HYPERSYNC ハイパーシンク

近衛シスコ

アバンタイトル

 



 我は而してその名を戴く者。


 我は小さな王Basiliskos

 我は王たる星Stella Regia。 

 我は獅子の心臓Cor Leonis


 我は《レグルス》。

 

 エキドナとオルトロス、あるいはテュポーンより生まれしもの。

 ネメアーの谷に住まいしもの。

 ヘーラクーレスに討たれしもの


 我は心の臓腑。

 かかるネメアーの獅子の、心の臓腑たる者。

 

 我は《レグルス》。

  

 我は而してその名を戴く者。

 


子供向けの色鮮やかな遊具を薙ぎ倒し、そのは小さな街の公園に倒れ込んだ。

それ――人型機甲兵器アクティブ・アーマーと呼ばれる兵器――は、胴体に空いた巨大な破口から眩い火花と薄黄色のプラズマを噴き出しはじめ、間もなく巨大な爆発を起こした。

『まただ!またスナイパーにやられた!』

『《ワイバーンⅣ》ロスト。《ワイバーンⅢ》は現状報告せよ』

HUDに投影された戦術マップ上、《ワイバーンⅢ》のマーカーは消えていない。

『こちら《ワイバーンⅢ》、左腕およびシールドを喪失、火力健在。前線指揮機コマンド・ポストへ指示を請う』

まだ若い男の声である。

『前線指揮機より《ワイバーンⅢ》。後退し《ヘクター》とシュヴァルムを編制せよ』

『ワイバーンⅢ、了解』

だが、それは叶わないのだ。

もう、やられちまうよ。

まもなくビームが飛んでくる。シールドの無いワイバーンⅢは、これを防御しきれない。

それが、俺にはわかる。わかってしまう。

それは俺の乗る、なのだ。

二次元の認識で手一杯なニンゲンの、その知覚を拡張し、の俯瞰を可能とする、特殊な索敵装備メタセンサーを搭載するこの機体の名は《レグルス》。

先刻から俺は、この戦場を俯瞰していた。メタセンサーの試運転を行っていたのだ。

だから異星人連中の妙な広帯域ステルスも、見えるのだ。

報告が必要である。ワイバーンⅢに無電を繋ぐ。同じ装備メタセンサーを使っておいて、前線指揮機は何をやっている。

「《レグルス》より《ワイバーンⅢ》。後方死界象限よりバンディッド・3L-Sクラスがステルス状態で照準中と。算出離脱経路をデータリンクする。確認されたい』

ダメだ。間に合わない。

『《レグルス》か!?ワイバーンⅢ、了か…』

刹那、強烈な閃光が走る。

ワイバーンの上半身があるべき場所にはプラズマの光条だけが淡く残り、味方を示すマーカーがひとつ消えた。

『《ワイバーンⅢ》ロスト。《ワイバーン》全滅』

前線指揮機が無機質に告げる。

損失が多すぎる。メタセンサーを持つ異星体の自律兵器相手に、メタセンサー非搭載機だけでは勝ち目はない。

…ハナから俺が出ていれば、こうも易々と見殺しにはさせない。



気温低下による海水面後退によって、東京湾も陸地部分が増加した。

干上がった土地を利用し、かつての埋立地を連結し、延長するようにして作られた造成地に建設された、《極東公社》のアクティブアーマー運用基地。

その防爆格納庫のひとつにて、レグルスは出撃前のチェックをこなしていたわけである。

『――こちら機付次長。《レグルス》、センサー系試運転完了しました。次は推進系試験に移行します』

機付次長は責任感ある若々しい声色で、そう告げる。

彼には残酷かもしれんが、流石にもう待ってはいられない。我慢の限界だ。

「次長!」

『《レグルス》、何か問題が?』

「君たちの作業の遅延は重々承知しているが、こちらとて、ああも見せつけられて何もしないという訳にもいかない!今すぐ出撃できるか!」

『なっ…何を!? 無茶を言わないでください!まだ作業は全行程の70%しか終了しておらず…』

泣きそうな声だった。

向こうだって必死なんだろうが、それは分かってる。

「自己診断プログラムがあるだろうが!こっちはあんたら新人の研修に付き合いに来たんじゃないんだぞ!コイツの脚なら、まだ間に合うんだ…!」

『しかし…!』

「しかしもあるか――」

『待て、次長』

別の声が割り込む。

『機付長より《レグルス》へ。以降の健全性確認は自己診断プログラムのみでの実施とする。《レグルス》、戦闘システムリポーズ解除。強襲形態HMAFで起動せよ。全作業員は現在の作業を終了後、退避せよ』

『きっ、機付長!?しかし、マニュアルには、そんな…』

『機体整備に関する全責任は私にある。現在の状況では、操縦士の意見を尊重するのが最適と判断した』

機付長は理解している。

今のこの状況と、この機体レグルスを、整備未了のリスクを背負わせ、単機出撃させる意味を。

有難い、ことではある。

「《レグルス》、了解した。マーシャラーは十分退避せよ。スラスターの火焔に巻かれるぞ!《レグルス》HMAFで起動、《レグルス》起動する!」

アストラタイプ・アクティブアーマー、レグルス。

全高一九メートルのすらりとした、白亜の巨躯が右膝をゆっくりと地面から離し、立ち上がってゆく。

並行して両肩・両腰から伸びる長大な可動式主推進装置フローティング・スラスターユニットが、開いていたメンテナンス/冷却用ハッチを自動的に閉鎖しながら、しなやかな動作で四方に開く。

