猫ノ目書房のなつやすみ2

佐久良銀一

第1話 夏はまだ始まったばかり

「あっちぃ……」

「なんでこんな日にそとにでるんだ……?」


 首の周りに纏わり憑く黒い塊は、頬を膨らませながら日陰を作ってくれる。

 去年の夏も暑かったが、今年の夏は輪をかけて暑い。

 ほんの少しだけ奥が透けて見える水まんじゅうのようなそれ――葉は去年からの同居人だった。

 夏祭りまでの短い間、一緒に過ごすはずだったのに。

 色々とあって、葉を家に住まわせてしまったのである。

 結構仲良くやっているのだが、傍から見たら俺が今から襲われるようにも見えるかもしれない。


 まあ、もしも『見えていたら』なのだが。


 普通の人には見えていないし。

 多少なにかを感じる人でうっすらと見える不吉そうな黒い影。

 それを通り越して、完全に視えてしまうオレの目にはこう見える。


 真っ黒の身体に長い三つ耳、三つの赤い目の自称元ウサギ。

 足はどこ行ったんだと言いたくなるような丸い身体。

 口を大きく開けたなら、真っ赤な舌がべろりと飛び出す。

 なんだって食べることが出来るが、人だけは食べたことがない。


 見た目の割には意外といいヤツ。


 まあ食べるにしたって、「おいしい」と「まずい」はあるわけで。

 俺が人外だったら、「あんまりおいしそうじゃねぇよな人間は」と思ったりもする。

 そんな邪悪な考え方とは違ってこいつは長い間、自分の意志で人は食べず耐えていたというのだ。


 怪異のくせに、健気なヤツ。


 普通の骨がある生物なら「そうはならんやろ」という曲がり方でくるん、と赤い目をこちらに向けてくる。

 三つ耳の真ん中で俺にあたる日避けを作りながら、膨らんだ頬を俺の頬に当ててくる。

 急に冷えすぎないようにしているのか、ほんのりひんやりとした大福のようなもっちりとした触り心地。

 なんだか良い感じの柔らかさの保冷材のようで、もたれかかると支えてくれる。


 これで生前、普通の野ウサギだったとかいうよくわからない奴。


「ふらふらしてるのか?」

「してない。ちょっと楽してぇなと思っただけだ」


 ぷすーと膨らませた頬を萎ませてまで、聞くのはそんな内容だった。

 見渡す限り来た道も行く道も影が無い中で、この時間に歩くには危険だ。

 頭の上を隠してくれているが、まるで蛇が獲物に巻きつくように――いやそれにしては少し緩めか――肩と腰を通り、足元にも纏わり憑いていた。

 そのおかげで全身外にいるのにほどほどに涼しく、宙に浮いても自立できるこいつに持たれかかっても俺は倒れないのだ。


「ゆうし、おまえはオレをなんだとおもってる……?」

「ウサギっぽい形状の便利な暗黒もちもち水まんじゅう」

「……ほめてるのか?」

「褒めてるとも、心の底から」


 夏に似合いの完璧と言ってもいいほどの爽やかな笑みを浮かべて、葉を見つめる。

 じぃっとそれを見つめた後、口をすぼめながら怪訝そうに身体をぐるぅりと回した。


「むぅ……? なんかうそくさいぞ……?」

「気のせいだろ」

「むぅー……そうかぁ」

「そうだよ」


 納得していなさそうな葉をそのままに真っすぐに歩き出す。

 俺に纏わり憑いているので、こいつは歩かなくてもいい。

 倒れたときは運んでくれるんだから、普段からそうしてくれてもいいのに。


「癖になって足の筋肉が衰えるからダメ。人間は貧弱」


 と普段は許してくれない。

 良いやつだけど人の健康にちょっとうるさいのだ。

 いや、良いヤツだからうるさいのか。


「それで、どこへ行くんだ?」

「猫ノ目書房に行くんだよ」


 そこは仕事もやめて特に行く先の無かった俺が入り浸っていた場所。

 商店街から少し離れたところにある古書店。

 入り浸りすぎて今ではテンチョウに度々、店番を任される。

 たまに人外のお相手も任され、囮にもされかける。


 それでも正直家で一人で過ごすより楽しくて、つい足が向かってしまう。

 葉と出会ってから行く回数は少しだけ減ったものの、元々本が好きな俺は行くのをやめなかった。


 あともう少し行ったところで、角を曲がれば店はすぐ。

 暇なのか頭の上の三つ耳を左右に揺らしながら、ふんふふーんと何かを口ずさむ葉に気を取られていた。


 ――その時だった。


 角を曲がった先の道。

 正面から「日が当たっているのに顔が見えない」青年が、こちらを見て立っていた。



 どうやら今年の夏も、穏やかには過ごせはしないらしい。

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