とある美容師の話

はるより

本文

 俺の名前はサンドリーノ。

 霧の都に居を構えるしがないハンサム美容師だ。


 今日はとあるレディのリクエストにお応えするため、俺から見たとある友人の話をしようと思う。

 友人の名前はご存知、ヴィリアム・ハウンドだ。

 ああ、いや。そういえば、今はハウンドと名乗らないんだったか?

 どっちでもいいか。野郎の事には大して興味がない。


 ともかく俺が初めてヴィルと出会ったのは、ところどころに汚物や残飯が捨てられているような小汚い路地裏だった。


 その日俺が夢中になっていたカワイコちゃんは、とある酒場で出会ったダイナマイトボディと厚めの唇がセクシーなお嬢さんだったんだ。

 カウンターでウィスキーをちびちび舐める俺の隣に座ってきたかと思うと、妖艶で誘うような流し目を送りながらこう言った。


『今日は連れが来られなくなって一人で寂しいの。お相手して下さる?』


 俺は片方の口の端を上げて、ウィンクしてみせた。お嬢さんはそれを見て可笑しそうに笑うと、バーテンダーに度数の高いカクテルを頼んだんだ。


 あの日、俺は有り金叩いて買ったシェンディというブランド物のシャツとジャケットを着ていたんだ。

 俗に言う『高見え』というやつ。値段は意外と手が届かなくもないが、ブランドを知らない人間からすれば上等な服に見えるというもの。

 それを着ていたのが幸いしたのか……いや、結果的には『災いした』というべきか?


