第八十話 マグロと恋の解体ショー

 二回の告白を越え、楓はマグロの解体ショーを見るために歩いていた。夏祭りの始まったばかりと比べると、足取りが軽くなっていた。


 しかし道中、多くの知り合いに声を掛けられしまった。


「あ、楓お姉ちゃん!」


 よく野球で遊ぶ小学生たちに会った。すると、金魚と水ヨーヨーを渡された。


『うれしそうだね』と水ヨーヨーに指摘されて、楓は自分の顔を揉みほぐした。


 次に。


「よう、元気してるか?」


 焼きそばを売っている八百屋さんと目が合うと、山盛りの焼きそばを渡された。


 遠慮していると、さらに山盛りにされた。「自慢の野菜を使った特製の焼きそばだ」と太鼓判を押していたが、露店の奥から業務用カット野菜の声が聞こえていた。


「ありがとうございます」


 楓が素直に受け取ると、一瞬八百屋さんは戸惑った様子だったが、すぐに「おう!」とはにかんだ。


 その他にもりんご飴、かき氷、たい焼きなどなど。商店街の老人たち出会っては「いつものお礼だ」と渡され続けた。


 みるみると餞別せんべつは増えていき、抱えて歩くだけでも一苦労な量になる。


『うれしそうだね』と大合唱で聞こえた。楓は否定できなくて、控えめに笑った。


 周囲からの奇異な視線を気にしながら歩いていくと、人だかりを見つけた。


(あ、ここかな)


 器用に人を掻き分けて進んでいくと、すでに始まっていた。


「よっっっっっこらせええ!!」


 とても中年女性とは思えないほど野太い声を上げながら、魚屋さんは熱気の中心にいた。


 見たこともないような大きな包丁を豪快にあやつり、マグロを解体していっている。


(うわあ、スゴイ)


 そんな飾り気のない感想しか出ないほど、圧巻のパフォーマンスだった。


 マグロは流石にテレビで見る様な大きさではなかったが、楓とあまり変わらないサイズはあった。


 ふと周囲を見ると、観客たちは歓声をあげたり、スマホで撮影したりしていた。多くの視線を受けていても、魚屋さんの顔に緊張は見えない。ひたすらにマグロだけに集中していた。


 マグロと一対一の真剣勝負をしているようにも、いつくしんでいるようにも見える様な雰囲気を醸し出している。


 そんな中、楓はキョロキョロと人影を探していた。


(あ、いた)


 魚屋さんの脇に控えている男二人。一人は小生君で、もう一人は旦那さんだろう。

 二人とも主張の激しいエプロンをしめているにも関わらず、まるで黒子のように存在感が薄い。


 しかしすぐに顔を合わせるのは気まずくて、気づいていないフリをした。


 それからはマグロの解体ショーに集中することにした。 


(ああ、やっぱりいいなぁ)


 楓は解体ショーの空気が好きだった。


 解体を終えると、試食や刺身の販売が行われた。


 あっという間に売れて行き、楓の番になる頃にはほとんど残っていなかった。しかし魚屋さんは、どこからかパンパンに詰められたパックを取り出した。堂々と『楓ちゃん用』とマジックで書いてある。


「ほい、楓ちゃんスペシャル。のど自慢大会で頑張ってもらうためにね」

「ありがとうございます。でも、こんなに食べたらマグロの声になっちゃいますよ」

「あら、それは私得ね。じゃんじゃん食べてちょうだい」


 魚屋さんはこれまでにないぐらいにテンションが高かったし、楓もそれにあてられていた。


 冗談をかわして「またね」と


 背中に羽が生えた気分で、マグロの解体ショーを後にしたようとした矢先だった。

 

「あ、楓ちゃんだ! おーい!」


 それから数人の「おーい」が続いた。


 振り向くと、10人ぐらいの少女グループが手を振っていた。


「あ、部長。みんな」


 バレー部のメンバーだった。


 楓はよくバレー部の助っ人をしている。その頻度は非常に多く、他校の生徒から見れば、正規の部員にしか見えていないだろう。


「これ、楓ちゃんにそっくりだと思って」


 そう言いながら、キツネのお面を渡された。いかにも媚びたようなかわいらしいキツネではなく、頑固な顔立ちをしている。しかしよく似合っている、と口をそろえて言われて、悪い気分ではなかった。


『うれしそうだね』とお面が語り掛けてきて、「そうだよ、何が悪い」と少し拗ねながら返した。


 そんなことをしていると、部長が声を掛けてくる。


「ねえ、いっしょに回らない?」


 突然のお誘いだったが、無性に嬉しかった。


 部長は幸薄そうな見た目をしていて、気立てもよく、包容力がある。


(そんな彼女が、わたしは大好きだ)


 この気持ちは墓までもっていく覚悟だった。きっと部長にとっても迷惑だろうし、拒絶された時のことを考えたくもない。


 地団駄を踏みたい気持ちを抑えて、答える。


「ごめん。行きたいのはやまやまなんだけど、そろそろ出番が近いから」


 時間に余裕が無いわけではなかった。でも彼女たちと話してしまうと、時間を忘れてしまうのが怖かった。


「残念。でも、絶対に見に行くから」


 そう言われて、頬がわずかに上気する。しかし心の中がわずかにザワついた。


 歌を聴かれて、幻滅されないだろうか。笑われないだろうか。そんな不安がよぎる。


 それでも楓は健気に


「頑張るから、見に来てね」と言うしかなかった。


 ふと、自分の中で疑問が浮かんだ。


 わたしは本当に頑張ったのだろうか。頑張りが足らなかった気がする。あんなことをしている暇があったら、もっと練習できたんじゃないか。


 今更考えても仕方が無いと分かっているのに、頭が勝手に考えてしまう。


 助けを求めるように、嫌な考えから意識を逸らそうとすると、小生君の顔がフラッシュバックした。


 楓は雲に手を伸ばすような感覚で、突拍子もなく言う。


「あと、部長。好き・・だよ」


 本日二度目の告白だからだろうか。舌が滑らかにまわった。


「うん、わたしも楓のこと"好き"だよ」


 部長はすんなりと応えてくれた。


 きっと二人の"好き・・"には大きな隔たりがある。そんなことは承知でも、このやりとりだけで気力が湧いてくる。


 ふと、自分の中のモヤモヤが晴れていることに気付く。その理由は、ストンと理解できた。


(そっか、わたし、羨ましかったんだ)


 好きだと叫べる人間が。


 小生君が。ネルちゃんが。鈴木陸が。


 だから眩しく見えたし、惹かれていたし、どこか苦手だった。


「じゃあ! またね。ガンバって!」

「またね」


 楓は生乾きの笑顔を向けたまま、彼女たちの背中に大きく手を振り続けた。

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