幼い夏

カフか

幼い夏

夏の始まりはいつからなのかと誰かが問いかけ、秀才な答えを一つのツリーに皆挙って飾りだした。

私はというと姉夫婦の都合で預けられた夏休み真っただ中の子供のお守が始まりだった。

姉とその旦那さんは同じ仕事をしており、急遽夫婦そろってニューヨークへ出張しなければいけなくなった。

まだ小学三年生の治人くんは海外へ行く不安が強く、普通なら祖母の家に預けられるような事情だった。

ただ姉と私の母親は四、五年前に離婚しており、昨年イタリアへの永久移住権をとって今は日本にいない。

そこで東京に住む私の家で預かってもらえないかという電話が五日前にかかってきた。

私は今在宅ワークをしており、ほとんど家にいるので断る理由もなく渋々引き受けた。


子供が苦手な私は内心結婚して子供ができたら覚えてろよという気持ちだったが、

正直アットホームでフレンドリーな姉のところなら何も堪えないようなことなのだろうと思惑は一瞬で屈折した。


猛暑で殺菌効果の高そうな中ベランダで自分の布団と客人用の布団を干しながら治人くんのことを思い出す。

お正月に姉夫婦の家に行き、パソコンからリモートで母とビデオ通話したのが一年前だ。

治人くんは母、つまり祖母にあたる人と少し話した後はみかんを食べながら剝いた皮をちぎって口にいれげほげほと咽ていた。

姉はとんとんと背中を擦り母の生活状況を熱心に聞いていた。彼女もいつか海外に住みたいらしい。


少し生意気そうな顔をして、でも子供なりに礼儀正しくて憎めないやつだった。

嫌いなわけではないが真正面から向き合うということになるとやはり苦手だ。どうしていいか分からない。

だしたご飯を嫌とはねのけられたらどうしよう。色んな引き出しを勝手に開けられてお気に入りの下着を冷やかされたらどうしよう。


いや一番は姉を求めて泣き出したらどうしよう。


預かる期間は約一か月。

夏休みが明ける二、三日前には帰国すると言っていたので意外とあっという間かもしれない。

十一時にはこちらに着くと言っていたので今のうちに洗濯やら掃除やらを済ませておく。

昨日スーパーに買い出しに行った際には治人くんが好きだと姉から聞いたチョコポッキーをかごに入れ、今ジュースと一緒に冷蔵庫でキンキンに冷やしている。


掃除機でがーっと簡単に床を綺麗にし、見られるとまずいものは全部タンスの一番上にいれた。

一年前の治人くんは私の腰より少し下に頭があった。

172㎝ある私は部屋の家具も一般より少し長身に作られているものばかりなので、この”シークレット棚”に届くことはあるまい。

入っているのは日記と通帳印鑑、少しセクシーな下着が数枚くらい。

こんな対策を小学生相手にしている事実がわずかに恥ずかしかったが、念には念をいれなければ。うむ、大事なことだ。


タンスの前で頷いているとインターホンが鳴った。

ドアモニターを見ると夏らしいタンクトップをフォーマルに着こなしている姉の姿が見えた。

「ごめん百代、時間なくてこのまま空港向かっちゃうから治人だけいれてあげてもらっていい?」

「え、ちょっと待ってよ。なにがどうとか全然聞いてないよ。」

通話ボタンを押しながらお互いに忙しなく言葉を交わす。久々に会うのが画面越しって・・・。

「なにかあればすぐメッセージ送ってくれれば返すから!ほら、治人も隠れてないでよろしくお願いしますって言いなさい。」

そういえば先ほどから治人くんの姿が見えなかったが姉の後ろに隠れていたようだ。

ひょこっと出てきた治人くんは

「百代ちゃん、おねがいします。」

と言ってお辞儀をし小さなキャリーケースをぎゅっと掴んでいた。

はあ、と額に手をあて

「わかった。じゃあすぐメッセージ送る。治人くんはドアが開いたら入っておいでね。エレベーターの前で待ってて。」

ボタンを操作する。

「ありがと、一か月よろしくね。お土産楽しみにしてて!」

「ギャレットポップコーンとかだったらお姉ちゃんの家にぶちまけるからね。」

はーいと愉快そうに笑う姉が外のドアへ向かう一瞬、なにか治人くんくらい大きなものが見えた気がしたがモニターをすぐ切ってエレベーターに向かった。


一階に着くと治人くんがブルーのキャリーケース片手に待っていた。