 ともかく、お嬢さんはすっかり俺のことを気に入ったようで、色っぽい仕草で俺の手に掌を重ねてきた。


 まぁ、そこからは夢野のように素晴らしく、甘い夜を過ごしたよ。

 バーから出て、お嬢さんに店の裏へと連れ込まれるまではね。


 最初は酔いが回っていたのもあって、おいおいまさかこんな所でとは、参っちゃうな〜とへらへらしてたよ。

 けど、顔に仰々しい傷のある髭面のマッチョが現れた瞬間、『あ、カモられた』と百年の恋と共に酔いもすっかり覚めちまった。


 俗に言う美人局ってやつだ。

 男はテンプレ通りに俺に難癖をつけて、有り金を全てよこせと脅してきた。

 しかしご存じ、俺はその日の飲み代を払って素寒貧になったばかりだ。

 当然下着までひん剥かれても小銭一つ出せなかった俺は、男の怒りを盛大に買ってしまったらしい。

 男は憂さ晴らしなのか何なのか、そのまま暴力を振い始めた。


 以前知り合いから、『表皮の傷や骨は最悪自然治癒で何とかなるが、内臓だけはどうにもならない』と言われたのを思い出し、必死に体を丸めて腹と股間を守っていた。

 男の気が済むのを泣きながら待つしかなかった俺にとっては、たかが1分や2分の出来事が永遠のように感じられたね。

 ちなみにお嬢さんは目の前で起きていることなど全く興味がなさそうに壁にもたれかかってタバコを吹かしていたよ。


 兎にも角にもボコボコにされ、もう何処にアザがないのか分からなくなった頃……急に男がゴム毬のようになっている俺を蹴り付けるのを辞めた。

 しばらく動けなかったよ、もしかしたら俺が気になって顔をあげたところを蹴り飛ばす算段なのかも知れなかったからな。

 歯の一本でも折れてみろ。この自慢のスイートフェイスが台無しだ。


 ところが、待てどもそれ以上の動きがない。

 しかも人間同士のの会話らしい声が聞こえてくる。

 恐る恐る身を起こした俺の視界に入ってきたのは、マッチョな男と同じくらい大柄な男が向き合っている光景だった。

 ずくずくと頭の中まで響いてくる痛みでうまく言葉は聞き取れないが、どうやらあのニューフェイスが凶行を止めてくれたらしい。

 ただ、新たに現れたその彼は口元に何やら厳つい皮の……猿轡?なんだかSMプレイにでも使いそうな網状のマスクを被っており、どういう人物なのか全く判断がつかない。

 混沌としてきたその場から逃げ出したくても上手く手足に力が入らず、目の前の出来事を黙って眺める事しかできなかった。


 そのニューフェイスは俺と同じくらいの歳若い青年だった。

 まぁこの話を聞いている人間ならばもう分かっているだろう、その時に俺の窮地を救ってくれたのがかの童貞騎士……もとい、ヴィルだった。


 ヴィルは一言二言何かを告げたようだった。

 しかしそれを聞き届ける事すらせずにマッチョは思いっきりその横面を殴りつけた。

 どうしたものかと思って俺を誑かした子猫ちゃんを見たら、奴の行動は彼女にすら想定外の事だったようで、口元に手を当てて目を見張っていたっけな。


 ヴィルは突然の男のフックに僅かによろめいたが、怯む事なく腰の剣の柄に手を掛けて男の顔を見据えて言った。


『これ以上は、王宮騎士としての対応を採る事になる。どうか、お互いにとって良い選択を。』


 見ると、確かにヴィルが肩から纏っているマントの留め具には百合の紋章……我らが女王陛下の証がくっきりと掘り込まれていた。

 そこでようやくヴィルが自分の味方だと理解出来、俺は安堵に気を失いそうになったね。

 ちょっと漏らしたけど、身包み剥がされたのが功をなして事なきを得た。


 マッチョは王宮騎士という言葉を聞いて、明らかにたじろいだ様子だった。

 まぁ霧の都に生きる人間は女王陛下の意向こそが正義、彼女の言葉こそが秩序と、信じて疑わない奴が大半だ。

 その女王の意思の代行者である王宮騎士が相手とあっては、下手に手も出せないんだろう。

 男は小物っぽい捨て台詞を吐きながら、彼女を連れて逃げ去って行った。


 それを見届けたあと、ヴィルは『大丈夫ですか』と全裸で汚い路地に這いつくばる俺の前に屈み込んだ。

 俺は何とか、多分……と一言だけ返し、その辺に捨てられていた衣服を拾い集めた。

 下ろしたての服だったのに、そりゃあ酷いありさまだったぜ。


 何とか歩けたのと、服も緩慢ながら着直すことが出来たので、何処の骨も折れていなかったんだと思う。

 正直生きて帰れたら御の字くらいの状況だったから、俺が相当のラッキーボーイだったか、あのマッチョが見た目に反したチキン野郎だったかのどちらかだな。


 兎にも角にも、ヴィルはその時の俺にとっては命の恩人だった。

 お礼がしたいので、奴を自宅に招いたんだ。

 殴られた時に切ったのであろう、血の滲んだ口の端の傷の手当てと、おしゃれなんて人生で一度も気にしたこともなさそうな、ワックスで固めただけのツルツルオールバックをどうにかしてやりたくてな。


 何を隠そう、このサンドリーノ。

 名は売れていないがれっきとした美容師だ。

 ……別にさっきの奴らの報復が怖くて、家までの護衛がわりに連れて帰ろうとしたわけじゃあない。清廉なる霧に誓って。


 家、兼店舗である『サローネ・カンツォーネ』に無事辿り着き、中に通すとヴィルは物珍しそうに辺りをきょろきょろと見渡していた。

 まるで初めて遊園地に来た子供のような反応だったから、冗談めかして『美容院ははじめてかい?』と訊いてみると、奴は大真面目に頷いた。流石の俺も、まじかよ、と驚いたね。


