第43話 彼のはちょっと違うから

 授業がない時間だと、特別棟はこんなにも静かなのか。

 4限目の終わりに教師に呼び止められたアーロンは、早足で教室に向かっていた。


「……アイツ話長ぇ。マジ意味わかんねぇ。」


 10分ほど話を聞いていた気がする。貴重な昼休みを無駄にしないでほしい。

 4限目は特別棟で授業を受けている者が多いが、皆とっくに普通棟に帰ったようだ。

 静まり返った廊下を進んでいると、曲がり角から飛び出してきた男子生徒とぶつかりかけた。


「っぶね!?」


 アーロンが驚いて声をあげるが、男子生徒は無視して行ってしまった。

 あまり見たことない顔なので、同級生ではないだろう。

 雰囲気からして4年生な気がするが、思いっきり睨んでしまった。

 まあ、あっちの態度も悪かったのだからいいだろう。

 そう思いながら角を曲がると、廊下の隅に蹲っている者がいた。


「……どした?」


「別に。」


 アーロンが声をかけると、その人物は顔を伏せたまま短く答える。

 顔は見えないが、長い銀髪を持つ彼女はブレアだとすぐにわかった。


「さっきのやつに何かされたとか?」


 アーロンが聞いても、ブレアは何も答えない。


「どうせ告られたとかだろ。ルークがあんだけアピってんのに、横入りしようとするヤツいんだな。」


「そっか。最近ないなと思ったら、彼のおかげだったんだ。」


 どうせブレアもこれから教室に戻るのだろう。

 放って行くのもな……と思ったアーロンは、ブレアの隣で壁にもたれかかる。

「大丈夫そ?」と問いかけると、ブレアが少しだけ動いた。


「無理……気持ち悪い。」


「立てねえくらいなの?嫌悪感だけでそんななる?」


「なるよ……。」


 ブレアの返答を聞いたアーロンは少し考え込み、横目でブレアを見た。


「やっぱお前、結構ルークのこと気に入ってんのな。」


「……何で。」


 アーロンはブレアからは見えないとわかっているのに頷く。

 否定はしないんだな、と思いながら続けた。


「アイツにはもっと好き好き言われてんのに、平気そうじゃん。」


「……彼のはちょっと違うから、平気なの。気持ち悪くないんだ。」


 ブレアにとっては、好意を向けられること自体が気持ち悪いことらしい。

 好意を向けられることが嫌なのにこのルックスなのだから、運がいいのか悪いのかわからない。


 ブレアが少しだけ顔を上げたのを見て、アーロンは「へぇー。」と大袈裟に言いながらニヤリと笑った。


「アイツは平気なんだ?それってー、もしかしてぇ〜ルークのこと好きだったりしてー?」


「は?そんなわけないでしょ!?キモいこと言わないでよ殺そうか?」


「怖ぇよ。」


 アーロンが言った瞬間勢いよく顔を上げたブレアは、アーロンを鋭く睨んだ。

 睨まれたアーロンは声をあげて笑っている。

 怖いと言いつつも全然怖がっているようには見えない。


「アイツもお前も、どこがいんだかなー、見る目なくね?」


「だから好きじゃないってば。それに見る目ないってどういうことかな。」


 不服そうに否定してくるブレアに、アーロンは呆れたような目を向けた。

 ルークの見る目がない=自分がよくないと解釈して、ブレアは怒っているようだ。


「お前顔だけじゃん。」


「顔が好みの女子を顔で釣ってる人に言われたくない。」


 冷ややかな目を向けられたアーロンは気まずそうに目を逸らした。


「うるせぇ、オレは顔以外もいいからいいんだよ!」


「納得いかないなあ。」


 ブレアは不満そうだが、アーロンは気にしないことにする。

 壁から背を離すと、ブレアの前に立って手を差し出した。


「んなこと言ってる間に気ぃ紛れたろ?教室戻ろうぜ。」


「……確かに、もう平気みたいだ。手はいらない。」


 ブレアは拒否するが、アーロンは腕を掴んでブレアを立たせる。


「触らないでよ。」


「お前が潔癖だから腕掴んだんだろうが。素手触られるよりいいだろ。」


 ブレアに睨まれたアーロンは呆れ顔で手を離す。

 立ち上がったブレアはスカートについた埃を祓った。


「君って案外優しいよね。」


 歩き出したブレアが言うと、隣に並んだアーロンは得意気に笑う。


「だろ?これが顔だけじゃない男なんだわ。惚れんなよーなんてな。」


「うわぁ、気持ち悪い、寒気がした。」


「冗談に決まってんだろドン引きすんな。オレが可哀想だろうが。」


 ブレアは嫌そうに両腕をさする。

 アーロンが顔を顰めると、ブレアはクスリと笑った。


「わかってるから。そっちだって本気にしないでよ。」


 ブレアも冗談だったと言いたいのだろうが、全然冗談に見えなかった。

 アーロンが疑いの目を向けていると、ブレアは「ところで、」と話を変えた。


