姉と弟

 



「あ~心配だ~心配だ~……」


「マリちゃん、もう一週間も部屋に閉じこもってるわよねぇ」


「「お嬢様……おいたわしや」」


 王都に行っていたマリンダは、死人同然のような顔で戻ってきた。

 結婚のお祝いをしようと盛大に準備して待っていただけに、マリンダの顔を見た時は何があったのかと酷く困惑していた。


 何も言わず部屋に閉じこもってしまったので本人の口からは聞けなかったが、大体の事情はルクスから聞いている。


 カールには公爵家の娘であるサラスヴァティ・ベルという婚約者が居たのだと。それを聞いた時はそんな馬鹿なと驚愕し、それはまぁ怒り狂った。


 婚約者が居ながら、よくもマリンダの純情を弄んでくれたな、と。

 オブライエンを筆頭に、執事やメイド達が揃って王家に戦争を仕掛ける勢いだったのだが、イリーナのドスの効いた声で止められて早まることはしなかった。


 だが、バルクホルン家の皆がマリンダのことを心配している。

 この一週間部屋に塞ぎ込んでしまい、食事もろくに取っていない。オブライエンやイリーナが声をかけても全く反応がなかった。


 三度の婚約破棄をされても、社交界で99敗を喫してもここまで塞ぎ込むことはなかった。それだけカールの事を真剣に想っており、裏切られたことに深く傷つき悲しんでいるのだろう。


「カール様……」


 ベッドの上で毛布を被りながらうずくまっているマリンダは、愛しい彼の名前を呟く。


 この一週間、マリンダはずっとカールの事を忘れようとしては思い出すを繰り返していた。一緒にダンスをしたことも、街デートをしたことも、二人で乗馬したことも、唇を交わしたことも。


 カールと出会ってからは本当に楽しくて、幸せな時間だった。

 一緒に王都へ行こうと言ってくれた時は嬉しかった。結婚の話ではないかと舞い上がっていた。


 だけど現実は無残なものだ。

 サラという女性が現れて、カールの婚約者だと言ってきた。信じられなかった……何かの冗談だと言って欲しかったがカールは否定しなかったのだ。


 本当は追いかけて欲しかった。けどカールは追いかけてきてくれなかった。

 自分はカールに弄ばれていただけ。浮かれて舞い上がっていた自分が愚かだったのだ。


 辛くて悲しくて、枯れ果てるほど涙を流した。


 だけど、何故だろうか。

 裏切られたというのに、カールのことを嫌いにはなれなくて、憎みきれなかった。それどころか、楽しい思い出ばかりが浮かんできてしまう。


 それは多分、今でも。

 マリンダはカールのことが好きだからなのだろう。


「姉さん、入るよ」


 コンコンと扉を叩いて、ルクスがマリンダの部屋に入ってくる。

 ベッドの上で毛布にくるまりながら団子状態になっている姉に、ルクスはため息を吐いた。


「もう一週間経ったんだからさ、そろそろ立ち直ってもいいんじゃない」


「わたくしの事は放っておいて」


「そんな事言わないで……さ!」


「きゃ!」


 いじけている姉の毛布を強引にひっぺがす。

 沢山泣いたのだろう、姉の目元は腫れあがっていた。綺麗な髪も艶やかさを失っており、ろくに食べていないから肌も荒れていて、それはまぁ酷い有様だった。


 普段から淑女レディの嗜みを怠らない姉とは到底考えられないほど無残な姿である。


「おやまぁ、荒れてるねぇ」


「何するんですの、失礼ですわよ!」


「別に弟なんだからいいじゃないか」


「お、弟でもやっていい事と悪いことがありますわ!」


「まぁそんなことはどうでもいいから僕の話を聞いてよ」


 珍しくグイグイくるルクスは、ベッドの端に腰掛ける。


「姉さんにカールの事を話そうと思ってさ」


「別に……聞きたくありませんわ」


「まぁそう言わないでよ」


 そう言って、ルクスはカールが置かれている状況を搔い摘んで説明する。

 子供の頃から厳しく育てられ、王宮の中に閉じ込められていた。それに嫌気が差し、王宮の外に出たことをきっかけに夢を抱く。


 だが、それを良しとしない王妃が病弱なサラと婚約させ、再び王宮に閉じ込めようとする。カールは婚約破棄をしようとしたが、サラが自決しようとして諦めた。


 己の夢を諦めたカールは、退屈な日々を過ごすようになった。

 カールの事情を聞いたマリンダは、俯きながら口を開く。


「そんな事が……」


「あいつ、自分のことをこう言ってたんだ。自由に空を飛べず、王宮という鳥籠に閉じ込められた哀れな鳥なんだってね」


「……」


 知らなかった。

 太陽のような笑顔の裏に、そんな暗い感情を隠していたなんて。


 確かに、カールには同情してしまう。

 王宮に閉じ込められていることも、サラと無理矢理婚約させられたことも。


 だがしかし、王家や貴族の世界ではよくある話だ。駆け落ちした、なんて話はなくもないが、上に立つ人間は基本的に定められた運命からは逃れられない。

 それに――、


「それを聞いたところで、わたくしには何もできませんわ。それに……わたくしはカール様に裏切られたんですのよ」


 最初から、マリンダは蚊帳の外だったのだ。

 サラという婚約者が居ながら、期待させるだけ期待させておいて、いざとなったらポイと捨てられた。

 どうしてもっと早く婚約者のことを言ってくれなかったのだろう。

 言ってくれたら、叶わぬ恋をせずに済んだのに。こんなに苦しい思いをすることもなかったのに。


「確かにカールは姉さんの気持ちを裏切った。最初から婚約者のことを話さず、期待をもたせることをしたんだからね。婚約者の話を聞いた時は僕だって腹が立ってあいつのことをぶん殴っちゃったよ」


