第十五話 商店街とカラスと喧嘩

「やっぱり、ウチは日向ぼっこしていた方がいいです」


 そんな音流の弱音でジムの体験入会は終わりを迎えた。


 ジム体験に訪れた陸と音流と楓の三人は、ランニングマシンなどの簡単な器具に触れることになった。


 まず音流が意気揚々とランニングマシンに乗ったのだが、十歩も踏み出さないうちに足がもつれて盛大に転んだ。

 音流は一見、走り回る犬のように陽気な少女なのだが、その実運動が大の苦手だったのだ。目撃した誰もが驚愕していた。


 対して、楓は黙々と走り込んでいた。ただ一心不乱に姿勢よく走る姿に、陸は舌を巻いた。


 尚、陸はというと、三枚舌でノラリクラリかわして一切トレーニングに参加しなかった。


 結局誰もジムに入会することは無く、体験入会は幕を閉じた。


 尚、発起人である清水はトレーニングに熱が入ったため、まだ筋肉を追い込んでいる。


「すみません。同志、青木さん。迷惑をおかけしてしまいました」


 音流が丁寧にお辞儀するのに対して、陸は気軽に手を振った。


「いや、助かったよ。走らない口実ができた」と陸が言うと

「フクザツです」と音流は肩を落とした。


 音流の鼻には陸が渡した絆創膏が貼られており、それを見た陸はわんぱく小僧みたいだ、鼻息を漏らした。


 今度は楓に向き直ると


「青木さんはカッコよかったです!」と称賛の声を上げた。


陸はあえて声に出さなかったが、顔にはありありと「確かにその通りだ」と書かれていた。


 照れ半分困り半分の楓は頬を掻いた。


「ありがとう。でもただ走っていただけだから」

「走っている姿がカッコよかったです! ウチなんてすぐに転んじゃったので」


 恥ずかしさに耐えられなくなった楓は


「そういえば、日向ぼっこの方はどう?」と露骨に話題を変えた。


 すると、音流の表情がみるみると沈んでいった。それを見て、楓はハッとして自分の間違いに気づいた。


「そっちの方は中々うまくいっていません。同志にも協力していただいているのですが」

「そうなんだ。ごめんね。あんまり手伝えなくて。でも、きっとうまくいくよ」

「……ありがとうございます」

 

 楓は軽く手を叩いて、気分を切り替える。


「さっきから気になっていたけど、その同志って何?」


 音流は「この人のことです」と言わんばかりに隣にいる少年を指さし、陸は肩をすくめた。


「日向ぼっこの魅力を分かち合った同志なので、同志と呼んでいます」

「何だか日向ぼっこが新興宗教みたいに聞こえる」

「まあ、間違って無い気がする」


 陸は曖昧に同意した。内心、同じことを思っていたからだ。

 二人としては少し茶化しただけなのだが、音流は重く考えたのか、陸に問いかける。


「同志——鈴木君は、同志と呼ばれるのが嫌ですか?」


 うるんだ瞳に見つめられて、陸は息を呑んだ。冗談で流せる雰囲気ではないと悟って「別に」と端的に返した。それが陸にとっての精いっぱいの肯定だった。


 音流は胸をなでおろした。その横で、楓の「なにそれ」と言いたげな生暖かい視線と陸の「なんだよ」と言いたげな鋭い視線がぶつかっていた。


 そうこうしているうちに、三人は商店街のゲートをくぐった。


 商店街はシャッターが下りている店舗が多く、閑古鳥が鳴いている。ひっそりと開いている店が点在しているが、活気はなく退廃的な雰囲気が強い。


「こんばんは!」


 そんな場所で、楓は水を得た魚のように生き生きしていた。楓の姿を見つけた老人たちは訛りの強い言葉を投げかけながら、三人を囲んでいった。


 あれよあれよと食堂に運ばれた若人わこうど三人は、大量の飴と炭酸飲料が積まれたテーブルの前に座らされた。


 陸と音流は老人たちに話しかけられても、あまりの訛りの強さに聞き取ることも出来ず、目を回すばかりだ。しかしその一方で、楓だけは平然と受け答えしている。


(常連なのか?)


 楓が浮かべる自然な笑顔を見て陸は飴を舐めた。初めて食べたはずだが、昔ながらの黒飴の味に陸は、懐かしい、と感想を抱いた。


(あ、日向はヤバそう)


 陸は親戚の集まりなどで、訳の分からない話を聞き流すことに慣れている。しかし音流はそうではなかった。緊張や動揺や混乱で、顔色が悪い。


 陸はすぐさま楓の肩を叩いて、具合の悪そうな音流を指さした。すぐに察した楓は「すみません、この後用事があるんです」と食堂の店主に告げた。


 楓は貼り紙を一枚受け取り、商店街を後にした。


「凄かったです。なんというか、圧が」と音流が項垂れながら言い

「……今日は疲れた」と漏らす陸の瞳からは生気が消えていた。


「巻き込んじゃってごめんね」と楓は申し訳なさそうに手を合わせていた。


 商店街から出てしばらく歩くと、住宅街のT字路に差し掛かった。


「それではウチはこっちですので。サヨサラです。同志。青木さん」


 ブンブンと大きく腕を振りながら、音流は去っていった。


 音流の姿が見えなくなると、残された二人の空気がわずかに固くなった。特別相手を嫌っているわけではないが、どう接していいかわからない。そんな物同士特有の空気感だった。


