第17話

 レンツォ・ラベンナはイタロ・バルボの友である。


 彼ら共通の故郷フェラーラでは長年にわたってポデスタ首長であった。その行政手腕は高く評価され、一〇年以上の長きにわたってその職にあった。彼が職を追われたのは失態によってではなく、その血によってである。

 1938年に入り、イタリアはドイツの圧力に屈してまずユダヤ人の権利を制限する人種法を導入し、ほどなくユダヤ人そのものを名指しして排撃する反ユダヤ法を制定した。レンツォがポデスタを辞任せざるを得なくなったのは、彼がユダヤ人だったから、ただそれだけにほかならない。

 当然のようにバルボはこれに反発した。思えば彼が統領との距離をつよく意識したのはこのときが最初かもしれない。

 友人としてだけではなく、バルボはレンツォを必要としていた。リビア総督時代の統治について、バルボはたびたびレンツォを招いて相談し、またことごとにレンツォへの書簡を絶やさず彼の意見を求め続けた。すべてにおいて彼の指示に従うわけではなかったが、レンツォはたしかに彼にとって、偉大なる灯台であった。

 目的をこれと決めたら邁進するだけのバルボの足元を照らし、その過程で躓くことを防いでくれる良き案内人であった。

 事実、相談役としてのレンツォを失ってからのバルボのリビア統治はやや精彩を欠いていた。大きく揺らぐことはなかったが、バルボが新たな施策を実行しようとしたときの連絡や伝達のスムースさが失われて末端の混乱が生じるようになっている。

 バルボ自身はこの統治のほころびを見て、統領は自分をリビア総督から解任して〈暫定〉空軍大臣に戻したのだと認識していた。

(じっさいにはバルボの育て上げたリビア師団、植民地兵の統制の充実を見て、統領がこれを私兵として動かされることを懸念しての配置の転換だったのだが、それはバルボが知る由もない。)


 1939年が明けてすぐの軍からのユダヤ人の完全追放により、レンツォとバルボの接触は完全に喪われた。軍人としてのキャリアをすべて剥奪されたレンツォは処分の撤回を求めてバルボにも支援を請うたが、バルボをもってしても党の決定を覆すには至らなかった。

 バルボはその自らの至らなさを恥じてレンツォとの連絡を絶ち、レンツォもまた、日々の報道からにじみでる統領と「四天王最強」のバルボとの緊張の高まりを受けて、接触を避けた。自分とのつながりが、バルボの失墜を招くことを危惧したためだ。


 ガルダ湖畔の村、カプロニの小高い丘の邸宅での再開は実に一年ぶりだった。

 抱擁を交わし互いに肩を叩きあったあと、しばらく歓談する。友の目尻に光るものが浮かんでいるのをどちらも見ないフリをした。


「幾つか抜けているメーカーが有るな」

 互いの家族の息災を確かめたあと、二人はすぐに実務の課題に移る。そもそもこのために集まったのだから当然ではあったが、忙しない。バルボはその友人の愚直さに懐かしさを覚えながら応じる。

「その辺は海軍との調整が必要になるから、あとに回しておいた」

「海軍? おまえ連中と和解したのか」

「さあね」

 バルボは肩をすくめる。

「こっちはそのつもりだが、向こうがそれを受け入れるかどうかは分からん」

「これまで大分揉めてたからな」

「その辺を水に流してくれるとありがたいが、そう上手くもいかんだろうな。それなりにでかい餌も用意してはいるんだが」

「餌とは?」

「これからラ・スペツィアに行く。そこでカヴァニャーリと会って話す手はずになっているんだが、長い旅路だ。道中おいおい話すさ」

 「悠長なものだな」

 テーブルに書類を広げて話し込む二人の背後に、いつの間にかカプロニが立っていた。

「それで統領との談判までに間に合うのかね?」

「このところ飛行機を使いすぎたのが睨まれてましてね。あいにく汽車しか都合がつきませんで」

「ならウチの飛行機を使うといい」

 こともなげにカプロニは言った。有り難いがしかし、向こうの飛行場の受け入れ用意ができるかどうか分からない、とバルボが答えると

「飛行場なんぞ関係あろうはずもない」

 カプロニは再びこともなげにそう言うと、火のついていないパイプを窓外のガルダ湖へと向けた。





 上空から見下ろすラ・スペツィアの光景は壮観だった。大小の艨艟が舳先を外海に向けて並んでいるその鼻先に、バルボはゆったりとカプロニの水上機を降り立たせる。どの艦上にも乗員が鈴なりになって、その視線が全て自分に集まっているのを感じていた。

