第八十一話 もう、殺して

 楓は人混みを避けて、メインストリートからはずれたベンチに座っていた。八百屋さんが店番をさぼって一服するのに使用している場所で、知る人ぞ知る休憩スポットだ。


「ふぅ」


 ようやく人心地がつけた。さっきまで鼓膜を刺激していた喧騒が少し遠くなって、静けさに安心感すら覚える。


 ラムネ瓶に蓋を押し込んで、ビー玉を落とす。カランコロンという涼やかな音がよく響く程静かな雰囲気だ。


(はぁー、疲れた。まだのど自慢大会があるのか……)


 楓はすでに満足してしまっていた。それほどに濃いイベントばかりだった。それらを一つ一つ思い出していくと、なんだかテンションが上がっていき、自信がみなぎってくる。


(なんだか、今だったら何だって歌える気がする!)


 横に置いておいた貰い物の数々に視線を向ける。焼きそばやたこ焼き、リンゴ飴などなど。食べ物以外では金魚やキツネのお面もある。

 

(まずは体力をつけるためにも、食べよう)

 

 少しでも食べれば持ち運びやすくなるだろう、という魂胆もあった。


 自覚しているよりもお腹がいていて、ものの二十分ぐらいで半分を食べきった。


「はぁ、お腹いっぱい」


 残りは持ち帰ろう、と考えて、荷物を持って立ち上がった矢先だった。


 パン、と。響き渡った。


 聞きなれなくて、軽くて、よく響く音だった。


「なに!?」


 とっさに音のした方向を向くと、全身から血の気が引いた。顔から色が無くなっていき、目を離せなくなった。


 黒い影が、落下していた。


(どういうこと!?)


 楓がそれを見間違えるはずがなかった。


 聞き覚えのある高笑いが聞こえたが、気にする余裕はなかった。


 衝動に突き動かされるままに、ガムシャラに走り出そうとした。


 ある記憶がフラッシュバックした。初めてカラス兄に出会った日。あの時も落下するカラス兄の元に駆けていた。あの時は楓が撃ち落としのだが、今回は違う。受け止められる保証はどこにもない。


「————っ!」


 浴衣に下駄姿では存分に走れるわけがなかったのだ。数歩を走ることが出来ず、足を取られて転んでしまった。手に持っていた餞別と一緒に。


 金魚の入った袋と水風船が割れて、脇腹あたりが濡れた。


 焼きそばを腹部でつぶした。


 バリベリ、とキツネの仮面が割れた。


 すべて無残な状態になってしまった。


 顔を上げた瞬間。


 ベシャ、と。


 数歩先で、ボロ雑巾が落下したような音が響いた。


 真っ青な顔で立ち上がる。ビリッと浴衣のどこかが破れる音がした。


 下駄が邪魔に感じて、蹴り飛ばして裸足で駆ける。尖った小石を踏んでしまい、足裏に血がにじむ。それでもお構いなしだった。


「カラス兄!?」


 カラス兄は幸いにも血を流していなかったのだが、痛々しく震えていた。


 抱き寄せると、カラス兄は皮肉まじりにクチバシを開く。


『お前の投げる石に比べればマシだ』


 声は震えており、強がりなのは明らかだった。


「そんなこと言っている場合じゃないでしょ。どこケガしたの? すぐに手当てしないと」


 楓はとっさに着ている浴衣を千切ろうとしたが、カラス兄の翼に止められた。


『なあに二度目だ。前回よりはうまく受け身が出来た』

「二度目……?」

『あっ……!』


 カラス兄が気まずそうに顔を背けた。とても分かりやすい隠し事の仕草だ。


(え……なんで……?)