 居住スペースに使っている部屋から、何とかいつ買ったのかも思い出せない救急箱を引っ張り出し、お互いの手当をした。

 まぁ、九割九部は俺の傷の具合を見せていた時間だったけど。


 そうしているうちに大分気力も回復したので、ヴィルをカット椅子に座らせて、そのザンバラ髪をどういう風にカットするかの相談を持ちかけてみた。

 ヴィルは困った顔をして、普段は撫で付けておきたいので、あまり短くはしすぎないで欲しいと言っていた。

 本当はもっと、ソフトモヒカンとかにしてみたい気持ちはあったのだが、流石に本人の意向を無視するわけにはいかない。


 明らかに自分で、それもハサミですらなく小刀とかで切っていたのであろう毛先を整え、毛量を調節する。

 大きく髪型を変えなくてもシルエットをスッキリさせることなら出来るから、その路線に決めた。

 床にパラパラと落ちていく少し燻んだ銀髪を不安そうに見るヴィルは、ペット病院で診察台に乗せられた犬のようだったっけな。


 髪を切りながら、事の経緯の話も幾らかした。

 ヴィルは王宮騎士だが、今は宮殿外で仕事をしていること。

 今日はたまたま宮殿に用事が出来たため、自分の仕事は別の騎士(後にヴィルのおやっさんと知る)と交代して出て来ていたこと。

 いざ帰ろうとした時に暗がりから怒声が聞こえて来たので、何事かと見に行ったら全裸に剥かれた男が殴る蹴るの暴行を受けていたから止めたこと。


 どうやらヴィルは痴情のもつれの末に起きた出来事だと思っていたようなので、そのままにしておいた。

 バーで出会ったばかりの女の子のケツをホイホイ追っかけてボコられた、なんて情けないったらありゃしないからな。


 そんな会話をしているうちに、着々と騎士様のお御髪は整えられていった。

 良い香りのするジェルを手に取り、ご要望通り髪をオールバックにセットしてやる。


 バッサリいった訳ではないので髪型が変わったというほどではないが、全体的な纏まりは良くなったはずだ。

 鏡を見せてやると、ヴィルは何度か頭を傾けたり指先で髪を撫でたりしていた。


 その後いくらか他愛のない話をして、ヴィルとは別れた。

 帰りに『また来る』とは言っていたが、正直それは挨拶みたいなもので、もうあの野暮ったい騎士様と会うことは無いんだろうなーと思っていた。


 が。俺の勘は大外れしたようで、なんとたった三日後には彼と再会することになった。

 これが可愛らしい女の子との話であれば、俺は彼女との縁を運命だと感じただろうな。

 けど夢の無いことに、ヴィルは俺よりも二回りもガタイの良いガチムチだ。


 ただその日、最初に店の扉から入って来たのはその大男ではなく、小柄な人影だった。

 後頭部で纏めた長い黒髪がふわっと揺れて、優美な曲線を描く。

 幼さの残る顔立ちのその人は、やはりあどけない好奇心を露わにして店内を眺めていた。

 まぁ真相はのちに判明するが、少なくともこの時の俺はその客人を美しい少女と思ったわけだ。


 となれば、声を掛けないのは失礼に値する。

 そもそも彼女は客として美容院に来ているはずなのだから、俺が声を掛けても何の問題もない。

 俺は手早く髪型を整え、内ポケットに忍ばせていたオーデ・コロンの香りを身に纏うと、滑り込むようにして『少女』の足下にひざまづき、『彼女』の手を取った。


 俺は全力のキメ顔で自己紹介をする。

 霧の都中の男を集めたとして、その中では割とイケてる部類の俺の行動に対し、『少女』はぽかん、と小さく口を開けたまま俺を見ていた。

 押しが足りなかったか?

 そう思った俺は、握った手に口付けようとしたところで、何やら頬に不自然な風を感じた。


 不思議に思い、そちらに目を向けると、ぎらりと鈍色に輝く物が見えた。

 こんなもの、店内にあったか?

 不思議に思っていると、頭上から『その手を離せ』と聞き覚えのある声が降って来た。


 ヴィルだった。

『少女』の隣に立った奴が、抜き身の剣先を俺の首元に当てて見下ろしていた。

 俺は慌てて後退り、両手を上げて降伏のポーズを取った。


 すると、ヴィルは特に何かを追求することなく剣を鞘に収める。

 戸惑い顔の『少女』は、ヴィルの後ろに隠れてこちらの様子を伺っていた。


 そんなこんなで、最悪なファーストコンタクトを取った俺と挿頭草一京だった。

 話を聞くと、突然さっぱりとした髪型になって帰って来たヴィルを見て、一京がこの『サローネ・カンツォーネ』とその店主である俺に興味を持ったらしい。


 傍らに騎士なんて侍らせてはいるが、一京はどこにでも居るような無邪気な少年だった。

 すぐに緊張した雰囲気は幾分もしないうちに解れて、俺を相手に楽しそうに話をしてくれた。


 黒色の髪はこの霧の都ではほとんど見たことがなかったので、彼が桜の帝都から来た人間だということは俺にでもすぐにわかった。

 長い髪をブラシで梳かしてやりながらその事について言及すると、一京は少し複雑そうな表情をしたあとに、『リノは帝都の人間の事、煩わしいと思う?』と訊いてきた。

 その質問だけで、彼が都中の人間から歓待された訳ではない事が察せられるだろ?