「お疲れ様、荷物重かったでしょ。」

「ううん、タクシーで来たから。」

「あ、そっか。」

じゃあ部屋まで行こうかと肩に手を回そうとしたとき彼の背後に四つの棒が正方形の形をして生えているのが見えた。

覗き込むとそれは植木鉢だった。

「これ、どうしたの?」

「小学校の宿題。一緒にいないと観察できないから持ってきた。」

キャリーケースよりも濃いブルーの植木鉢には黄色い棒が四つ刺さっており、大方朝顔だろうなと見当がついた。

土には虫が寄ってくるんだよなあとげんなりしたが宿題ならば仕方ない。勉学の邪魔をするのはよくない。

ベランダは洗濯物を干すときに使うサンダルしかない。スペースは十分にあるし日当たりもいいからそこを使わせるか。

「よし、植木鉢は私が持ってあげる。治人くんは六階のボタン押してくれるかな。」

治人くんは頷いてボタンを押した。一階で止まったままのエレベーターの扉はすぐ開き私たちは荷物を持って乗り込んだ。


鍵はかけていなかったのでドアを開けてすぐ玄関にはいってもらった。

彼はしゃがみ込んで脱いだ靴を揃えた。キャリーケースは玄関に置き、植木鉢をベランダに移した。

「ここ陽がすごくあたっていいね。」

と治人くんは言った。

「そうだね洗濯物がよく乾くかな。でもお姉ちゃ・・・お母さんの家は一軒家でしょ?そっちのほうが申し分ないと思うけど。」

「もうしぶん?」

「えっと、治人くん家のほうが日当たりいいんじゃない?」

自分の家を思い出して考え込んでいるのか一丁前に顎に手をあてている。

「僕の家日陰のほうが多いんだ。パパとママ暑がりだからそういうせっけいにしてもらったんだって。

去年チューリップを宿題で育てたんだ。休み明けに学校に持っていったら僕のが一番小さかった。」

悔しそうな顔をしたと思ったらたちまち無邪気な表情に変わって

「でも今年は一番大きい朝顔が咲きそう!」

と笑って治人くんは言った。


ポッキーやジュースを囲んで色々話していたらもう十二時になっていた。

私のお腹が鳴ると治人くんはそれより大きくお腹を鳴らしていた。

今日も暑い。夏の昼間はほとんど素麺しか食べない。

私は同じものを毎日食べられるが治人くんは飽いてしまうだろうとおもいレトルトカレーと素麺を一応選択肢としてだした。

治人くんは意外にも素麺を選んだ。

「嫌いなものはない?」

「うーんと、オートミールと玄米が嫌い。」

「いいね、ジャンキーにいこう。」

私は普段よく素麺にオクラとトマトを添えて一応健康色をだしている。

ちょうど昨日半額になっていた薩摩芋と紫蘇、蓮根の天ぷらを買っていたので、付け合わせに素麺と一緒にテーブルへだした。

治人くんはぱんっと手を合わせていただきますと言い、白い麺を豪快に汁の中へ落とした。

もぐもぐと小さな頬いっぱいに夏が詰め込まれている感じが風流でいいなあと思った。

治人くんの姿に食欲を刺激され私もがっついて天ぷらを食べた。

二、三人前は茹でたはずの素麺は気づくとなくなり、溶けた氷だけがお皿に残っていた。

二人で手を合わせてごちそうさまでした、というと治人くんはお皿をまとめて重ねだした。

私も同じようにして台所に食器を持って行きスポンジで洗った。

家でもこうやってお手伝いしてるのかな、えらいなあとぼんやり彼の後頭部を見た。


ご飯を食べたらお昼寝でもするのかなと思っていたら玄関のキャリーケースまで走っていき、テキストやら筆記用具やら持ってきた。

そうか、夏休みの宿題があるんだよね。

今の小学生ってこんなに課題が出るんだと圧倒された。

背筋を正された気がして私もそろそろ仕事しようかなと伸びをした。

同じ部屋の隅にあるデスクに向かう。

大窓が見えるこの位置は時計がなくても時の移り変わりが把握できる。

パソコンから目を離し窓を眺めるとオレンジの日差しが部屋に差し込んでいた。

まずい、集中しすぎていた。

治人くんはローテーブルから移動し窓のそばにいた。

時間は大体十六時半。

つけっぱなしのテレビは旬の野菜特集をしている。

お腹ももう減ってきているだろう、もうすぐ夕ご飯の支度をしなければ。

体育座りでピクリとも動かない彼を見てセンチメンタルになっているのかと思い、そっとそばに寄った。

