第八十三話 陸と音流

「カー」

「え、でも……」

「カー」

「約束だよ?」

「カー」


 カラス兄に見送られて、楓は歌自慢大会のステージへと向かっていった。


 そこから少し離れた場所で、陸がその様子を見守っていた。


(んー、丸く収まったのか……?)


 チョメチョメを持たない陸には、カラス兄の言っていることはわからない。途中からのカラス兄と楓の問答は、陸とってはシュールな光景でしかなかった。


(でも、よかったのかな)


 半分笑いながら考えていると、カラス兄の鳴き声が聞こえた。


「カー」


 陸は、カラスの真っ黒な瞳と見つめ合っていた。どこを見ているのかもわからないが、何かを訴えかけているのはわかった。


「お礼を言われることは、なにもしてないから」と陸はとりあえず言ってみることにした。

「カー」


 試しに、さらに続けてみる。


「本当によかった。これでまた最高のレアチーズケーキが食べられる」

「カー」


「いやいや、青木が元気になったのも確かに良かったけど」

「カー」


「あはは、そう言わないでよ」

「カー」


「……本当に何を言ってるの?」

「カー?」


「やめますか」

「かぁ……」


 意気消沈していると突然、首筋に冷たさを感じた。


「うひゃ!?」と飛び上がりながら振り向くと

「同志。お疲れ様です」と笑顔の音流が立っていた。


 カランコロン、と揺らしながら、ラムネ瓶を手渡してくれる。陸はそれを受け取りながら、音流に肩を貸した。


「無茶しないでよ。待ってて、って言ったじゃん。鼻緒擦はなおずれした上に三回も足首を捻ってるんだから」

「同志が無茶してるんですから、付き合いますよ」


 音流はどこか誇らしげに言った。その顔を見ているうちに緊張と興奮がけてきて、陸はボソリ呟く。


「本当にあれでよかったのかなぁ」

「ウチはほとんど聞けませんでしたけど、大丈夫ですよ」

「なんでそんなこと言えるの……」

「だって、ウチがいますから」


 音流はこともなげに言い放った。しかしすぐに足首が痛みだして「いつつ」と顔をしかめた。


「そりゃ、いるけどさ……」と陸は意味も分からず、適当に返すと

「ウチは同志に救われた女ですよ。ウチの存在自体が証明です」と音流は胸を張る。


 陸は戸惑って、 でも、どこかうれしそうだ。


「僕は救ってなんかないんだけどなぁ」

「ウチは救われたと思ってますよ」

「なんでそんなに否定するんですか。流石にムッとします」


 陸は恥ずかしそうに唇を尖らせながらも、口を開く。


「……救われたから恋人になるとか、ロマンチックじゃないから」

「同志のロマンチックの基準は、よくわかりませんね」


 二人で話していると、カラス兄が目の前に降り立ってきて


「カー」と鳴いた。

「なんて言ってるの?」と陸が訊ねると

「『感謝する』だそうです」と音流は誇らしげに答えた。


 用を端的に済ませると、カラス兄は飛び立っていった。楓が向かったのと同じ方向だ。


 夜の空に溶け込んでいくカラス兄を見送ると、陸はゆっくりとため息をついた。


「はぁ、最後は全部カラス兄にかっさわれちゃったんだよなぁ」

「丸く収まったからいいじゃないですか」 

「僕としては、告白してフラれた気分なんだけど……」


 陸がボソリと呟いた。レアチーズケーキのためとはいえ、楓を励ましたのは自分なのに、カラス兄にすべてをかっさわれたと感じていた。


「落ち込まないでください。何ならウチに告白して上書きしてください。今なら絶対にオーケーしますので」


 音流は冗談まじりに言った。おそらくは本当言うとは思ってはいないのだろう。しかし――


「……好き、だよ」


 陸はぼそりと告白した。


 予想外の行動に、音流は目を丸くして、顔が赤くなっていった。


 恥ずかしさを紛らわすように、陸はボソボソと言い連ねていく。


「ちゃんと言ったことなかったからさ……。

 それに、元々今日言うつもりだったんだよ。花火のタイミングで、場所もちゃんと考えて……。

 それなのに、花火で日向ぼっこするって聞かないから」

「……はぁ、そんなことでしたか。慣れないことをするからですよ」


 音流は不服そうに頬を膨らませていたが、どこか楽しそうにはにかんでもいる。


「まあ、でも、同志っぽいですね」


 音流は潤んだ瞳で陸を見据えた。そして「改めまして」と前置きしてから


「わたしも好きですよ」と言った。

「そっか」


 陸は顔を赤くしながらも、素っ気なく返した。


「はい、好きです」

「うん」


 それでも音流はまだ繰り返す。


「好きです」

「……もういいって」


 陸は強い圧を感じて、一歩退いた。それでもお構いなしに、音流から発せられる圧はどんどん強まっていく。


「好きです」

「ええい、うるさい!」


 うっとうしくなってきて、陸はつい語気を強めてしまった。


「じゃあウチの口を塞いでみてくださいよ」


 音流は唇に指を当てながら挑発した。きっと、本当に実行する度胸は無いと高を括っていたのだろう。しかし――


(ああ、そうかよ! 元々そのつもりだったよ!)


 サプライズでデートプランを考えるロマンチストが、覚悟していないわけがなかった。


 二人の唇が、一瞬だけ触れ合った。


 しかし直後に、ガツン、と鈍い音が響いた。


「――――いっつ!」


 あまりにも勢いをつけすぎたせいで、前歯同士がぶつかってしまったのだ。


 陸が歯茎があまりにも痛くて、口元を押さえた。その目の前で、音流はポカンと陸の唇を見つめていた。


「ご、ごめん……」

「あはははははははははは!」


 陸が謝ると、音流は腹を抱えて笑い出した。


「いやあ、これは一生ネタにできますよ!」と音流が愉快そうに手を叩くと

「……やめてくれ」と陸は顔を手で覆った。


 音流は一通り笑い終えると、笑い涙を拭きながら口を開いた。 


「これで一か月は同志の彼女でいられます」

「ん? どういうこと?」


 陸の困惑顔を見て、音流が説明を加える。


「ウチの恋心は一か月更新です。最低でも一月に一回は惚れ直さないといけません」

「なにそれ、初耳なんだけど」


(あれ……)


 陸はすぐに気づいた。


 確か足音や心臓の音が好きと告白されたし、さっき一生ネタにできるとか言っていたな、と。


「その場その場でテキトー言ってない?」

「ありゃ。バレましたか。でも、毎月告白してくれると、とっても喜びます。いえ、出来れば毎日愛を囁いてください。なあに、一回できたんですから後は簡単ですよ」

「簡単に言ってくれるなぁ」


 ザ、ザ、ザザッ


 スピーカーからノイズが鳴ったかと思うと、アナウンスが流れ始めた。のど自慢大会は開始を告げるものだ。


「はぁ、見に行くのがちょっと怖いかも」


 嫌な予感を察して、陸は一歩退いた。しかしすぐに音流が背中を押す。


「大丈夫ですよ。どんな結果になろうと、ウチが同志を肯定します。一か月更新したばっかりですから」

「一か月過ぎたら?」


 恐る恐る訊いた。


「更新してくれないとダメです。ペッてします」


 音流は唾を吐き捨てるジェスチャーをとった。それを見た陸は「手厳しいな」と漏らした。


「心配しないでください。もしもの話ですよ」

「それでもなぁ」


 音流に手を差し出されて、陸はぎこちない動きで指を絡めた。


 二人は身を寄せて、支え合いながら歩き出すのだった。

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