 俺は素直に答えたよ。

『人との出逢いに良いも悪いもなくて、そこで生まれた思い出が甘いか苦いかしか気にして無いね』って。

 ついでに、わざとらしいため息をつきながら『まぁ、残念なのは出逢った相手が男だったってことくらいかな』と言ってやったら、一京は吹き出して『そっくりそのまま返してやる』と笑っていた。


 桜の帝都の人間と、霧の都の人間の髪はどうやら質が大きく変わってくるらしい。

 食べ物の差なのか、それとも日照時間の差なのか、大した学のない俺にはよく分からなかったけど……とにかく一京の黒髪は切りごたえがあった。

 一京はこれでも自分の髪は柔らかい方だ、と言っていたから、仮に向こうで店を構えるとしたら道具を一式変えないといけないんだろうな。

 別の理容師が苦労したと見える、少し段差の生まれてしまった毛先を整えたり、髪質的にボリュームが出てしまう部分を梳いて量を減らしたり。

 ともかく一京に必要なのは他のお客さんには余りしないようなカットで、俺は夢中でハサミを動かしていた。


 一通り施術が終わってから鏡に映った一京は、随分とご満悦のようだった。

 本人曰く帝都と比べて霧の都は湿度が高いため、猫っ毛が暴れ回って大変だったらしい。

 ともかく、お客さんに満足してもらえたようで俺も気分が良かったね。


 それから一京は俺とサロンを気に入ったらしく、度々尋ねてくるようになった。

 当然と言えば当然だが、その機会の八割くらいは髪型を整える目的だ。

 しかし残りの二割は、たまたま近くを通ったから、とかこれから飯に行くので誘いに来た、とかそんな要件だった。

 時折後ろから冷めた目で俺を見るあのデカブツは別として、俺と一京は瞬く間に親しい友人になれた。


 それから大体、二年ほど経ってからの事だったかな。

 その日も俺は一京に誘われて、行きつけのパブで酒を飲むことになった。

 店に並ぶ酒や料理のラインナップも代わり映えはしないし、卓で交わされる会話も殆どが日常的な話題で、刺激的な夜と言うには物足りない。

 それでも、毎回何となく楽しげな気分になって帰路に着く。その日もそんないつも通りの夜だった。


 のだが。

 どことなく、ヴィルの言動がおかしい。

 いつになくそわそわとして、若干だが一京との間に距離を空けている。

 何かを言おうとしたのに、急に口をつぐんでそのまま視線を逸らして黙り込んでしまう。


 おいおい。こいつは何だ。

 最初は珍しく二人が喧嘩でもしたのかと思った。それで関係がギクシャクしているのかと。

 けれどそれにしては一京の態度がいつも通り過ぎるし、そもそもこの二人なら喧嘩したとしても数十分後にはお互いに歩み寄って仲直りをしそうなものだ。


 この感じ。この違和感。まるで、アレだ。

 グラスに残った酒を喉に流しながら考えて、ピンと来た。

 その後一京が用を足しに席を立ったのを見計らって、俺は半ば無理やりヴィルと肩を組むと耳元で囁く。

『相談なら乗るぜ、恋するチェリーボーイ君』ってな。

 そしたらあいつ、この世の終わりが来たような、見たこともない顔をしやがった。流石の俺でも傷いたぜ。


 しかし、もう何年も一緒にいる相手に対して急に恋愛感情を自覚するっていうのは厄介なものらしい。

 今まで普通だったことのハードルが急に上がって、かと思えば何でもかんでも受け入れてしまいたくもなる。

 ヴィルに関しては後者が顕著だったようで、自分の職務と一京との関係性、それから自分の感情と三すくみになって大いに悩んだようだ。

 以前からヴィルなりに一京の事を可愛がっている様子だったが、それが過剰にならないよう必死に自制しているみたいだった。

 ただ明らかに、一京のおねだりする『最後の一杯』を許す頻度は増えていたから、その自制がうまくいっていたかは怪しいもんだ。


 それについては特に俺が口出しすることでもないと思っていたし、正直言って王宮騎士ともあろう男が青い恋に振り回される姿は見ていて面白かったから、そのままにしていた。


 だってよくある話だろ?

 物語の英雄や高名な学者が恋愛に人生を狂わされる事なんて。

 俺にしてみればそれまでのヴィルはブリキの騎士かと思うほどお堅い人間だったので、人間臭い表情をしてくれる方が親近感も湧くってもんだ。


 何より、揶揄うと面白かったしな。

 しおらしく、『どうしたらこの気持ちを捨てられるだろう』なんて訊いてくるものだから、とりあえず押し倒してベッドの中で考えてみろよと言ったら、掃き溜めを見る様な目を向けられたけど。