「君はどうして特別棟にいたのかな。授業が終わってからかなり経ってたと思うんだけど。」


 ブレアに聞かれたアーロンは嫌なことを思い出した……と眉を寄せた。

 額に手を当てて溜息をつくアーロンに、ブレアは不思議そうに首を傾げた。


「説教。生物の先生年寄りだから頭硬えんだよな。」


「君が怒られるようなことしたんじゃないの?」


「してねえよ。オレ結構真面目だからな?」


 ブレアは呆れたように「じゃあ何で怒られたの。」と聞く。

 アーロンは親指を立てて自分の体を指差した。


「……パーカーの色が派手でよくないって。」


「赤ダメなの?去年もそれ着てなかったっけ。」


「去年はもっと暗い赤のヤツだったよ。全然違ぇだろ。」


 そんなこと言われてもブレアには違いがわからない。

 というかどんな服装だったかなど覚えていない。


「いうて派手じゃなくね?てか校則に派手な色駄目って書いてねえじゃん。」


「君赤好きだね。髪も赤くしてる部分あるし。」


「似合うだろ?」とキメ顔で言うアーロンにブレアは冷ややかな目を向ける。

 こっちだって冗談で言っているのだから、冗談でもいいから

 何か言ってほしい。


「そう、パーカーついでに髪色とピアスも怒られたんだよ。マジで意味わかんねえ……!」


 顔を顰めたアーロンは耳を飾っている沢山のピアスを指先で弄る。

 ピアスは校則で禁止されているわけではないが、限度というものがあるのではないだろうか。


「怒られるのが嫌なら、そんな格好しなきゃいいのに。」


「それは譲れねぇな!」


 ブレアは呆れたように飾りだらけの耳を見る。

 ぱっと見ただけじゃ数えられないが、一体何個ついているのだろうか。


「開けすぎじゃない?何個開いてるの?」


「開けたいなーと思った時にバチバチ増やしてっからわからんわ……。因みに舌も開いてる。」


 アーロンが舌を出すとブレアはうわぁと顔を歪める。

 舌の中心に丸い金属が光っているが、ブレアには何がいいのかわからない。

 感想があるとすれば「痛そう」のみだ。


「その棒みたいなやつとかどうなってるの。」


「インダストリアルバーベルな。2個の穴貫通させてんだよ。」


「イン……?ごめんわかんない。」


 再び耳に目を向けたブレは、無駄に長い名前だな、と首を傾げる。

 ピアスはピアスじゃないのか。


「興味あんの?開けてやろうか?」


「いらない。痛くないのかなって思っただけ。」


 ブレアの顔は心底嫌そうで、興味があるようには見えない。

 わざわざ痛い思いしてまでお洒落したいか?と思っているようだ。


「人によんじゃね?オレは痛くねえかな。」


「格好つけちゃ駄目だよ兄貴。ピアス開けた時めちゃくちゃ泣いてたじゃん。」


「うおっビビった……。どうしたんだよんなとこで。」


 突然後ろから声をかけられ、足を止めたアーロンは飛び退くように振り返る。

 ブレアは気がついていたようで、そんなに驚くことかと呆れている。

 もう3ーSの教室の前まで戻ってきたが、それでもヘンリーがいるのは不思議だ。


「兄貴が遅いから、また3年の教室でルークくんが何かしてるのかなと思って様子見に来た。ユーリー先輩、兄貴ピアス開ける直前は怖いって泣いて、開けた後も痛いってずっと泣いてたんですよ。」


「へぇ、泣くほど嫌なのにいっぱい開けてるの?面白いね。」


 ブレアがニヤリと少しだけ口角を上げると、アーロンは顔を真っ赤にして「違ぇ!」と大きな声を出す。


「それ初めて開けた時!何年前の話だよ!?今はヨユーだからな!」


「何言ってんの。開ける時いっつも涙目じゃん。」


「うるせぇ!あれは……そう、細かいとこ見るから目が死んでんの!」


 必死で否定するアーロンを、ヘンリーとブレアは「本当かなぁ?」と笑いながら見ている。

 そんな目で見るな!とアーロンは目を逸らした。

 アーロンが逃げるように教室に入ろうとすると、ガラガラと内側からドアが開く。


「おお、ルークじゃん。」


「俺を仲間外れにしないでください!」


 教室でブレアが帰ってくるのを待っていたルークは寂しそうな顔でアーロンに抗議する。

 ヘンリーまでいる……と一同を見回したルークは、ブレアの姿を見て目を丸くした。


「えぇ……何。」


 上から下まで目線を向けられたブレアは眉を寄せて1歩後ずさる。

 真剣な表情でブレアを見ていたルークは、重々しく口を開いた。


「先輩、衣替えですかめちゃくちゃ可愛いですえっちですね……!」


「え、キモい……。」


 ドン引きしたブレアは、そっとヘンリーの後ろに隠れた。

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