第29話 君が食べさせてよ

 顔を赤く染めたルークがなんと答えるのか、ブレアは少し楽しみにしながら返事を待っている。

 考えていたのか数秒固まっていたルークは堅い口を開いた。


「……すみませんよく聞こえませんでした。」


「絶対聞こえてたでしょ。」


 片言口調で言うルークにブレアは即座にツッコむ。

 この距離で聞こえない程小さな声では言っていないし、そもそも聞こえていなかったらこんな反応しないだろう。


「いえ、聞き間違いが都合の良い幻聴だと思うのでもう一回お願いします。」


 落ち着いた口調のルークに呆れながらも、ブレアはもう一度条件を口にする。


「だから、食べてほしいなら君が食べさせてよって言ったんだよ。」


「えっ聞き間違いじゃないんですか……?」


 ルークは丸くなった目をぱちぱちと瞬いたり、頬をつねったりしている。

 聞き間違いでも幻聴でもないなら、何かの勘違いだろうか。

 もしくは何かルークの知らない別の意味があったりするのだろうか。


「えっと、それはどういう意味で言ってますか?」


「どういうって、そのままの意味だけど。」


 挙動不審になっているルークをブレアは訝しんでいる。

 ルークは赤くなった顔を更に赤くして固まっている。

 そのままの意味とはどういう意味だろうか。


(俺が、先輩に、あーんをするということであってるのか??)


 そんなこと夢でも妄想の中でもしたことがない。

 しかもブレアからの要求で、だ。

 このシチュエーション、まるで――


「先輩、俺達付き合ってました?」


「は?そんなわけないでしょ。友達でしょ?」


 まるで、恋人同士のようではないか。

 キッパリと否定されたのは少し辛いが、ここで『助手』ではなく『友達』と言ってくれるあたり、案外ブレアもルークのことを好いていてくれるのかもしれない。

 不快そうに眉を寄せるブレアの顔が、今この状況が夢でも幻でもないことを物語っている。


(喜んでしてくれると思ってたけど、意外と渋るんだ。)


 目を泳がせているルークの様子に、ブレアはこてんと首を傾げた。


「嫌なの?」


「い、嫌じゃないです。畏れ多いと言いますか、むしろ嬉しすぎて混乱すると言いますか……。」


 今にも目を回してしまいそうなルークの方を向いて、ブレアはあ。と口を開けた。


「ほ、本当にやるんですか?」


「君が食べなくて良いって言うなら、しないけど。」


「やります。」


 即答したルークは体ごとブレアの方を向いた。

 早く食べてもらいたい気持ちもあるのだが、つい手も動かさずブレアに見入ってしまう。

 小さな口を頑張って大きく開いている姿が愛おしい。

 口を開くと目が閉じてしまうのは癖なのだろうか。

 目と口が連動しているみたいで可愛い。


(……やばい、キスしたい……。)


 率直に言うと、ルークは物凄く興奮している。

 目を閉じてこちらを見上げている姿が、キス待ち顔に見える。

 自分に好意を向けている男の前で目を閉じて待ちの姿勢に入るのは少々無防備なのではないか。

 ルークが意識しすぎているからそう感じるだけだろうか。

 肌荒れのひとつもない艶やかな肌に触れたら、開いている小さな口を自分の口で塞いだらどうだろうかと、どうしても考えてしまう。


 ルークが一向に動かないからか、ブレアの目がゆっくりと開いた。

 本人に自覚があるのかは分からないが、それに合わせて口が閉じるのがやっぱり可愛い。


「時間の無駄だから早くしてくれないかな……何その顔。」


「己の欲望を抑えている顔です。」


 勝手に緩む口元をキツく引き結んだルークの顔はかなり面白い。

「よく分からないけど早くしてよ。」と急かしたブレアは再び目を閉じて口を開ける。

 椅子に手をついて少し前のめりになったブレアの顔が一気に近づいて来て、ルークの鼓動が更に煩くなる。

 時間差で耳にかけていた銀色の長髪がさらりと落ちて来た。

 髪触りたいな、撫でたいな、と新たに浮上した煩悩を振り払うべくぶんぶんと首を横に振る。


「……まだ?」


「すみません!」


 目を閉じたままのブレアに急かされ、ルークはようやくピックを掴む。

 レタスやハム、チーズなど様々な具材を挟んだサンドイッチはとても美味しそうで、我ながら上出来だと思う。

 緊張で堅くなっている腕を動かし、サンドイッチをブレアの口元に持っていく。

 近づけてもブレアは動かない。そっと口の中に入れてみる。

 するとブレアの口が閉まったので、すかさずピックを抜き取った。


(指が、唇に、当たるかと、思った!!)


 ルークはばくばくと煩く鳴っている心臓を抑える。

 こうなるならピックをもっと長い物にしておけばよかった。

 いや、むしろもっと短い物にするべきだったかもしれない。

 ルークのドキドキを露ほども知らないブレアはマイペースにゆっくりと咀嚼している。


「どうですか……?」


 ルークにじっと見つめられたブレアは居心地が悪そうにしながらも口内のものを飲み込む。

 そして、無表情のまま首を傾げた。


「……美味しい。多分。」


「多分!?」


 大きな声でルークが聞き返すとブレアは煩そうに耳を塞ぐ。

 多分とはどう言うことだろうか。本当は美味しくないのに気を遣っているのだろうか。


「紅茶とゼリー以外で味のついたもの食べるの久しぶりだから分からない。」


「つまりまともな味のついた物を食べるのが久しぶりだと。」


「紅茶もまともだよ?」


 ブレアはこう言っているが、大量の砂糖が入った紅茶はまともな味だと言えるのだろうか。

 この間ブレアと同じだけ砂糖を入れて飲んでみたが、同じ紅茶とは思えない味がした。

 あれだけ甘くするならジュース等元々甘い物を飲めば良いのにと思う。


「あれは最早紅茶じゃないです先輩。どうぞもっと食べてください。」


「いらない。」


 2切れ目を食べてもらおうとルークが手に取ると、ブレアは本を読み始めてしまう。


「駄目です、ちゃんと全部食べてください。栄養不足で死にますよ!?」


 厳しい口調でルークが言うと、ブレアは再びルークの方を見て、呆れたように眉を寄せた。


「大袈裟だなあ。君、お母さんみたいだね。」


「俺がお母さんだったらもっと早くに食育してます。先輩お母さんって呼んでるんですか?可愛いですね!」


「……今は呼んでない。」


 キュンとしたルークが指摘するとブレアは少し頬を赤らめて俯いた。

 ルークとしては母親より彼氏になりたいのだが、『お母さん』と呼ぶのは少々意外で可愛らしい。

 ルークが「口開けてください。」と言うとブレアは嫌そうにしながらもまた口を開けてくれた。


 一口食べるごとにブレアが次を拒否するため、結局ブレアが半分ほど食べ終えたところで昼休みが終わってしまった。

 5限と6限の間に嬉しそうに残り半分と自分の分の弁当を食べているルークを目撃したヘンリーはかなり引いていた。

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