「第八話」刀匠令嬢、やらかす

廊下を歩いた先の階段を降りると、アイアスの鼻が匂いを捉えた。甘く、しかし香ばしく……様々な香りが漂ってきて、余計に彼女の食欲を刺激した。


(嗅いだことのない匂いだな……いや待てよ、なんだかすげぇ腹減ってきた)


「正重」の頃から食事にそこまで拘りや好みがあるわけではなかったし、「アイアス」としてもその点はあまり変わらなかった。──にも拘わらず、彼女は今猛烈な食欲に襲われている。未知の感覚に困惑しながら、その先にある至福を自然と追い求めていた。


「な、なぁソラ。食堂にはどんなのがあるんだ?」

「どんなのって、うーん……あっ、そう言えばこんな話を聞いたことがあったなぁ」


知ってる? ソラは早歩きになっていくアイアスに歩幅を合わせながら言った。


「この学校の食堂料理の中には、すっごく美味しい焼き物があるらしいの。でも、それはすっごく変わってて……料理の方法とかも、どんな食べ物を使っているのかもわかんないんだって」


ごくり、喉を鳴らすアイアスの表情を面白がりながら、ソラは続ける。


「噂によるとねぇ……その食べ物を料理する時には、バチバチバチィ! って言う音が鳴るらしいよ〜? まぁあくまで都市伝説なんだけどね、んでその料理の名前は……ってあれ? アイアス!?」

「天ぷらァアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」


走り出すダルクリース家公爵令嬢。いいや、彼女を爆走させているのは別の要因であった。──そう、彼女の前世である「正重」である。彼はその長い一生の中で、たった一度だけ高価な異国の料理を嗜んだことがある……その名は天ぷら、海老や野菜を油で揚げた至高の食べ物。彼が天ぷらに向ける執着とは、彼が心血を注いだ刀の業にも匹敵するのである!


我を忘れたアイアスは、ついに食堂へと突撃した。怯える他の生徒のドン引きには目もくれず、彼は捉えた。──そう、とある黒髪の男子生徒一人が抱えるお盆の上に乗せられた、宝石箱のような天丼を。


「天ぷら……キノコぉおぉぉぉおおおおおおお!!!!」


踏み出し、駆ける。爆風を従えるほどの爆発的な推進力で、アイアスは生徒に突っ込んでいき、あっという間に間合いに入り込んだ。回避は間に合わず、防御を構えても既に意味を為さない。


「──ふざけんな」


故に、その生徒が取った行動は「攻め」だった。


「天ぷらといえばエビだろうがクソボケェェエエヅヅっっヅヅッッヅッ!!!!」


拳。弾丸の如く放たれた一撃は、狂ったアイアスの顔面に吸い込まれていく。ノーガードで叩き込まれたため、驚くほど簡単にアイアスは吹っ飛んでいく。それはそれは縦にぐるぐる大回転、いつもより多く回っております。


「ぐぇっ……がくっ」


ふっ飛ばされたアイアスはそのまま地面に真っ逆さま。頭から落ちて間抜けな声を出した後、意識を失ってぐったりしてしまった。


静かになってしまった食堂。黒髪の生徒が持っていたはずの天丼は大惨事と成り果てており、被害者である生徒一同の目線はぶっ倒れているアイアスへと集中している。──そんな中、このおぞましき事態を招いた張本人であるソラは、ガタガタ震えながらその場を去ろうとしていた。


だが。


「おい、そこのお前!」

「ハイッ!?」

「こいつ連れてきたの、お前だろ。床にぶちまけられてるのは、俺が小遣い叩いて買った天丼なんだが……さて、どうしてくれるのかねぇ?」

「……えーっとぉ?」


向けられる視線、無惨に散乱した天丼だったなにか……元凶を作り上げてしまったソラは、自然と懐から財布を取り出してしまっている。


彼女がやるべきことは、ただひとつ。


「弁償します! 天丼、奢らせてください!」

「特盛な」



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