第四十二話 下着姿で抱き合う二人は

 カーテンと見紛みまがう程の激しさで豪雨が降り注いでいる。


 貧弱な造りのバス停から出ることもできず、少年少女は下着姿で向かい合っている。


 陸はボクサーパンツだけになっており、特に鍛えていないだらしない体を露出させている。


 音流は飾り気のない薄ピンクのブラとショーツだけを身に着けており、濡れた黒髪が肌に貼り付いている。


 さっきまで身に着けていた服は二人分がまとめて置かれている。びしょびしょに濡れていて、男女の服が溶け合って見える。


「同志、先に座ってください」


 陸は促されるままベンチに座った。気を使われているのかな、程度にしか考えていなかった。しかし音流が接近してきたことで察した。とっさに目を閉じると、少女の弱々しい吐息を近くに感じられる。


 膝の上に重さを感じて目を開けると、予想通りの光景が映っていた。


 音流は、向かい合うようにして陸の膝の上に座っていた。確かに体を温めるのであれば最も効果的だろう。しかし思春期の陸には余りにも刺激が強すぎる。


 音流は迷いなく、陸の背中に手を回し体を密着させた。


 下着越しの――布一枚を挟んでいるだけの、豊満な胸の感触。触れ合う肌と肌。少女一人分の体重。消え入りそうなシャンプーの甘い香り。濡れた肌に触れると体の芯まで痺れる。


 そのすべての要素が、陸の弱いところをくすぐる。


 陸は吃音きつおんを漏らしながら、体を強張らせて衝動に耐え続ける。しかし徐々に慣れはじめ、恐る恐るだが音流を抱きしめようとする。最初は触れるのすら慎重で、少し触っては離し、触っては離しを繰り返していた。触れていいことが確信できて、ようやく背中に腕を回した。


 そうこうしている内に、音流の肌は赤みがかっており、熱を帯び始めていた。


(冷たくない。良かった)


 徐々にだが状況が好転している。


 落ち着く姿勢を見つけると、環境音だけの時間が続いた。


「いい音」


 音流が小さく呟いた。


 轟々と雨音が鳴り響き、強風が吹きすさぶ中でも、囁くような声は陸の耳にしっかり届いていた。


「同志の心臓の音は、すごく落ち着きます。じいじにとっても似てます」


 陸は喜んでいいかわからず、「あ、うん」と曖昧な相槌をうった。


「頭を撫でてください」


 言われるがままに音流の頭を撫でる。猫の赤ちゃんの産毛を撫でるようにそっと撫でているつもりだが、どこかぎこちない。


 音流はゆっくりと息を吐きながら、陸の胸に顔をうずめた。


「撫で方もじいじに似てます。手がもっとシワシワゴワゴワだったら完璧です」

「悪かったな」


 不機嫌になった陸は手を離そうとした。音流は「ぁ……」と名残惜しそうな声を漏らした後


「やめないでください。今は同志に撫でられていたいんです」とおねだりした。


 陸は照れながらも、再び音流の髪に触れる。


「音流って、下の名前で呼んでくれませんか?」


 陸は無言のまま渇いた唇を舐めた。先ほどからの怒涛のおねだりに、どうにかなりそうになっていた。


「ウチの名前、読んでください」


 普段の陸ならば、音流の要求にこたえられなかっただろう。しかし今は非現実的な状況に寄っているし、疲労で判断力が鈍っている。


 陸は唾を呑んで、意を決する。


「うん、わかったよ。音流」

「はい、同志」


 音流は目を皿にしながら、コクコクと力強く頷いた。まさか本当に呼んでもらえとは思っていなかったのだ。


「もう一回呼んでください」


 ほんの少しだけ間があった。しかしすぐにわずかに震える唇を開く。


「なに? 音流」


 音流は感極まった様子で、陸の胸に額を擦りつけた。


「この名前はじいじがつけてくれたんですよ。産声が川のせせらぎのようにキレイだったからって……。音色が川のように流れるという意味で、音流とつけたそうです。本当に孫バカですよね」

「本当に好きなんだね。じいじのこと」

「はい、好きです。好きでした」


 陸は自分のおじいちゃんの顔を思い出した。音流の切ない笑顔に重なって見えた。


「でも、じいじは死んじゃいました。ウチの目の前で、恨み言を遺して……」


 音頭を撫でていた陸の手を、音流は包むように握りしめた。


 陸は手の冷たさに悪寒を感じながらも、強く握り返した。


「聞いてくれますか?」


 陸は音流を強く抱き寄せた。少しでも近くで声を聞けるように。


 音流は安らかに目を閉じて、ポツリポツリと語り始めた。


 じいじが死んだ、その日の話。

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