2、隻腕の鬼


 カサ……。


 藪を分けて、カヤは一歩鬼の前へ歩み出た。

 鬼はチラリと彼女を見る。そして、荒い息の中ため息をひとつ吐き目を伏せた。


「人間が何の用だ」


 地を響く遠雷のような低い鬼の声。

 しかし、怪我のためかその声には覇気はなく差ほど恐ろしいとは思わなかった。

 一歩、鬼へ踏みだしたときからカヤも『覚悟』は決めている。


「傷を見せて。あなたを助けたい」


 彼女の言葉に、鬼は怒鳴った。

 自分にとどめを刺すための嘘だと思ったからだ。


「なんと人間はずる賢いのだ。油断などさせなくとも、逃げはしない。

 早くとどめを刺せばいい!」


 薄暗い闇の中、鬼の声に驚いたふくろうが激しい羽音を響かせ飛ぶ。


「馬鹿なこといわないで!」


 その声に動じず、カヤは鬼と同じほども声を荒げた。

 傷ついた者に幾らすごまれても、彼女にしてみれば人間だろとうと動物だろうと鬼だろうと、それは『患者』でしかなかった。


「私は薬師です。じっとしてなさい!」


 そう言って鬼を睨みつけると、彼女は止血用の包帯を作るため着物の内着を裂いた。

 そして、竹の水筒の水で自分の手をよく洗い、次に鬼の傷を洗った。

 鬼が、痛みのため溜まらず顔を歪ませると口から鋭い牙が覗いたが、恐ろしいとは思わなかった。


 ただ、痛みを堪えるは鬼でもつらいのだ……と、知ったのであった。

 手際よく傷ついた鬼の上腕を縛り止血をすると、採ってきたばかりの血止め草を揉みほぐし傷口に当て布で丁寧に包む。


 鬼はその間、人間の娘を傷付けることなくじっ見つめていた。


「これでいいわ。このまま安静にしていれば、血が止まり楽になるはずよ」


 カヤが緊張を解き、額の汗を拭う。


「なぜ俺を助けた?」


 鬼は、瞳は揺れていた。

 闇の中でも、雲母のように金色に光る目をカヤは星のようだと思った。


「どんな生き物も命はひとつだから、大切なのよ」


「それでも、俺は鬼だ。人を喰うかもしれないことを知らないのか?」


 カヤは、返事に詰まった。

 分かっていたことだ。けれど、例え鬼だろうと苦しんでいる者を見殺しになど出来なかったことを言葉で説明するのは難しい。


「……私を喰ってもかまわないわ。けれど、他の人を殺すのだけはよして」


「お前だけでは、腹は満たない」


 鬼は、彼女を脅かそうとしたわけではない事実を述べただけった。

 それでも、カヤは必死だった。


「私は、あなたを助けた責任があるわ。あなたは私に助けられたのだから私の言うことを聞く義務があるとは思わない?」


 鬼を傷つけたのは人間であるにもかかわらず、それを助けたからといっていうことを聞けなどと、どんなに理屈に合わないことをいっているのかカヤ自身分かっていた。


 けれども鬼はその言葉に耳を貸した後、静かに口を開いた。


「それが、お前の望みなら、お前以外の人間は喰らわぬ」


 隻腕の鬼は、カヤを片腕で抱きかかえるとそのまま山を越え闇へ消えていった。

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