第三十九話 SNS上のSOS写真

 現実に引き戻された陸は、自分が涙を流していることに気付いた。


 涙をぬぐい、鼻をチーンとかみ、顔を上げる。


(しばらくはあんな思いはしたくない)


 不安に駆られた陸は、音流宛にダイレクトメッセージを送った。しかし三十分待っても反応は無い。


 すぐに通知に気づくわけがないから、と自分に言い聞かせながら、パジャマから普段着に着替える。


 自室から出て階段を降りると、リビングから家族の団欒だんらんの音が聞こえてホッと息を吐く。

 泣いていたことがばれないように顔を洗ってから、リビングに入る。


「おはよう」


 お父さんとお母さんから「おはよう」と返しがあったが、妹は何も言わずタブレットをいじっている。いつも通りの日常だ。ただし、外では台風が天気を荒らしている。


「今日は随分早いじゃない」


 お母さんに言われて、陸は「んー」と生返事をした。陸は休日の日は昼飯時になるまで顔を出さない。だから、すでに9時を回っていても「早い」と言われる。


 しかし実際には早いのではなく、一睡もできていないのだ。昨夜のことがまだ脳裏に焼き付いており、寝付ける訳がなかった。


「あんた、顔色悪くない?」とお母さんは陸の顔を訝しげに見てくる。

「ん、寝られてない」

「何? 悪い点数のテストを隠しているなら早くだしなさいね」

「そんなんじゃない」

「じゃあ、なんなの」


 陸は一瞬、答えに詰まった。正直に答えるわけにいかず


「台風のせいだよ」と濁した。

「あんた、そんなに繊細だったっけ? 添い寝してあげようか?」

「思春期の息子にそんなこと言うなよ」

「まったく照れ屋なんだから」と茶化した後「なにか食べる?」と当然のように訊いた。

「食べる」

「じゃあちょっと待ってなさい」


 言うや否や、お母さんは台所で準備を始めた。


 待っているあいだ暇で、ソファに座ってテレビを見ることにした。


「お、珍しいな」

「別になんでもないよ」


 すでにお父さんがソファで寝そべっていた。重そうに体を動かして、スペースを開けてくれる。


 テレビでは台風情報が流れており、カッパを来たキャスターが暴雨にさらされながら、台風の激しさを実況している。

 現場の緊迫した雰囲気が液晶越しに伝わる中、お父さんが口を開く。


「寝られないのか」


(そんなに心配することじゃないでしょ)


 陸は内心うざったく思いつつも「台風のせいで」と淡々と返した。


「眠れないときはマスをかくといいぞ」

「ゴホッッッ!」


 突然の下ネタに、陸は思わずせき込んでしまった。


「これからの季節は暑くて寝つきが悪くなるが、女子の夏服姿とか水着姿が見られるからトントンだよな」


 さらに話を深堀りし始めたことに驚愕し、めまいがした。


「なんだ、これぐらいの話同級生としないのか」

「するわけないだろ! したとしても父親のは聞きたくない!」


 もうこの父親イヤだ! と手で顔を覆った瞬間だった。


「この下ネタオヤジ!」


 叫び声とともに、小柄な妹がお父さんの肩を強く叩いた。娘に甘いお父さんはタジタジといった様子だ。


 尚、お母さんは慣れているためか、スンと澄ました顔で朝食の準備を続けている。


(ナイスだ、妹)


 普段は妹のことをうざったらしく感じている陸だが、この時ばかりは感謝した。


 しかしすぐにある事実に気づく。


 妹が"マスを掻く"という言葉を下ネタだと認識している。中学2年生の陸でさえクラスメイトとの会話で、最近初めて知ったのだ。途中から会話についていけずに困り、帰宅してから検索したという経緯がある。

 そんなワードを、4歳も年下の妹が当たり前のように知っている。その事実は兄として衝撃的だった。


(耳年増すぎないか? まさか、お父さんの血が……)


 考えれば考える程頭が痛くなっていき、深く考えることをやめた。


「ほら、出来たからすぐに食べちゃって」


 お母さんに呼ばれて、食卓に着く。白いご飯。おかずは卵焼きとみそ汁とキムチ。朝食の定番だ。


「いただきます」


 2口程食べて、自然と箸が止まった。どうしても食欲がわかない。


 寝不足によるせいだけではない。胸の奥底に何かがつっかえている感触がある。それでも、せっかく用意してもらったのだから、とみそ汁がぬるくなるまでの時間をかけて食べきった。


「ごちそうさまでした」

「お粗末様でした」


 陸が皿を洗い場に持っていこうとすると、お母さんがササッと奪い取った。


「なんで」

「今日ぐらいはいいわよ」


 陸はむずがゆい気分になりながら、甘えることにした。


 お腹が膨れたら眠れるかと思い、自室に戻り再び布団をかぶる。しかし眠気はこれっぽっちも湧いてこない。目や瞼は疲れたと語り掛けてくるのに、脳と心が暴れまわっている。


 三十分程経っても眠れる気配がなくて、スマホをいじり始める。


 昨夜に充電を忘れていたためバッテリー残量が無く、面倒に思いながらケーブルを差した。


(ん!?)


 SNSを覗くと、音流の新しい投稿が目に入った。スマホの処理が遅く感じる程ガン見しながら投稿を表示すると、そこには写真だけが貼られていた。


 息を呑んで、冷や汗が流れた。


 それは青空の写真だった。背景からして河川敷で撮ったものだろう。なにも知らない人間が見ても、ただの風景写真にしか見えないだろう。


 しかし陸には理解ができた。


 これは今現在、撮られた写真だ。台風に襲われている中、唯一青空が微笑む場所で。


(これって、僕へのSOSなのか?)


 刹那、最悪なシナリオが脳裏をよぎる。


 陸と音流は台風の目で日向ぼっこをする計画を立てていた。しかし音流の母親にバレたことでご破算となった。もし、それでもまだ、音流が諦めて切れていなかったとしたら――。


 いや、それどころの話ではない。昨夜の音流は異常な精神状態だった。最終的に落ち着いたが、陸は"お願い"を断ってしまった。


 その結果、独りで断行してもおかしくはない。いや、それだけで済めばいい。


 陸はふと、外から人の声が聞こえることに気付いた。


 カーテンを開けると、豪雨の中で叫ぶ女性の姿があった。迷子を捜すように周囲を見渡しながら走っている。雨風のせいで声はかき消されていて、姿もぼんやりとしか見えないが、どこか音流に面影が重なって見える。


 カチリ、と。頭の中でパズルのピースがはまった。


 背筋が凍り、鳥肌が立った。


 すでに女性は分厚い雨のカーテンの向こうへと行ってしまった。


 脳裏に浮かんだのは葬式の光景。そして音流の顔。音流の笑みが灰色に染まっていき、祭壇の上に飾られるイメージが湧いてくる。


 無意識に走り出していた。


 突然に響いた大きな足音に、お母さんが反応した。


「陸、どこ行くの!?」

「大事な約束! 大丈夫、絶対戻ってくるから!」


 お母さんの制止を振り切り、玄関の扉を押し開ける。


 豪雨の中、少年はがむしゃらに走り抜けていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る