「随分仲よくなったんだ」と楓がボソリと言うと

「まあ、相性が良かったんだろう」と陸はぶっきらぼうに返した。


 陸と楓は示し合わせたわけでもなく、三人の時よりも歩幅が広くなっていく。


「お姉ちゃんから鞍替えするの早くない?」

「……そんなんじゃない」


(一緒にいて楽しいし、気兼ねしなくていいし楽なのは確かなんだけど)


 陸は自分の心の中で迷宮めいた感情を見つけたのだが、見て見ぬふりを決め込んだ。


「僕はもっと大人な女性が好きだ。グラマラスで母性があって、おしとやかな人がいい」

「母性。おしとやか、ねえ……」と楓は意味深にトーンを落とした。

「君乃さんは違うって言いたいのかよ」

「清水さんが筋トレにはまった理由、知ってる?」


 陸はそんなの知るわけないだろ、と思いながら首を振った。


「お姉ちゃんに腕相撲で負けたからだよ。鍛えている今でも勝ててないけど」

「はあ!?」


 驚愕する陸の表情を見て楓は大声で笑った。


 陸が「ウソだろ!?」と詰め寄ると楓は「ほんとほんと」と本気なのか冗談なのかわからない返事をするばかりだった。


(いや、さすがにありえないだろ)


 陸は想像した。君乃の細くしなやかな腕と、清水の引き締まった腕がぶつかる瞬間を。どう考えても勝者は後者だ。


 楓は愉快そうに背中を揺らしており、陸はさらに眉間にしわを寄せた。しかし手に持っているものが気になり、指さす。


「なあ、何を頼まれてたんだ?」


 陸は楓の持っているチラシを指差した。


「君には関係ないじゃん」

「気になって眠れない。明日英語の小テストがあるんだ。点数が低かったら困る。唯一の得意科目だから」

「わたしが話さなければ、君は困るってこと?」

「そうなるかもしれない」


 大きなため息をついた後、したり顔の陸をにらみつけた。


「言い回しが回りくどいのは嫌い。面倒くさい」


 面倒くさいのはどっちだ、と内心悪態をつきながら陸は言い直す文言を考えた。


「話してくれれば、僕を助けることは『人助け』になる。言いいたくないことなら言わなくていいけど」


 陸は楓の『人助け』に対する異常な執着に気づいていた。だからこそ、こう言えば断れないと確信している。


 楓は再びため息をついた後、自分の頬をバチンと両手で叩いた。突然の行動に驚き、陸は大げさに飛び跳ねた。


「今年の夏祭りでのど自慢大会をするから、歌ってくれって頼まれた」


 なんだそんなことか、と陸は思った。しかし楓の顔がどこか強張っているのが気にかかった。


 さらに言及しようと口を開いた瞬間だった。


 カアアアアァァァァ!


 けたたましいカラスの鳴き声が頭上から響いた。


 とっさに視線を向けると、大きなカラスが電線に乗っていた。羽の艶がよく、目を見張るほどに大きい。普通のカラスではないと一目で理解できる。


(ちょ、ウソだろ!?)


 カラスはあろうことかお尻をムズムズと振るわせ始めていた。尻の先から白いものが見えている。


 陸が走り出すよりも早く、楓が動いた。足元から小石を拾い、大きく振りかぶったのだ。カラスめがけて投げられた小石は弾丸ライナーで飛翔し、カラスの足を撃ち抜いた。

 バランスを崩したカラスは木の上に落下していった。その様子を見た楓は「よし!」とガッツポーズをとった。


「なにごと!?」


 狼狽える陸を蚊帳の外にして、楓とカラスは対峙している。


 カラスが楓に向けて滑空すると、楓はそれをドッジボールのように避け、再びカラスに石を投げた。しかし今度は当たることなく陸の足元に落ちた。


 カラスは殴りつけるようにカーカーと鳴き、対する楓は「アホ」や「バカ」とか「おたんこなす」など、幼稚な罵詈雑言を吐きまくっている。


(なんか、兄弟喧嘩みたいだ)


 陸は『少女とカラスの喧嘩風景』というシュールな光景を前にして唖然としながらも、スマホを取りだして、カメラを向けた。


 ピッ、と。


 何ともなしに音流に動画を送ると、たった数秒で返信が来た。


 なぜか獅子舞がサムズアップしている画像だった。


(変な奴ばっかりだよなぁ)


 もちろん陸本人も例外ではないのだ。

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