一直線に真っすぐ何かを見つめる彼の睫毛に日差しが乗っかる。

視線の先には朝顔があった。彼は熱心に観察をしていたのだ。

漢字ドリルやら算数テキスト、観察日記と小学生の休みはご多忙だ。

今日は来たこともない母の妹の家に来てしっかり宿題も熟して疲れただろう。

「治人くん、晩ごはん何食べたい?」

睫毛が柔らかく動き音の方向を向く。

テレビは宅配ピザのCMを流していた。

ピザの一切れが持ち上げられチーズがだらりと皿にこぼれる。

子役が食らいついた耳からはソーセージやチーズが溢れ出てきて最後は大家族が氷いっぱいの冷たいコーラで乾杯して次のCMにうつった。

「注文しちゃおっか。」

私がいたずらっぽく笑うと治人くんは子役に負けないぐらいの満面の笑みを見せた。


二人でスマホを見ながらカスタムしたピザは本当に好きなものしか集めてない宝箱みたいになった。

電子決済を済ませていたのであとは宅配のお兄さんが来るだけだ。

ピンポーンとインターホンが鳴り、私たちはドアモニターに食らいつき急いで施錠を解いた。

ドアの前で二人で仁王立ちしドアに人が近づく気配だけで扉を開けた。

お兄さんはすごく驚きながら注文品を渡し帰っていった。

独特な角のある丸い箱からはたまらなく良い匂いがした。

テーブルに置いて蓋を開けるとすぐに手が出そうだったがお互い我慢し飲み物を袋から取り出す。

飲み物はもちろん缶コーラ。乾杯した時のカコンという音はそれだけで食欲が増す。

ビーフ系、チーズ系、トマトソース系、パイナップルがのっかってるのも全部入っていた。

「出前ピザ頼むなんて半年ぶりぐらいかも。」

「僕一年前の誕生日以来。」

「げ、普段なに食べてるの?」

「ママが健康とか美容にうるさいから野菜とか大豆とか。」

「要するに弱ヴィーガンってところかあ。たしかにお姉ちゃん歳のわりに綺麗だもんなあ。」

「友達とかによくお前の母ちゃんきれいだなって言われる。きれいなのは嬉しいけど僕は僕で別にしてほしいよ。」

幼い子がそんなことで悩むなんてなんだかおかしくて小さく笑ってしまった。

「でもお父さんはジャンキーなもの好きなんじゃない?」

「うん、本当はね。でもママが怒るから外で食べてる。ばれてないと思ってるみたいだけど昨日帰ってきたときマックの匂いした。」

「それ笑っちゃうね。何の匂いがしたの?」

「チーズバーガー。」

今度は本当におかしくて大笑いしてしまった。

治人くんも口にトマトソースをべったりつけながらけたけた笑っていた。

私も治人くんも酢豚のパイナップルが好きだと判明し嫌われもののパイナップル同盟が結ばれた。


昼間干した布団を取り込み寝室に二枚敷いた。

治人くんがパジャマに着替えて今日の日記をつけている間に、私はごみをまとめていた。

寝室に行くと治人くんは座りながら頭を揺らして眠りにはいろうとしていた。

今日は頑張ったね。

ゆっくり彼の体を横に倒してブランケットをかけた。

うとうとしながら治人くんは口をもごもご動かした。

「百代ちゃんは百に代でももよっていうんだよね、不思議。」

急に名前のことを言われたから吃驚した。

「そう、お母さんの名前は桃佳っていうでしょ。桃に佳って書いてとうか。

私ずっと名前がコンプレックスなんだ。」

寝ぼけた口調で

「こんぷれっくす・・・?」

とカタカナを発音する彼は可愛かった。

「うーん、嫌なことっていうか。桃佳って本物の桃がついてて可愛いじゃない?でも私のは百で無理やりももって読むでしょ。

偽物みたいで嫌だったんだよね。」

意味なんかちゃんとわからないかもしれないのに私は内心思っていたことを幼い彼に話していた。

返事なんか期待していなかった。

「さっきママのこときれいっていったけど百代ちゃんは可愛いよ。本物の桃じゃなくても可愛いよ。」

吃驚した。そう言った彼は私の腕枕に頭を預けて眠ってしまった。

今年の夏は小さな紳士と過ごすようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幼い夏 カフか @kafca

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