 ふつふつ、と楓の中で煮えたぎるものがあった。


 噴火寸前のように頭に血が上っていくと同時に、火山灰のような暗雲が心に影をさしていく。


「大丈夫か!?」


 声が聞こえた。今は聞きたくないのに。


 顔を見なくても、誰が来たのかを理解していた。


 鈴木陸。


 心配しながらも、どこか呑気な顔をぶら下げて、一人と一匹に駆け寄ってくる。


「ねえ、なんで言ってくれなかったの?」


 無意識に、威圧的な声音になっていた。


「なんの話?」と陸は戸惑いながらも質問で返した。

「こんなことが、二度目だってことだよ!」


 楓は陸のことを鋭く睨めつけながら言った。


 陸はバツの悪そうな顔を浮かべて、頬を掻いた。たったそれだけの行動が、琴線に触れた。


「なんで言ってくれなかったの!?」


 楓はヒステリックに叫び続ける。


「あのババアがやったんでしょ!? わたしのせいじゃん。なんでわたしを責めないの!?」


 あまりの剣幕に圧倒されながらも、陸が口を開く。


「そんなこと——」弱々しい言葉を遮って

「全部、わたしのせいだよ!」と楓は怒鳴りつけた。


 ふと、自分の頬に涙がつたっていることに気付く。意識をすると涙がとめどなくあふれ出てきてしまう。


「青木は何も悪くないだろ」


 陸は戸惑いながらも言った。しかしその言葉は心に響くことは無い。


「なんで、なんでなの? わたし、何も悪いことはしてないよね。『人助け』をして、し続けて、しなくちゃいけなくて……なのに、なんで……?」


 楓は涙声で自問自答を繰り返していた。


「おい、大丈夫……」


 慰めようとする陸に対して、楓は顔を上げた。


「——っ!」


 その顔を見た瞬間、陸は息を呑んだ。


 少女の顔はぐにゃりと歪んでいた。右半分は卑屈に笑い、左半分は悲しみに暮れている。一目見ただけで、不安が掻き立てられるような危うい雰囲気がある。


「本当は叫びたかった」


 涙と一緒に本音が流れ出ていく。


「なんでわたしが『人助け』をしないといけないの、って」


 独白する口を、止められない。まるで心の全てを嘔吐するかのように、吐き続けてしまう。


「本当は、わたしの方が助けてほしかった。わたしが苦しんでいる間、のほほんと暮らしていたヤツらのために、なんでわたしが心を砕かないといけないの!?」


 楓は声を張り上げていたのだが、糸が切れたように落ち着いて、ブツブツと呪うような口調へと変わっていく。


「でも、老木は言い返す前に死んでいて、逆らう理由もなくて、ずっとずっと『人助け』することばかり考えてた。

 どうやれば、一回でも多く『人助け』できるのか、どこが一番『人助け』を求めているだろうか。

 頑張って、辛くい時もいっぱいあって、でも老木が言っていたことだからって……」


 まるで言い訳をするかのように、つらつらと言い連ねている。


「わたしは、何を間違えたの……?」


 楓は無意識に肩をこすり出す。冬山で遭難したみたいに震えていて、顔は真っ白になっていた。


「生まれたと同時に母が死んで、聞きたくもないのにモノの声が聞こえて。

 わたしを助けてくれる人なんて全然現れないし、すぐにいなくなるし。それなのにわたしは『人助け』をしないといけなくて……」


 楓は何かに気付いたように、空を見上げた。


 夜空は真っ暗だった。夏祭りから漏れ出る光のせいか、星は全て隠れてしまっている。夏特有の遠くて冷たい月だけが、見下ろしている。


 月光に照らされた少女の顔には、いつもの面影は残っていなかった。正気も生気もなく、死ぬ間際のように見えてしまう。


「あ、そっか」


 なんの脈絡もなく、最悪の答えにたどり着いてしまった


「生まれてきたこと自体が、間違いだったんだ」


 虚ろな瞳は、暗い夜空の奥底を見ていた。


(ああ、疲れちゃった。あそこに行きたい。もうここにはいたくない)


 手を伸ばしていく。届かなくても、伸ばすことで何かが変わる気がした。


 ふわり、と。足首に何かが触れる感覚があった。足元を見ると、カラス兄が翼で触れていた。


「ぁ……」


 カラス兄何も言わない。ただ瞳で、態度で訴えかけてくる。そして、ゆっくりと視線を動かしていく。それにつられて、楓も目を滑らせる。


 その先には、陸が立っていた。


 戸惑いながらも、陸は深呼吸をして、言葉を紡ぐ。


「青木のやっていることは『人助け』じゃない」


 陸はきっぱりと言い切った。


「は?」とつい威圧的な言葉が漏れ出た。


 それでも陸は動じず、楓の前に立ちふさがり続けている。


「青木は甘えているだけだ」


 陸の確信めいた視線が、楓の虚ろな瞳に突き刺さる。


「わたしは鈴木陸、君のことがキライ」


 楓は恨めしそうな視線を向けた。


「知ってる。でも僕は君のことが好きだ。アイライクユー」

「何? わたしが最悪なことをしてるのも知らない癖に」


 本当はずっと隠しておくつもりだった。でも、もう隠しておく理由が思いつかなかった。ただただ自分を好きだとほざく少年を傷つけたかった。


「わたしは、君の大事な大事なお祖父ちゃんの腕時計を、盗んでいるんだよ」


 言った瞬間、目の前が真っ暗になった。すぐに陸の顔を見たくて、目を開けた。


(なんで、なの……?)


 しかし陸の顔色は何も変わっていなかった。答え合わせをするように、陸は口を開く。


「知ってた。とっくに知ってた」

「え?」と楓の口から間抜けな声が出た。


 陸ははっきりとした口調で続ける。


「日向から聞いていたんだ。

 チョメチョメに目覚めてすぐの頃、お礼に何かしたいと言われて、腕時計を探すのを手伝ってもらったんだ。

 その時に、青木のカバンの中から、それらしい声が聞こえるって……」

「それなら、なんで——」


 そのまま放置した。見て見ぬふりをした。大切なものじゃなかったのか。楓はそう問いたかった。しかし陸の先回りした答えが遮る。


「腕時計が、僕が、望んだからだよ。青木が持っていることを」

「なんなの、それ——」


 めまいがした。まるで世界が裏返ったかのような気分だった。


(わたしが、今まで、どんな想いで――)


 腕時計に縋っていたか。罪悪感にさいなまれながらも、寂しさを埋めるように、あの渋い声を聞き続けてきた。


 自分はつらい。でも自分は頑張っている。そんな自分は偉いんだ。よい子なんだ。そう、あの鈴木陸よりも。だから少しぐらいいいじゃないか、と。

 そう自分に言い聞かせて続けて、慰めていた。

 

 それなのに、相手は自分の悪事を知っていて、見逃していた。


 プライドにキズが付いた。それはほんの小さなキズだったが、心の弱った楓にとっては、最後の一押しになってしまった。


 ヒビが広がっていき、心が土くれみたいに砕けていく。


 意識が真っ暗な空に吸い込まれていく。




 疎外感が全身を包んでいく。


 わたしは、もう全部に嫌気が差した。


 自分にも。家族にも。周囲にも。生きる事にも。


 いっそのこと——。




 楓の顔は、まるで空から身投げする人間のようだった。


 機械的に動いた唇から、色の無い声が発せられる。


「もう、殺して」


 懇願するように、絞り出された。

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