アルカナキューブ 秘密の取調室

ねりけしやろう

第1話 アルカナと虐待

「わたし、実は虐待されてるんです」

ちく、ちくと時計の針が進む。柳川は、困ったな、と頭をかいた。

ここはアルカナキューブ。何かしらの秘密を持った人々がやってくる場所だ。

警察や刑務所とはまた違う。アルカナキューブは秘密を聞いて、資料を作成するだけだ。

そんなことをする理由は、「上の人」が知っているらしい。

今日も秘密を持った人がやってきた。

見た目は小さな子供ー10歳ぐらいに見える。

開口一番、こんなことを言った。

「わたし、実は虐待されてるんです」と。

正直、柳川は面倒くさいと思っていた。柳川が冷酷というわけではない。柳川は長く働いているのだが、このような秘密は今までに何100何1000とあったのだ。

それのほとんどが嘘だった。親に相手にされなくて寂しかった、と多くの子供は語っていた。

なので、今日の相談もまた嘘だろうと思い、面倒くさがっていた。

そんな考えを見透かしたように、

「嘘じゃないです」と少女は言った。

「証拠だってあります」

と言い、少女は左手の裾をめくる。そこには、確かにいくつかのあざの跡があった。柳川は少し考えたそぶりを見せる。確かに誰かに殴られたような跡だ。

しかし、それでもまだ証拠として十分とは言えない。自分でつけたりぶつけた可能性もある。

「他にも証拠があるか?」

少女は少し複雑な顔をし、あります、と答えた。証拠として不十分と思われたことが不満だったのだろう。

少女は小さめの赤いバックから小さい封筒を出した。封筒を開けると、中には幾つかの写真が入っていた。

「これは?」

柳川は不思議そうに写真を見つめた。

「虐待されている時の写真です。私には3個上の兄がいるのですが…兄も虐待されています。それはその時に私が証拠になればとこっそり撮りました」

写真をよく見ると、ぶれてよく見えづらいが、中年の女性が少年に腕を振り上げているように見えた。

「こういう写真が何枚もあります」

写真を順番に指で指し、少女は言う。

「これでも足りないですか」

柳川は1つ1つの写真をよく見ると、それが合成されたものではないと確信した。

だが、まだ疑問な点がひとつあった。

「こんな職業についてるおれが言うのもなんだけど…こういうのって警察に出した方がいいんじゃねぇの?」

少女はしばらく押し黙り、口を開いた。

「前にも、警察に行ったことがあるんです」

少女は苦しそうな眼をしていった。

「でも、相手にしてもらえなかった。子供だけなら帰れって、話も聞いてくれませんでした」

柳川はごくりと唾をのむ。

「せめて証拠だけでもって言って写真は見せました。でも、うけとってくれなかった。そんなの証拠にならねぇよ、って。それで一応事情聴取はしてくれたんですけど、薄っぺらい紙1枚に何かを書いて終わりました。もう、帰っていいよって言われました。」

少女はうつむき、唇をかみしめていた。

「たった一枚、紙をかいただけですよ⁉兄と私がされたことは、言葉にできないくらいつらいことなのに…!それで噂に聞いてここに来たんです。せめて話を聞いてほしかった。誰かに助けを求めたかったんです」

柳川はただ黙って、うなずいた。

「わかった。警察と同じようにはしねぇから。お前もにいちゃんも助けてやる」

柳川は力強い微笑みを浮かべると、少女の頭をぽんっと撫でた。

「お前、名前は?おれは柳川」

少女は安心したのか、少し微笑んだ様子で答えた。

「私、杏奈。福村杏奈」

少女ー福村杏奈は少し考えると、不思議そうに柳川を見つめた。それに感づき、柳川は答えた。

「あぁ、苗字しかないって?下の名前はそうだなぁ…もう捨てちまったんだよ」

杏奈はまだ何か言いたげだったが、その前に柳川が席を立ち、奥からなんやら書類を出してきた。

「上のお方の命令で一応書類は作る決まりだから。悪く思うなよ?書類つくるってのァ建前みたいなモンだしな。書類作ってからはおれらのじゆう。だからおれはおれの好きなようにする」