 艦橋トップ周辺の将官らが苦々しげな雰囲気なのと対象的に、水兵たちは歓声をあげてバルボの一行を歓迎する。

 結果的にではあるが、演出としては最高の効果を発揮したようだった。


 旗艦「ジュリオ・チェーザレ」の長官公室はとげとげしい空気に満たされていた。

 その部屋の主、ドメニコ・カヴァニャーリ海軍参謀長は海軍におけるバルボのカウンターパートで、海軍大臣は統領が兼任しているから事実上の海軍のトップだった。そして、海軍きっての統領派でもある。

 その難敵をどう攻略するか、ラ・スペツィアへの旅程で長考して策を練るつもりだったが、歓迎されざる雰囲気の中でバルボはいっそ開き直った気分になった。

 カプロニ邸からの電報で慌てて受け入れ準備をしたのであろう海軍参謀長以下の面々を前に、単刀直入に告げた。


「空軍編成の抜本的な改編のため、現有の水上機部隊の海軍への移管を提案したい」

 

 呆気にとられたカヴァニャーリ提督が数瞬ののちに声を発する。

「それはつまり、艦載機部隊の海軍移管ということかね」

「いいえ。艦載機部隊も含むすべての水上機部隊の海軍への移管を提案します」

 おもわず腰を浮かせた将校を短く叱責して、カヴァニャーリ提督は目を白黒させながら、幹部を参集させたい、しばらく待ってくれ、と絞り出すようにバルボに言った。半信半疑の色をまだ残したままのその目にバルボはさらに畳み掛けた。


「ついては……CANT、それからメリディオナリ(IMAM)、イソッタ・フラスキーニに関する指導・監督についても海軍に委任したいのだが」

「イヤだから、待ってくれ元帥」

 カヴァニャーリ提督は降り掛かってきた思いがけない幸運に抗しきれず、遮るように手を振る。処理が追いつかない、という表情だった。

 バルボは勝利を確信して内心でほくそ笑む。なにくわぬ顔でついてきたレンツォを気にする余裕も失われた海軍首脳陣は、その後の交渉の主導権を終始バルボに握られっぱなしで終わった。


 それも当然だろう。バルボがこれまで阻んできた海軍航空の拡大を、一気に認めたのだ。カヴァニャーリ提督の招集に応じて会談に加わったアルトゥーロ・リッカルディ提督も、アンジェロ・イアキーノ提督も、転がり込んできた幸運に圧倒されている。

 そこにバルボの何かしらの下心があるというのは分かっていても、海軍航空の画期的な拡大という誘惑には抗しきれない。

 トドメにバルボが海軍の空母建造への賛同と、日本から購入した空母の設計図、日本の艦載機に関するデータを譲渡すると、もはや誰もバルボの提案に反対するものは居なくなった。

 

 大勢が決したあと、バルボはあらためてレックスの日本への売却について了承を求め、あっさりと承認された。

 さらに加えて、ついでのようにバルボは言う。

海軍電波通信研究所R I E Cへ、空軍も予算を出すのでレーダーの共同開発をさせてもらいたいのだが……」

 カヴァニャーリ提督はバルボが言い終わらぬうちに生返事で了承して、その日の会談を切り上げた。いきなり与えられた強大な戦力と組織とをどう差配するかで頭がいっぱいで、そのような些事にかかずらわっている暇はないと考えたのだ。

 他の海軍首脳部の反応も似たようなもの。

 彼らは会談の最終盤で自分たちの下した決定の重さに微塵も気づいていなかった。

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