第二十六話 少年、はじめての化粧

 ストーキングの際は地味な服がいいと、と普通は思うかもしれない。


 しかし実際に肝要なのは、周囲に溶け込むことである。下手に地味にしすぎると逆に浮いてしまうし、派手にし過ぎても目立ってしまう。


 不自然さを感じさせない。そうすれば相手は勘ぐることすらせず、見つかる道理はない。


「なんでそんなに詳しいんですか、清水さん」

「昔色々あったなからな、思い出したくないことがな」


 そう言う清水の顔は、不意に梅干を食べたかのように渋かった。過去のストーキング被害の数々を思い出したためだろう。


 陸はふいに周囲を見渡す。


(なんか落ち着かない)


 陸は今、清水の家に訪れている。


 見渡すばかりのオシャレ。家具やオブジェクトは知らない形状をしており、まるでドラマの中に来たみたいだ。それほどまでに、陸の家とは何から何まで違う。


 陸の家が特段貧乏、というわけではない。ただ単にこだわりの違いでしかない。


 しかし陸の家と清水の部屋を見比べると、よりお金を持っていそうなのは後者だというのも事実である。


 その他に筋トレグッズ敷き詰められたコーナーがあったり、少年漫画がこれでもかと並べられた本棚が目につく。陸が知る作品が少ないのは年代差のせいだろう。


「結構いいところに住んでますね。成金っぽいです」

「少し背伸びしているんだ。セキュリティを考えるとなぁ」

「そんなに大事ですか?」


 陸が何ともなしに訊くと、清水は「これだから子供は」と言わんばかりに肩をすくめた。


「お前も、髪の毛の一本を袋に仕舞う不審者を目撃すればわかるさ」

「呪い用ですかね。どこで恨みをかったんですか」

「呪いや殺意の方がマシではあるな」


 ことごとく嫌味がかわされて、陸は歯ぎしりをした。そんな年下の少年に、清水はしたり顔をみせつけた。


 それから、そろそろ本題に入るか、と言わんばかりに顔を引き締める。


「今回のミッションは楓ちゃんの動向を探ることだ」

「ミッションって……」


 陸が清水宅に足を運んだ理由は、君乃に依頼された『楓ストーキング作戦』を遂行するためだ。


「もしすべてが露呈した場合、姉妹の絆に軋轢を生む。それだけは避けなければならない。

 万が一ストーキングがばれることがあっても、お前は依頼主を決して明かしてはならない。自分の意思でやったのだと主張しろ。それがスパイの鉄則だ」

「スパイって……」


 どこか楽しそうな清水の顔を見ていると妙に腹がたって、陸は「しくじった場合はこいつのせいにしてやろう」と心の中で誓った。


「大体、ストーキングする必要ありますか? 聞けば答えてくれると思いますけど」

「みんな素直じゃないからな。楓ちゃんは特にだ。色々と抱えるだけ抱えて、後生大事に抱え続けてしまう。

 心のコレストロールがびっしりだ。今にも破裂しそうで怖いんだよ。それをなんとかしたくてな」


(本当にそうか?)


 陸はカラス兄と喧嘩する楓の罵倒の数々を思い出して、疑問に思った。明らかに感情をもろ出しにしていた。しかしカラス兄については口止めされていることを思い出し、素知らぬ顔を決め込んだ。


「じゃあ、なんで僕なんですか。ストーキングするのは清水さんでもいいじゃないですか」

「さすがに俺の背格好は目立ちすぎる。高身長で筋肉質。どこにいても目立ってしまう。その点、鈴木は完璧だ。中肉中背の一般的な男子中学生だ。まあ、見た目だけだがな」


 清水が服を手渡し、陸は不服ながらも受け取った。


「洗面所で着替えてこい」


 言われるがまま腰を上げた陸は、キレイに掃除された廊下を通り、洗面所のドアを押し開けた。


(なんか知らない臭いがする)


 臭いの正体はすぐに察しがついた。大量の制汗スプレーや化粧水、香水、ニキビ薬、化粧道具などが所せましに並べられていた。おそらくは、それらのどれかから漏れているのだろう。


(お母さんのよりも多いし、高そう)