「……」


「でもね姉さん、これだけは分かって欲しい。あいつは今でも姉さんのことを愛している。その気持ちだけは裏切ってない」


「う……嘘ですわ!」


「嘘じゃないさ。僕が保証する」


 そんな……カールが今でも自分を愛しているだなんて。

 それを聞いて嬉しい反面、余計に悲しくなってしまう。

 どれだけカールがマリンダを愛していたとしても、既に婚約者がいる時点でどうにもならないから。


 悲しんでいるマリンダに、ルクスが問いかける。


「姉さんは? 姉さんはまだルクスのことを想ってるかい?」


「想ってない……とはいえませんわ。忘れたくても忘れられませんもの。酷い仕打ちをされたというのに、それでもわたくしはまだカール様のことを……」


「それを聞けて良かったよ」そう言って微笑んだ後、ルクスは一拍置いてこう告げる。


「あいつの友としてお願いがある。姉さんにカールを救ってもらいたいんだ」


「わたくしが……カール様を救う?」


「そうだよ。姉さんならきっとあいつを鳥籠の外に出してあげられる。いや、姉さんしかできないことなんだ」


 突然そう言ってくる弟に、マリンダは困惑してしまう。

 自分がカールを救うだって? サラという婚約者がいるのに何をどうやって救えというのだ。王妃に歯向えとでもいうのだろうか。


 口を閉じて黙っているマリンダに、ルクスは続けて、


「ムカつくけどさ、最初は姉さんに対してカールも本気じゃなかったんだと思う。だから婚約者のことは言う必要がなかった。でも段々姉さんのことを好きになって、いつしか本気になったんだ。けど、王妃やサラ嬢のことが恐くて中々言い出せなかったんだよ。

 でもあいつは、姉さんとの未来を真剣に考えて一度は勇気を振り絞った。結局サラ嬢にしてやられてまた鳥籠に閉じ込められたけどね」


「……」


「姉さんがまだカールを想っているなら、あいつを鳥籠から救ってやってくれないか」


「……わたくしには無理ですわ」


 マリンダは首を横に振った。

 自分には無理だと。そんな弱気な姉に、ルクスは奥歯を噛み締めて、


「ごめん、姉さん」


「え――っ!?」


 いきなり謝ってきたかと思えば、パチンっと頬を叩かれる。

 今まで一度だって弟に手を出されたことがなかったマリンダは、叩かれた頬を抑えながら呆然とする。


 すると、ルクスが必死な顔で訴えてきた。


「いつまでうじうじしているんだ、姉さん!」


「……」


「らしくないよ、姉さん。僕が憧れる姉さんは気高く堂々としていて、困難なことにも諦めずに立ち向かって、自分にも他人にも厳しいけど誰よりも思いやりがある、最高にかっこいい淑女レディなんだ!」


「ルクス……」


「たかが婚約者の一人や二人が何だよ。カールの事を本気で愛しているのなら、救ってみせろよ! 貴女ならできるだろ、マリンダ・バルクホルン!」


「――っ」


 石で思いっ切り頭を殴られた気分だった。

 そうだ、何をいつまでもうじうじしている。こんなの全然自分らしくないじゃないか。

 めそめそ泣いて、家族皆に心配させて、いったい何をしているんだ自分は。


「ふっ……あはははははははは!」


 マリンダは笑った。大きく声を上げて笑った。

 ルクスの言う通りだ。こんなにもカールの事を愛しているのなら、大人しく諦める訳にはいかない。カールが苦しんでいるというのなら尚のこと、救ってあげなければならない。


 だってそれが、侯爵家のマリンダ・バルクホルンという淑女レディだからだ。


「ありがとうですわ、ルクス。わたくし、目が覚めました」


「姉さん……」


 顔と声に力が戻り、いつもの強気な姉に戻ったことに安堵するルクス。

 大切なことを気付かしてくれた弟をぎゅっと抱き締め、感謝を述べる。


「まさかルクスに気付かされるとは思いっていませんでしたわ。いつの間にか、立派になられましたのね」


「そりゃそうだよ。こんなに立派な人が近くにいるんだから、嫌でも見習うさ」


「ふふ……言うようになりましたわね」


 生意気なことを言う弟の頭をくしゃりと撫でながら立ち上がったマリンダは、バンっと勢いよく部屋の扉を開いた。


「マ、マリンダ!?」


「マリちゃん!?」


「「お嬢様!?」」


「お父様、お母様、それに皆、ご心配をおかけしましたわ。わたくしはもう大丈夫です」


 はっきりとそう言うマリンダに、心配していた家族達は安堵する。

 いつものマリンダが帰ってきた、と。


「早速で申し訳わりませんが、ご飯を用意してくださる? わたくし、お腹がペコペコですの」


「「承知致しました、すぐにご用意致します!!」」


「姉さん、呑気に食べてていいの?」


 きょとんとした感じで尋ねてくるルクスに、マリンダはニヤリと口角を上げながらこう答えたのだった。


「仕方がありませんわ、腹が減っては戦ができませんもの」

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