第二十八話 少年野球に混ざるチョメチョメ少女

 楓が次に向かったのは野球場だ。


 その野球場は、巨大な池を中心とした公園の設備の一つで、地元の小学生たちが放課後利用していることが多い。あくまで公園の一施設であるため管理は行き届いていないが、時々使用する社会人球団などが土を均しているような場所だ。


 この日もご多分に漏れず、小学生たちが和気藹々と試合をしていた。体格から3、4年生だとわかる。私服を着ており、同伴の大人がいないところを見ると、クラブ活動ではなく仲間内同士で遊んでいるのだろう。


 その輪の中に、一人だけ女子中学生が混じっている。


 言うまでもなく青木楓である。


 バッターボックスに立つ楓は、ピッチャーマウントに立つ少年に向かって「さあ来い!」と発破をかけつつ、金属バットを構えている。


 ピッチャーの投げた球は決して悪いものではなかった。


 内角低めのストレートだったのだが、楓は難なく打ち返した。カキンという小気味のいい音とともに、ボールは外野を超えていった。フェンスは無いのだが、ホームランであることは疑いようがないだろう。


「大人気ねぇ、ヨ」


 遠くへ飛ばされた白球を追いかける男子小学生に憐みの視線を送りつつ、そして自分の口から自然とラッパー口調が出たことに気付いて、小さくガッツポーズをとった。


(よし、ラッパーの真似もある程度板についてきた)


 そもそもラッパーの真似をすること自体が間違いなのだが、陸が自分で気づくべくもない。


 球場に視線を戻すと、回が変わり、今度は楓が守備の番になっていた。


(ネズミの中にクマが混ざっているみたいだ)


 楓は決して体格のよい方ではない。しかし3、4歳差のある少年達と並べば嫌でも目立つ。


 それほどに体格にも技量にも圧倒的な差があった。


(うわあ、かわいそう)


 ふと気になり、少年たちの様子を観察し始める。


 負けん気の強そうな少年は悔しがり

 のほほんとした少年は楽しそうな笑みを浮かべ

 気弱そうな少年は楓をチラチラ見ながら顔を赤らめている。


(小学生ってよく見ると個性があるな)


 そんなことを考えている自分に気付いて、陸は自然と嗤った。


(って、僕も一年ちょっと前は小学生だったんだよな)


 まだ自分が中学2年生で、たった数年前まで小学生だったという事実に、陸はいまいち現実味を感じられなかった。確かに小学生だったころの記憶はあるのだが、それはすごく遠い昔のような気がしている。


 野球はまだまだ4回裏だが、点数の開きから見ると逆転は不可能だろう。


 一方的な試合展開に飽きて、陸はスマホを取りだした。カメラアプリを起動し、インカメラに変えて自分の顔を画面に映す。それからマスクを外して、自分の化粧された顔を撮影し始めた。


(どうせ僕だってバレないでしょ)


 そう考えて、陸は少し大胆な行動に出た。

 ストーキング中で人通りがあるにも関わらず堂々と自撮りを始めたのだ。恥ずかしがり屋の陸なら絶対にやらない行動だ。しかし今の陸は変身した自分に酔っているのだ。


 それどころか徐々にヒートアップしていき、「はぁい!」や「いいね!」など、大きな独り言を発し始めてしまった。


 トン、と。


 突然、肩を叩かれた。陸は驚きのあまりに飛び上がったのだが、表情を変えている途中だったため、変顔のまま振り返ってしまう。


「もしかして、同志ですか……?」


 そこには困惑している音流の顔があった。


 知り合いに気づかれるとは思っていなかった陸は、変顔の上に頬をひきつらせてしまい、"ひょっとこ"のような顔面になっていた。


「そうだ、ヨ」


 ラッパーの真似の癖が残っていたため、ラッパー口調が思わず出た。


 いくつもの珍事が重なり、"ラッパー口調のひょっとこ顔"が完成してしまった。


「なんなんですか、ひっ、あははははははは!」


 それを見た音流は腹を抱えて笑った


 逆に陸の頭の中はスーッと冷めていった。さっきまでの自分の奇行の数々を思い出し、恥ずかしさのあまりに手で顔を覆った。


「いやー、心の底からこんなに笑えたのなんて久しぶりですよ。やっぱり同志といると元気が出ますね」


 まだ余韻が残っているのか引き笑いを繰り返しながら、音流は言った。


「もうやめて……」


 陸が弱々しく懇願しても、音流の笑い声が収まる気配はない。


 二分程過ぎるとようやく落ち着いたのだが、あまりにも嗤われ過ぎて、陸はむくれてしまっていた。


「同志。こんなところで何をしてるんですか?」


 音流が訊ねても、陸は頑として答えない。


「あそこにいるのは楓さんですか? どうして小学生と野球を?」


 まだ陸は意固地なあまで、口を堅く結んでいる。それでも音流は話しかけるのをやめない。


「同志、今日はすごいイケメンさんですね。何かいいことでもあったんですか?」

「……わかる?」


 音流の単純な誉め言葉を真に受け、陸はだらしなく反応した。


「服装もいつもと雰囲気が違っていいですし、何よりメイクが細やかですごいです。もはや特殊メイクですよ」

「清水……『Bruggeブルージュ喫茶』の男性店員にやってもらった」と陸はなぜか誇らしげに言った。

「あのイケメンさんですか」

「そう。あのイケすかないメン」

「同志は敵対心メラメラですね」


 音流は愉快そうに目尻に皺を作りながら、改めて陸の顔を見つめ始めた。


「本当にすごいメイク技術です。もうちょっと見せてもらえませんか?」


 余程興味があるのか、陸の返事を待たずに詰め寄りはじめた。


「ちょ、近い」


 音流はまるで芸術品を見る様な透き通った瞳で、陸の顔を眺めている。距離は非常に近く、鼻先がくっつきそうな程だ。


(僕の顔を見ているわけじゃない——のはわかってるけど)


