第3話 学園長は制服マニア
ホームルーム前の二年D組の教室はいつもどおり賑やかだ。
四月になり、学年が上がって間もない時期だが、この学校は基本的にクラス替えがなく、クラスメイトの大半は気心の知れたものばかりだ。
級友たちと適当に挨拶を交わしつつ、窓際最後尾に位置する自分の席まで歩くと、みんなが特等席と呼ぶ割りには、別段座り心地のよろしくない量産型のイスに座る。
「オッス、昴」
聞き慣れた脳天気な声に顔を向けると、クラスメイトの
そのまま前の席へと歩いてくると、他人のイスを勝手に引き出し、我が物顔で後ろ向きにどっかと腰を下ろす。
「なあ、昨日のテレビ見たか?」
「俺がテレビをろくに見ないことは知ってるだろ」
苦笑しつつ昴が言う。
「昨日はニュースも見てないから、俺が言えるのはせいぜい相変わらず四角かったってことぐらいさ」
「まあ、五角形だったら困るしな」
月見里は軽薄気味にケラケラと笑ったが、次の瞬間、なぜか考え込むような表情になる。
「いや、待てよ……テレビだっていつまでもいまの形をしているとは限らない……いや、むしろ進化するのが当然だ。ダーウィンもそう言っている。――となれば、画面が五角形になるというのもあり得ない話ではないぞ」
「いや、五角形はないだろ? ダーウィンも言ってねえし」
「いや、あり得るね。賭けてもいい、テレビはいずれその画面を五角形に進化させるだろう! ――進化するとしたら五角形しかあり得ない!」
なぜか自信タップリに断言してくる。ちなみにハイビジョン映像対応テレビは、この時代にはまだ登場していない。
「――て、何書いてんだ昴?」
「誓約書だ」
昴はノートを適当に千切って、彼のいい加減な発言に対する、適当な誓約書を作成していた。
「いいのか、昴? テレビが五角形になったら金を払うのはおまえなんだぜ」
「期限は十年、掛け金は五万でいいか?」
「…………」
月見里は沈黙した。だが数秒後、自棄になったようにまくし立てる。
「上等だ! どーんと四万五千円賭けてやるぜ! 俺には確信があるんだ! ただし、十二年待ってくれ!」
「微妙にセコイ確信だな」
「はっ、どうせ払うのはおまえだ」
「じゃあ、十万でいいな」
あんぐりと口を開けて絶句している月見里には目もくれず、昴は誓約書に十万円と書き込んだ。
「くそーっ! 人の情けを無視しやがって。あとでほえ面かくなよ。こうなったら電気屋に就職して、テレビ職人になってやる!」
「いや、電気屋に就職してもテレビは作れんと思うが」
「いや、努力と根性だ! それさえあればどんな夢だって叶えられる! 水泳部に入って甲子園で相撲をとることだって可能だ!」
「いや、無理だろ」
もちろん誓約書の話を含めて、すべてがいつもの冗談だ。こんなバカ話で盛り上がれるのも若者の特権というものだろう。
「それはそうとして、いいのか? 月見里」
「何が?」
「そこ、由布子の席だぞ」
「来たらどくって」
「いや、あいつはおまえを細菌扱いしてるから、鉄拳制裁をくらうと思うが?」
「俺が女にビビると思うのか?」
余裕の笑みを浮かべる月見里。昴はあっさり肯定した。
「ああ」
「あんまり俺をなめてくれるなよ」
月見里はフッと笑ってみせると、すっと席を立ち、キョロキョロ周囲を見回してから、こそこそと昴の隣へ移動する。
「ヘタレ」
「違うっ! 俺は平和主義者だから現地民族との無用な紛争をさけただけなのだ!」
芝居がかった口調で力説する月見里を苦笑気味に見ていた昴だったが、ふと思いついて、以前から気になっていたことを口にしてみた。
「しかし、おまえも落ち着かないヤツだな」
「何がだよ?」
「制服だよ。昨日は学ランだったろ?」
今日の月見里はブレザーを着用している。
「まあな」
月見里は前髪をかき上げて、またもやフッと笑った。やや垂れ目気味の彼は顔の造形もスタイルも悪くないのだが、こういうときは、なぜか様になってない。
しかし、昴はああ言ったものの、この学園において、それは奇行というほどのものではなかった。
いったい誰の発案なのか、この学園では男女ともにあらかじめ二タイプの制服が用意されいて、男子ならば詰め襟かブレザー、女子ならばセーラー服かブレザーのどちらか好きなほうを着用すればいいという規定になっているからだ。
これに関しては、個性を重視する学園ならではの規定という説もあれば、単に学園長が制服マニアなのだという極めて有力な説もある。
「だいたい、せっかく二タイプの制服があるんだから、両方着なきゃ損だろ? オシャレは大事だぜ。女の子にモテたかったらな」
「いや……制服ごときでオシャレとか言われてもなぁ」
答える昴は夏冬ともにブレザーの制服しか持っていない。詰め襟はなんとなくダサイというのが彼の心証だ。
しかし、月見里はこう見えて意外にモテるらしく、何度か女連れで歩いている姿を、目撃したことがある。しかも連れている相手はその時々でまちまちだった。そんな彼が言うのだから、まるっきり的はずれな意見ではないのかもしれないが、制服ごときにムダな金をかけたくないというのが昴の本音だ。
「ところで昴。今夜、おまえの家に行ってもいいか?」
「ああ。正確には俺の家じゃないけどな」
こう答えたのには当然ながら理由がある。昴は八才の頃から遠い親戚にあたる幼なじみの家に居候中だからだ。両親は仕事で海外を飛び回っていて、もう随分と会っていない。おかげでたびたびその存在を忘れてしまうほどだ。いや、実在を疑いかけていると言ってもいい。
「けどなにか用があるのか? まともな用事じゃないなら却下だぞ。いまはおじさんたちが留守だしな」
現在家主とその夫人は、海外旅行中だ。
しかし、だからこそハメを外すのではなく、留守を、しっかり守るのが日頃お世話になっている彼らへの恩返しであり、自分の務めなのだと昴は思っている。
実際、昴は居候先の家族には非常に感謝している。
誕生日にさえ顔を見せたことのない、勤勉なのかズボラなのか判断のつかない両親に代わって、彼らは本当に良くしてくれてる。お陰で授業参観でも運動会でも寂しい思いをしたことはなく、誕生日も我が子同然に祝ってもらっていた。
「……そのおじさん達への恩に報いるためにも、きさまのような悪童は、一歩たりとも家に入れることはできん!」
立ちあがるなり、ビシッと月見里に指を突きつける。
「待て……。どんな思考の変遷があったのかは知らねえが、なんで俺がいきなり悪者になっているんだ?」
「――なってるも何も、昔っからあんたは悪者でしょ」
涼やかな声で発せられた、その切って捨てるような台詞は、月見里の背後から聞こえてきた。
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