 ただ、まぁ。

 そんな考えだったから、二人があんな顛末を迎えるとは思ってもみなかった。


 その日、俺は珍しく一京の誘いを断って店番をしていたから、奴が毒を盛られたという話を聞いたのは一ヶ月も後になってからだ。

 その頃にはヴィルは都に居なかったし、王宮に一般人が立ち入れるはずもないし、俺はずいぶん長い事奴らと連絡を取れずに居た。

 一時は死に瀕していた一京は奇跡的な回復を見せ、厳重な警備が敷かれた部屋で生活をしているという話は聞いていたが……それでも、あの仲睦まじい二人が遠く離されてしまったという事実は、俺にとってもショックな事だった。


 何より俺にとって貴重な、真っ当な友人共と会って酒を飲みながら下らない事で笑う夜が消えてなくなってしまったことが、今も残念で仕方がなかったんだ。


 それから一年ほどした頃、偶然にも街中でヴィルと出くわしたことがあった。

 俺が声をかけたマダムが乗っていた行商馬車に、なんとあいつが同乗していた。

 話を聞くと、マダムの手伝いをしにわざわざ都まで出てきたらしい。


 ちょうどその日は都の中心にある噴水の広場で、『桜の帝都から来た神官様』の演舞が一年ぶりに披露される日だった。

 その日にたまたまヴィルが都を訪れるなんて、出来すぎた偶然があるはずもない。

 きっとこいつは一京の姿を一目見たくて、何やら理由をつけてここまでやってきたんだろう。

 わかりきった事なのに、ヴィルは演舞会を観に行くのに消極的だった。


 俺は空気が読める男なので、そんなヴィルを説得して夜の広場に引っ立てて行った。

 以前にも何度か観に行ったことはあったけど、何度見ても舞台上に立った時の一京は、俺の友達とは別人の様に感じられるんだ。


 精霊とか、妖精とか。

 なんとなくあの瞬間だけは、人間よりもそういったものに近い存在になってるんじゃないかって本気で思ってる。

 そう思えば、騎士が精霊に魅入られたっていうのは、中々におとぎじみた話なのかも。


 ああ、いや。その時にはもう、騎士じゃなかったんだっけ。

 何処にでもいるお堅くて優しい男は、やっぱりその日もチャームの魔法に掛かってしまったようだった。


 それから何度か演舞会は開かれており、その度に俺はヴィルに手紙を送った。

 手紙を受け取って律儀に都を訪れるヴィルは、相変わらずフードを目深に被ってこそこそとしていた。

 奴はもう一般人なのだから堂々と見物客をやって、一京にも自分が健在な事を教えてやればいいのにと思っていたが、あいつにとってはそういう事ではないんだろうな。


 ……そしてここからが俺の語れる最後の話。

 つい先週、都中が恐怖のどん底に突き落とされる事件が起きた。

 突然街中に駆け込んできた黒い化け物が暴れ回り、何人かの命を奪って行った。

 買い物をしていた俺は、人の波に流されて早々に避難していたから実際に見た訳じゃない。

 けれど、到底人間が太刀打ちできる様な相手ではなかったそうだ。


 誰もが死を予感した時、都の各地で彗星の如く現れた若者たちが、化け物を瞬く間に退治したという。

 一人は小柄な金髪の女性。

 一人は大盾を携えた青年。

 そしてもう一人は、異国の装束を纏った性別不詳の人物、だったらしい。

 とても現実とは思えない話だろ?


 実際のところはどうなのかは分からない。

 不思議なことに、目にした人間はその若者たちのイメージをぼんやりと覚えているだけで、顔立ちや詳細については全くと言っていいほど思い出せないそうだ。

 それこそまるで記憶に霧がかかった、みたいにな。


 だけどなんとなく、その性別不詳の人物が俺のよく知る人物なんじゃないかって予感している。

 そして、その傍には大柄な輩が居るんじゃないかって気もしている。

 何の根拠もないし、そうだったらいいなと言う俺自身の願望なのかもしれないけど。

 何故か、あいつらが世界や人々を救う為に戦う姿は、ありありと想像できるんだ。


 これでこの話はおしまい。

 別に童話でもおとぎ話でもなく単に俺の友人達の身の上話だ。

 きっとこれからも続くし、フィナーレを迎えるのは何十年もあとじゃなきゃいけない。


 俺の話を聞きたいと言ってくれたお嬢さんにはご満足頂けたかな。少しは退屈凌ぎになったかい?

 もしも話だけじゃなく、俺自身に興味を持ってくれたのなら、ぜひ霧の都一の美容院『サローネ・カンツォーネ』へ。

 スタッフ一同、と言っても俺一人だけど。

 貴女様のご来店を心よりお待ちしています。

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