第35話 実体化
「宇宙樹という概念があるの」
小夜楢未来は祭壇の前に立ったままで語りはじめた。彼女もまた、光とともに溢れ出した暴風の直撃を受けたはずなのだが、微動だにしていない。
祭壇の上に横たえられた由布子の身体からは、いまなお強い光が溢れ出していたが、周囲の風は徐々に収まりつつあった。
「――それはその名の通り、宇宙のごとき大きさを持つ巨大な大樹であり、その葉の一枚一枚にわたしたちが暮らすような世界がひとつずつ収まっているわ」
暴風に打ちのめされた昴と柳崎は、屋上の床に倒れていた。大したダメージではなかったが、脳しんとうでも起こしたのか、あるいは魔法じみた力の影響か、平衡感覚がすぐには回復しない。
「昔、それを父から聞かされたとき、わたしは物凄く興味を持ったの。こことは異なる別の世界、そして人間たち。いったいそこはどんな世界で、どんな人たちが住んでるんだろうって。だからわたしは色々な研究をして、無数の失敗を繰り返して、その末にようやく他の世界を覗き見ることに成功したの」
未来は過ぎ去りし日々を見つめるような、そんな遠い目で語りつづける。
「驚いたわ。そこは、こことよく似た世界で、日本という名で呼ばれていて、この世界のものと、まるで変わらぬ人間たちが暮らしていて……。そして――」
未来は昴へと視線を向けると、壮絶な笑みを浮かべた。
「――どこもかしこも腐っていた」
背筋が凍りつくような寒気を覚える。未来の瞳には世界すべてに対する底知れぬ憎悪が宿っているかのようだった。
しかし、それとは異質な、むしろ穏やかな口調で未来は言葉を紡ぐ。
「それでね、その腐った世界の歴史を調べていて気づいたのよ。この世界も多少の差異はあれ、それらの世界とよく似た歴史をたどっていることに」
「だから……どうした?」
昴と柳崎は武器を杖代わりにして、なんとか身を起こす。
「わたし、この世界が好きなの」
未来は屋上から見える町並みに視線を移した。瞬くのを止めた写真のような夜景ではあるが、町を彩る灯りはどこか幻想的で美しい。
「でもね、だからこそ許せないの」
未来は天を仰ぐように見つめる。
「わたしの愛するこの世界が――どうしようもなく愚かで醜い人間たちに食いつぶされるのが」
言葉は淡々としていたが、それだけに彼女の心の闇の深さを感じさせる。
「勝手に決めつけるな! 他の世界はどうだか知らねえが、この世界はそうはならねえ!」
柳崎はふらつく体で無理やり立ちあがると、未来に指を突きつけて叫んだ。
しかし未来はバカにするような視線を彼に向ける。
「勝手に決めたわけじゃないわ。世界の流れを見ていればわかるのよ。確かに
未来は「おわかり?」とでも言いたげな表情で柳崎を見つめた。
これに対して柳崎は、
「えーと……とにかく、おまえは間違っている!」
と、言うのがやっとだった。そもそも理性ではなく、感性で行動するタイプの男だ。難しい話は苦手である。
「論理的に言ってちょうだい」
「ろ、論理? ――そ、それはそのなんだ……つまり、そんなのは正義じゃないんだ!」
とりあえずは勇ましく言い放った。
「対話にさえなってないわね」
冷たく切り捨てる未来。柳崎は思わずよろめいている。
そこに、とまどったような表情を浮かべた鋼鉄姉妹が、空からゆっくりと舞い降りてきた。
「怪獣はどこ?」
鉄奈は不思議そうに周囲をキョロキョロと見回している。そして祭壇に横たえられた由布子の姿を見つけてぎょっとした。
「由布子さん!」
「ヘタにさわると壊れるわよ」
由布子に近づこうとする鋼鉄姉妹に、未来が怖ろしい言葉を投げかけた。
実を言えば、それはただのハッタリで、仮に由布子を取り返されたところで、すでに発動した魔術はキャンセルする術もなく、未来にとってはさほど問題ではなかった。
それでも未来は、もうしばらくの間、昴と話を続けたかったのだ。
「未来……由布子になにをしたんだ?」
「だから彼女は〝天使〟なのよ」
未来は、またもやその言葉を口にする。
「さっき宇宙樹の話をしたでしょ。わたしたちの世界は一枚の葉に過ぎない。そして実際の植物がそうであるように、この宇宙樹の葉も病に冒されることがあるのよ。そうなったとき、いったい何が起きると思う?」
未来は意地の悪い笑みを浮かべる。
「何が起きるって言うんだ?」
「病気っていうのはね、感染するものなの。だから一枚の葉が病気になれば、他の葉を守るためにも、その病気の葉を摘み取ってしまう必要があるの。そして世界にとっての病気とは、そこに存在する知的生命体の精神の荒廃に他ならない。だからそうなったときに備えて、世界には自壊プログラムのようなものが存在しているのよ」
未来のその言葉に応えるかのように、それまで無秩序に噴出しているように見えていた光が、空中で何かの姿をかたどり始めた。
「なっ……!?」
目を丸くする鉄奈たち。
「あれは……!」
昴も驚いてそれを見上げる。
「そう、あれこそが、世界の自壊プログラム――神の代行者とも呼ぶべき無敵の存在。その名も“神獣”よ」
傲然と告げる未来。
昴は鋼鉄姉妹の話を思い出していた。