 視線を横に動かすと巨大なプロテインの袋が並んでおり、陸は思わず面食らった。


(あー、いやだ)


 突然居たたまれない気持ちになって、そそくさと着替えて、洗面所を後にした。


 リビングに戻ると、無地のTシャツにデニムパンツというシンプルな格好の清水に連れられ、姿見の前に立たされる。


「お、中々いいじゃないか」と清水が意外そうに褒めると

「嫌味ですか。全然着せられてる感ありますよ」と陸は低い声で否定した。

「それだからお前はダメなんだよ」

「事実ですよ」

「……まあ、そこは一旦いいか」


 陸の眉間にさらに皺が寄った。


 陸が着せられたのは、ダボッとした服だった。まるでラッパーやダンサーのように見える。大き目のTシャツには汚い英語のロゴが印刷されているのだが、陸はその意味を知らない。


(こいつだったら平気で着こなすんだろうな)


 陸のような寸胴体型では、いまいち様になっていない。しかし、清水のようなスリーと体型が着ればバッチリ決まるであろうことは想像に難くない。


「もっと他のじゃダメなんですか。なんか恥ずかしいんですけど」

「我慢してくれ。シルエットを隠すのにちょうどいいんだ」

「そりゃそうですけど……」


 ストーキング用の服装だと割り切ろうとしても、陸の心のモヤモヤは晴れなかった。


「あとは化粧だな」

「化粧……?」


 陸ははてなマークを浮かべた。いや、言葉は知っているのだが、自分に関係があるワードとは思っていなかったのだ。


「帽子をかぶって、マスクをしても目元で判断されるかもしれない。だから細工程度だがメイクを施す」

「ああ、なるほど」


 陸は納得し、化粧台の前に座った。しかし清水は嘘をついていた。いや、最初は嘘をつくつもりはなかったのかもしれない。


 陸は知らなかったのだ。清水の負けず嫌いから来る凝り性のひどさを。


 執拗に肌に叩きつけられるローション。


 甘い匂いのするファンデーションが舞う。


 自分の顔面を滑る刷毛はけのこそばゆさに耐え続ける。


 目を開いては閉じ、口を開いては閉じ、開いては閉じ……。


 一時間以上は顔面をこねくり回されただろうか。憔悴する陸の精神とは反比例して、顔面は劇的な変化を遂げていく。


 まるでまっさらな石柱に人の像を彫るように、特徴の無かった陸の顔に色が出始める。目が大きくなり、鼻が小さく高くなり、二重まぶたが際立っていく。

 錯覚を十全に活かした妙技は、一般的な顔立ちをイケメンへと変貌させる。


「これがボク……?」


 鏡に映った自分の顔を見た瞬間、陸は目を見開いた。口を開けるまで自分の顔だと信じられない程の変貌ぶりだ。


「ふむ。我ながら良い出来だ」

「すごい……」

 

 陸の素直な賞賛を受けて満足げだったのだが、すぐに表情が変わり、険しくなる


 まるで自分の下手な作品を見る油絵画家のような目付きで、陸の顔をつぶさに確認したかと思うと


「うーん、ここが少し薄いか。1ミリだけ書き足したほうがいいだろうか。ここはぼかしが足りなそうだ」などと呟きながら気になるところに手を加え始めた。


 しかし陸はすでに一時間近く座りっぱなしで限界だ。


「もう、充分、ですから!」

「いやいや、もう少しだけ。一度気になると止まらない。頼む」


 貧弱な腕しか持たない陸では、筋トレバカの清水に抵抗できるわけがなかった。


 なし崩し的に三十分の延長が入った。


 三十分後。


 完成した顔を見た陸は、ポカンと開いた口がふさがらなかった。


(え? 何か変わった?)


 三十分我慢した成果が『何も変わらない』にしか見えなかった。実際、細かな微調整しかしておらず、パッと見ではわからない。


「どうだ。俺のメイク技術は」


 陸が項垂れている横で、作成者である清水は満足気に頷いていた。


(無視無視)


 改めて鏡に映った自分の顔を見ると、自然と口角が上がる。


(まあでもいっか)


 そう割り切れる程、化粧された自分の顔を気に入っていた。

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