪なんざ自分にとって都合がいいか悪いかだけで決まっているんだ。そこにヒューマニズムなんてありはしない」

「ならば、お前はどうする? 他に方法がないというのに愛するものを守って、世界のすべてと心中するつもりなのか」

「どうだろうな? そんなことはまだわからない」

「わからない――だと!?」

「ああ、なぜなら俺はまだ何も試してないからだ。あんたの言うとおり、本当にアレが不死身なのか。本当に滅ぼす方法がないのか。たとえ、どんな絶望的な運命が相手だろうと、俺は足掻いて足掻いて抗い抜いてみせる。最後の瞬間まで絶対にあきらめはしない。由布子も未来も、運命や他の何かに譲ったりはしない。それが俺のヒューマニズムだ」


 言い放つ昴を前に西御寺は沈黙した。意外にも嘲笑いはしなかったが、受け入れることもない。


「なるほど、お前にはお前の明確なる信念があるということか。ならばバカにしたことは謝罪しよう。だが、私にも譲れぬものがある。お前に試させた結果、手遅れになれば私は私を赦せんのだ」


 両腕にトンファーと呼ばれる金属製の打突武器を構え、西御寺は油断なく身構えた。先ほどまでとは違う鋭い殺気に、場の空気が張り詰めていくのがわかる。それを正面から見据えて昴は告げた。


「来い!」


 それが戦いの合図となった。

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