バルボの楽園
眞壁 暁大
第1話
1940年2月。
帰国直後のイタロ・バルボは決断を迫られていた。
出国したその時とは一変した国際環境、そして国内の状況。
どうすれば自身の命脈を伸ばせるのか、バルボは呻吟している。
バルボは自身を恃むところの大なる男である。
男らしさ、タフさ、潔さ、いずれも横溢する傑物と自負している。
じじつ彼のイタリアでの人気は統領に勝るとも劣らない。
オンナ受けが統領より幾分、もといかなり上回るところからやっかみでもって男からの人気がやや割り引かれるにしても、それでも屈指の人気を誇るのは疑いない。
であるからこそ、バルボの悩みは深い。
進むべきか、退くべきか。
道は2つに1つしかなかった。
バルボの醒めた頭では答えはすでに出ている。
しかし、彼の燃える心がその答えを表明するのをためらわせる。
バルボは男の中の男であることを自認し、周囲の全てからそのように見られることを望んでいる男である。
進んで統領を排するか。
退いて地位に恋々とするか。
統領を排すること自体に、勝算がないわけではなかった。
というよりも帰国後の彼のもとに集まる情報のいずれもが統領への不満・統領への恐怖・統領への嫌悪に彩られていた。
ファシスト四天王と呼ばれた仲間たちの中でも、バルボは統領後継筆頭格と見られている。とはいえそれは安泰とは言い難い。
四天王は党と政権において別格ではあるがしかし、政争と無縁ではないし、状況によって統領との距離はそれぞれ接近と離隔を行き来している。
四天王以下の幹部の入れ替わりは激しく、その余波はたびたび四天王にも押し寄せていた。
度重なる政争のすえに統領の地位は盤石となり、そこに抵抗しようとする者は居なくなり、かつてローマへの進軍を掲げて結束した四天王らも、自らの地位の安寧に汲々とするばかりとなった。
男らしさをそのイメージとして前面に押し出しているバルボとて例外ではない。
卑屈な政治的策謀からは距離をおいているように見えて、自身の命脈を保つために不可欠な政治的な遊泳術はいくらか用いている。
ただ男らしい実直で誠実なだけの男が、空軍元帥になどなれるわけがないし、苛烈な批判で統領から(いまは)遠ざけられていても、まだファシスト四天王の地位を追われずにいるわけがない。
そうして積み上げた自身のイメージがあるからこそ、いざ統領を排除せんと自らが動いた時には、かならず続く者があることの確信はもっていた。
しかしそれはバルボが日本へ発つ前の話である。
あの時から全ては変わってしまった。
ドイツとイギリス・フランスの戦争が始まり、ドイツとの強固な同盟関係からイタリアも参戦は秒読みだ―――と、世界では考えられている。
しかしそれで国論が統一されているわけでは、もちろんない。
イギリスの働きかけも強く、統領も口先だけではさかんにドイツに協力するような素振りを見せつつも中立を維持している。
道理から言えば鋼鉄の同盟である独伊同盟に従って対英仏参戦するのがスジ。
しかしイタリアには列強との正面切った戦争に突入する準備が無いに等しい。
あまりにも準備不足。
よって統領もドイツから陰に陽に寄せられる参戦のプレッシャーを躱しながら現状維持に励んでいるというのが現在なのだが、それでもじわじわと統領の意思は参戦に傾きつつある。
統領を排してバルボを推す勢力が警戒しているのは、統領が参戦を決断することであった。それを回避するために、バルボを担ぎ出そうとしている。
イタリアがまだ戦える状態ではない以上、バルボも避戦に賛成である。
統領に代わって避戦を主張するのは容易い。
だが、その避戦の意思を貫徹できるのか、どうか。
バルボはそこに確信を持てずにいた。
統領とてイタリアの現状は知悉しているはず。
にもかかわらず参戦に積極的になっているのにはドイツの圧力が大きいことが容易に想像がつく。
ドイツが統領にいかなる脅しをかけているのか、どのような甘言を囁いているのか、今のバルボにはまったく分からない。
ドイツがポーランドに侵攻するまでに、バルボが作り上げていた国内外のコネクションのいずれもがずたずたにされてしまっている。肝心な時期に不在にしていたせいでバルボを仰いでいた国内外の協力者の多くが新たな庇護者や雇い主の元へと去っている。
自身の情報網と支持基盤の崩壊。
これを怖れていたからこそ、バルボは訪日に直前までずっと消極的だったのだ。
懸念が的中したことを後悔する毎日だったが、それでも国を空けただけの利益を得られたという手応えもあった。
バルボは帰国後に復活した様々なコネ、すり寄ってくる小者からの情報の甘い誘惑をようやくの思いで振り捨てた。
訪日を呑んだときに、統領との勝負は決していたのだ。
信頼できる基盤を喪った自分は、いったん統領に代わることはできても、それを維持することはできない。
しかし。
バルボは思う。
まだ終わってはいない。
ここで負けを認めるにせよ、諦めずしぶとさを示すことも、男らしさなのだ―――と自らに言い聞かせた。
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