神獣――それは彼女たちの故郷をたった一体で滅ぼしたとされる最凶最悪の巨獣だ。
そんなものがこの世界にまで現れるなど信じがたい話だが、鋼鉄姉妹の表情を見る限り、未来の言葉は事実のようだ。
未来が指し示すその先で、それはすでに実体化をはじめている。
どこか直立する肉食恐竜を思わせるフォルム。しかし、その体は有機的ではなく鋼鉄の鎧のようにも見える。背には四枚の羽根を持ち、身の丈は三階建ての校舎の優に二倍はあると思えた。もし地上で実体化していたなら、それだけで昴たちは押し潰されてしまっていただろう。
「ちょっと待て! 俺たちの世界は断じて腐ってねえぞ! 少なくとも、まだ腐りきってはいねえ!」
柳崎が声を荒げる。その指摘に未来は邪な笑みを浮かべて答えた。
「だから天使が必要だったのよ」
「どういう意味だ!?」
「世界を無意識レベルで監視し、その情報を常に神獣へと送りつづける存在。それが天使なの。生まれながらに純粋な魂を持ち、神獣を喚び出す資格を持つ極めて希な存在なのよ」
未来の言葉に、昴は驚いて由布子を見つめた。
由布子は白い光に包まれたまま、どこか悲しげな表情を浮かべて眠り続けている。
「つ、つまり――高月由布子が俺たちの世界にダメ出しをしたって言うのか!?」
柳崎が焦ったように声をあげる。
「いいえ、それをやったのはわたしよ。彼女という端末を利用してニセの情報を神獣に送ったの――魔術でね」
未来は妖しく笑って、由布子の頬に描かれたラインを指でそっとなぞった。
「やめろ」
昴の声は静かだったが、そこには有無を言わせぬ威圧感があった。
「……っ」
未来は気圧されたかのように息を呑み、由布子から一歩脇へと退く。昴はゆっくりとその横を通り抜け、由布子の元へと歩み寄った。
「由布子……」
愛おしげに彼女の横顔を見つめる。そして自らのマントを外すと、それで彼女の体を包み込み、そっと抱え上げた。
「ムダよ、彼女は間もなく消える。あの神獣の最後のパーツとして組み込まれ、あれは完全なる実体化を果たすのよ! そして世界は終わる! 汚れた未来は永遠に訪れることはないのよ!」
再びその表情に狂気の色を滲ませながら未来が叫ぶ。その背後で……
「もう完全に実体化しちゃってるよ」
鉄奈が不機嫌な声で断言した。
「なっ……!?」
愕然と空を見上げる未来。鉄奈の指摘は正しかった。それはどう見ても、すでに完全な実体化を終え、悠然と虚空に浮かんでいる。
「そんなっ!?」
未来は長い髪を振り乱しながら慌てたように由布子に視線を戻す。
由布子を包んでいた白い光は完全に消失し、それとともに体に描かれた紋様もすべて消え失せていた。それは未来のかけた術が、すべての効力を発揮し終えた証でもあった。
「あり得ない。これじゃあ、神獣は本来の力を……発揮できない」
未来は由布子を見つめたまま、放心したかのように立ち尽くした。
「どうやら、大失敗だったみたいだね」
鉄奈はにんまりと笑った。
「笑ってる場合じゃないわ――すぐに、やっつけないと!」
鋼が我に返ったように言うと、柳崎が特撮ドラマの司令官よろしく大仰なポーズで神獣を指差した。
「よし、ゆけ鋼鉄姉妹!」
「まかせて!」
鉄奈は答え、鋼は頷き、ふたりは同時に大地を蹴りつけることもなく空に浮かび上がると、次の瞬間には閃光のように加速して神獣へと突っ込んでいった。
「昴……」
ふいに空を見上げていた昴の腕の中で、か細い声が聞こえた。
「由布子!」
弾かれたように視線を移す。由布子が、はにかんだような笑顔を浮かべて彼を見つめていた。
「由布子――気がついたのか」
「……気がついたっていうか……少し前から意識はあったの……動けなかっただけで」
彼女は恥ずかしそうにマントの前を閉じ合わせながら、なんとかひとりで身を起こそうとする。
「おい?」
「……大丈夫」
由布子は意外にしっかりした足取りで立ちあがると、いつもの笑顔を見せた。昴はようやくほっとして肩で息をつく。
「ありがとう、昴」
「礼を言うのはまだ早いぜ。とりあえず鋼鉄姉妹が、アレをなんとかしないと終わったことにはならない」
昴の言葉に由布子も空を見上げた。
いつの間にか空中には鋼鉄姉妹によって張られた結界代わりの巨大なバリアが浮かび、その内部が彼女たちと神獣の決戦の場となっているようだ。
神獣は湯水のごとくアイテールを放出する存在だ。それをエネルギー源として扱う鋼鉄姉妹は、まさしく水を得た魚のように、その超破壊能力を発揮して、みるみるうちに神獣の体を打ち砕いていった。
「すげえっ!」
感嘆の声をあげる柳崎。
「な、なんて力よ……」
未来もまた驚きの声をあげている。彼女とて、ふたりの超能力者にこれほどの力があるとは、夢にも思わなかったのだろう。
たとえ儀式が成功していたところで、あのふたりがいる限り、彼女の計画は最初から成功するわけがなかったのだ。
それを自覚したとき、未来は今さらながらに自らの浅はかさを呪い、粉々に砕け散っていく神獣の哀れな姿を、茫然と見つめることしかできなかった。
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