杏奈はかくっとえんりょがちにうなずいった。まだ上や書類などの仕組みが理解しきれてないらしかった。

柳川はドカッと椅子に座った。

「んーじゃあ年齢は?あ、これ全部答えるのは自由だから。権利ね、あくまでも」

柳川は遠慮したのか、自由の部分を強調して付け足した。

「11さいです」

柳川は資料に書き込みながらへぇーと相槌を打つ。

「そんなしっかりした11さい初めて見たわ。すっげぇなぁ最近の11さいは」

意外なところでほめられ、少女は少し目を見開き、頬をほのかに染めた。

その後も住所や名前などを聞き、最後の質問になった。

「これで最後の質問かっと。あーこれ、虐待されてるってやつにだけ言ってる質問なんだよな。それでもいいか?」

杏奈はどういうことかまだ把握できなかったが、静かにうなずいた。

「あなたは」




「親が嫌いですか?」



時計の針が、ちく、ちくと時を刻む。

誰かが息を吸う音が聞こえる。

杏奈は完全に固まっていた。

のどに何かが詰まっているような感覚。

くるしくて、つらかった日々を思い出す。


「杏奈ほどの出来損ない、もうこれから生まれないだろうね」


そう、お母さんに言われた。

もう何回もひどいことを言われてきたから、私は特に傷つく様子もなく、真顔でお母さんの顔を見つめた。それが気に食わなかったのか、風呂場から残り水を持ってくると、私に頭からかけた。あまりの冷たさに私は声が出る。

「ぅぐ」

「うるさい黙れ!お前なんか産まなきゃよかった」

びしょびしょで冷えた体を、何度も何度も殴った。

風邪ひいたらまた怒られちゃうな、とどうでもいいことを思う。何度も殴るので、鼻血がたくさん出てじんじんして痛かった。

「あんたなんか、あんたなんか殺してやる」

興奮した様子で、鼻息が荒くなる。お母さんは私を殴るのをやめた。そして、台所に向かっていった。何をするのか気になったが、鼻血が出すぎて口に入ろうとしていたので、手で鼻血を拭う。

台所から帰ってきたお母さんは、包丁を握っていた。殺してやるって、ほんとだったの。

なぜかその時は冷静だった。何事にもいつか終わりが来る、それが今日だっただけ。

むしろ虐待から解放されるなら刺されてもいいと思った。

「やめろおおおおおお!!!!」

いきなり大きな声がした。この声は…

「おにいちゃん…」

まずい。お母さんの顔が真っ赤になっている。だめだ。おにちゃんまで死んじゃダメ。

「もうやめてよ…母さん」

おにいちゃんがうなだれる。

「っるさい!!!!いつもいつも反抗して!私が生んで育ててやったのよ⁉あのクズ男がいなくなっても…」

うそだ。お父さんはいい人だ。お父さんはお母さんが私たちを殴ることを怒っていた。そしたらお母さんが離婚を切り出したんだ。お父さんはおれのところにこいって言ってたけど、お母さんがいかせてくれなかった。ひどいのはお母さんだ。

警察は信用できない。そうだ、あそこに行こう。

おにいちゃんには心配させたくないから、一人でこっそり来たんだ。


私だけじゃなく、おにいちゃんもなぐった、お母さん。

ひどいことを何度も言ってきた。

嫌い、に決まっている。

でも、あったんだ。

お母さんも、私を、おにいちゃんを愛してくれていた時が。

大好きだよって言ってくれたことが。

少なくとも、生んで育ててくれたぐらいには。

どうすればいい?私はお母さんが好きなの?わからない。

「ぅうう…」

柳川さんが心配してる。早く答えないと。なのに…言葉が出てこない。

「話さなくてもいいよ」

その言葉は、何気ない言葉だった。

だけど、私の心を一気に照らした。

「え、答えなくて、いいの?」

信じられないという目で見る。

「いや義務じゃないって言ってるし。俺も悩んだよ、そういわれたとき」

柳川さんも聞かれたことがあるの?と言いかけ、やめた。その時の柳川さんの顔が、なんとなく暗く見えたからだ。

でも、何だか想像はつく。柳川さんもそんな目にあったのだろう。私よりも複雑なことかもしれないけれど。そう思うと、自然と体に力が入る。ひとりじゃない。

「っ、じゃあ答えません。私は決められない」

「うん、じゃこれで質問は終わりだよ。それで今後のことだけど…」

「あの」

唇に力を入れる。

「大丈夫です」

柳川さんの顔が暗くなるのが見え、見たくないというように顔を下げて話す。

「話したら楽になりました。お兄ちゃんと話し合って、対抗してみます」

「いやでも」

「いいんです。柳川さんのおかげです。お母さんも、たぶんわるいひとじゃない。お父さんがいなくなって寂しかったんだと思います。もう立ち向かえます」

柳川さんはまだ何か言いたげだ。でも、いいんだ。今度はできる。お兄ちゃんと立ち向かうんだ、お母さんに。

「ありがとうございました。」

そう言って私は席を立ち、その場をたった。柳川さんはまだこちらを見ていたが、呼び止める様子はなかった。たぶん、気づいてるんだろう。私が立ち向かうと決めたことに。

最後に一つだけ、小さく声が聞こえた。

「無理すんなよ」

それが独り言なのか、私に向けていった言葉なのかはわからなかった。確かめることもなく、私は聞こえなかったふりをする。少しずつでもいい、いやになってもいい。だってそうなったらまたここに来ればいい。私の居場所はもうできている。私、無理しない。

次の一歩を踏み出す。


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