 何度も心の中で復唱しても、陸の心臓は激しく高鳴り続ける。


「ちょっと、離れて……」


 陸は我慢できなくなり、距離を取ろうと退いた。それでようやく音流はハッとして、照れ隠しなのか、前髪をいじり始めた。


「すみません。調子に乗り過ぎました」

「いや、なんというか、こっちこそごめん」


 しばらくむずかゆい無言が続いた。お互いにかける言葉がない、というわけではなく、心を落ち着かせるための時間だった。しばらくすると、自然と会話が始まる。


「そういえば、なんで変装しているのに僕だってわかったの?」とまだ耳が赤い陸が問いかけると

「声と足音ですね。案外同志のは独特ですから、すぐにわかりました」と音流は普段よりも控え目な声で答えた。


 音流の聴覚は秀でており、足音を聞き分けたり、常人では聞こえないような小さい音すら拾うことが出来る。


「でも、同志はどうしてメイクをしているんですか?」

「ちょっとスパイミッションを請け負っていて——」


 陸は事の顛末をかいつまんで説明をした。君乃から依頼を受けて楓の動向を調査していること。変装のために清水から服を借りて化粧を施されたこと。そして服装に合わせてラッパーになりきっていたこと。

 

 話を聞き終えた音流は


「それでラッパーの真似をするなんて、さすがというべきか、同志らしいですね」と弾んだ声で感想を述べた。

「それ、褒めてる?」

「ウチはいつもそんな同志に助けられてますよ」


 音流の優し気な笑みを見て、陸はフイッと顔を背けた。しかしすぐに「あれ? はぐらかされてる?」と気づいて音流に対する目は、訝しげなものに変わった。


「まあでも実際問題、楓さんにはバレてそうですね。なにせラッパー風不審者さんが後を追っていたんですから」


 突然の真っ当な指摘に、陸は渋い顔をした。過去の自分のバカさ加減に飽きれて、何も言い返せない。


「ですけど、楓さんが放置する理由はなさそうですし、よくわからないですね」

「そうだよな、その通りだよな」と陸は便乗して何度も頷いた。

「それにしても、なんで楓さんのお姉さんはストーキングを頼んだんでしょうか」


(確かに)


 陸がストーキングをする理由は『君乃に依頼されたから』なのだが、君乃がストーキングを頼んだ理由はいまいち具体性にかける。


「まあ、考えても仕方ないですよね。まあ、ウチとしては感謝するばかりです」


 それはどういう意味だろうか、と考えるよりも早く、音流はスマホを取りだしてシャッター音を鳴らした。あまりにも突然だったため、陸は「ナニゴト!?」と素っ頓狂な声を上げた。


「記念ですよ」


 今度は陸の隣に移動し、インカメラで写真を撮り始めた。


 元々メイクした自分を撮影していた陸である。ノリノリでポーズをとる。三十枚程写真に収めると、音流は満足気に頷いた。


「ありがとうございます。今送っちゃいますね」


 音流は言うや否や、スマホをし、陸のスマホの通知音がなる。確認すると、そこにあったのはノリノリで決め顔をする自分だった。


(うわ、かっこつけすぎだろ)


 しかも女子とのツーショットである。陸は恥ずかしさのあまり悶絶した。その反応が予想度通りだったのか、それともかわいいと思ったのか、クスクスと笑った。


「さて、ウチはそろそろ行きますね。このままでは日向ぼっこする時間が無くなってしまいます」

「うん、またね」

「はい! また会いましょう」


 音流は腕を振りながら去っていった。


「ちょ、あぶ」


 後ろ向きに歩くものだから転びそうになったが、すんでのところで持ち直して、恥ずかしそうにお辞儀した。


 胸を撫でおろした陸は、球場に視線を滑らせた。すると、陸と楓の視線が一瞬交わった。しかしほんの一瞬の出来事で、気づかれたのか判断できず、狐につつまれた気分になった。


(あれ、なんか既視感が)


 初めて楓にあった日、廊下の踊り場から校庭で木と話している楓を観察していた時と似た状況なのだが、陸本人は記憶を結び付けることが出来なかった。


 諦めて、小学生たちの試合に視線を戻す。


 試合は終了しており、もちろん楓の参加したチームが勝利していた。楓は小学生達にお菓子を配った後、どこかへと向かい、陸はその跡をつけ再びつける。


 しかし数歩進んで、あることに気付いて足を止めた。


「今日、曇りなんだけど」


 陸はあまり深く考えず「日向なら曇りでも日向ぼっこするか」と思い直して再度前を向いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る