さらに、腰背部の熱交換尾翅テールラジエーターが伸長していく。

同時の、コクピット内壁全球モニターに投影されるHUDには、自己診断プログラムの膨大な診断結果が、猛烈な速度で流れていく。

「項目3-470より6-660のチェック終了、異常なし。シーケンスを移行」

立ち上がった《レグルス》は半獣を想起させる異形の、本来の姿を見せてゆく。

「機体固定ブレーキの設置は省略。踵部アンカーにて代用する」

踵から伸びる、杭打ち機のような構造物――打突地錨アンカリング・アイゼンが爆発音と共に地面に打ち込まれ、コンクリートの砕片を撒き散らす。

「機体一時固定完了。シート変形開始」

パイロットシートが変形を始め、対G姿勢に切り替わる。

リクライニング角が大きく増加し、上半身固定ダンパーが胴体を覆い、空気圧で身体と密着する。

これをもって、HUDに"HMAF Transform Completed"の表示が浮かんだ。

『機付長より《レグルス》へ。リフトオフ後、異常が確認されれば即時帰投せよ。加えて、起動作業の遅滞を謝罪する。リフトオフを許可。…後は頼む』

「《レグルス》、了解した」

頼むなんて、殺し文句だろうに。

いずれにせよ、である。

機の背後を視る。まだ若いマーシャラーたちが地下の防爆シェルターへ向けて、蜘蛛の子を散らすように退避している。

「電力系統異常なし。メインスラスター暖気停止。安全確認よし。点火、用意良し」

左手のスロットルコントローラを僅かに前進させる。

一瞬の鋭い衝撃と共に、機体が前につんのめる。

だが、踵のアンカーと、スラスターの保持アームに設けられたサスペンションにより、機体が地面を離れることはない。

「メインスラスター・トラクションアーム緩衝機構、負荷正常」

スラスターは金切り声のような磁励音の咆哮を掻き鳴らし、外板からは陽炎が立ちのぼる。

常用最大出力2560kNの電気式プラズマジェットが、主機超小型核融合炉から生み出される莫大なエネルギーを、貪欲に喰らい尽くしている。

その振動はアイゼンを伝って地面へ伝播し、先刻散らしたコンクリート片が小刻みに震える。

「さあ…出番だぞ。レグルス」

スロットルコントローラから手を離し、そう

レグルスの頭部が、僅かに顎を引く。

と同時に、ポリマー製の防弾バイザーの向こうの、鋭角な双眸がゆらめいた。

も…ずっと行きたかったんだろう?」

その返答のように、スラスターが短秒時パルス噴射する。

「…ほんとうに、仕方の無い奴……。《レグルス》、

『全作業員退避完了。《レグルス》は走査完了次第、離陸せよ』

HUDに、走査終了、離陸準備完了の文字がビープ音と共に浮かぶ。

「《レグルス》、健全性走査完了。全系統異常なし」

『了解。幸運をグッド・ラック

メインスラスター、電圧上昇。

排気速度は超音速に達し、先刻までの磁励音に超音速流の轟音が加わり、共鳴する。

アイゼンが、脚部が軋む。

「堪え性の無い!行くぞ《レグルス》、離床緊急推力使用、全拘束解除」

推進剤供給弁ノッチを上げる。機体の前進を感じる。

直後、杭と地中との猛烈な摩擦を物ともせず、瞬時にアンカーが引き抜かれ、踵が僅かに浮きあがる。

「最大加速で強襲する!」

一瞬の滑走ののち、接地していた足から伝わる振動が消える。

レグルスは、空へとその身体を蹴り出した。

もう、拘束するものは何もない。



――《ワイバーン》全滅。《ワイバーン》全滅。残存機はフォーメーションを維持。防御行動。

――《ヘクターⅡ》、防御陣形を維持せよ。《ヘクターⅢ》は《ヘクターⅡ》の直掩に回れ。

――《ヘクターⅡ》より前線指揮機コマンド・ポストへ。脚部および推進系の損傷甚大。追従不能。

――《ヘクターⅠ》より前線指揮機へ。貴機による火力支援を要請する。

――前線指揮機より《ヘクターⅠ》へ。その要請は受諾出来ない。任務の範疇を逸脱することは出来ない。残存各機はカウンタースナイプを実施せよ。情報共有を継続する。

「腰抜け野郎が…」

コクピット内に響き渡る警戒音アラートが、脚部駆動系の致命的なダメージをしつこく報せる。

3秒おきに前線指揮機から送られてくる、メタセンサーが取得した敵の現在位置情報と、逐次こちらのセンサーが捉える敵の位置は酷く正確に合致する。

その"仕事っぷり"に深い敬意と畏敬の念を払いつつも、しかしあいつらの実態といえば、連中に一泡吹かせられるだけの火力と機動力を有していながら、後方で情報伝達に徹するのがオーダーだからと抜かしやがる。

アストラタイプのというものは、なぜああも腑抜けばかりなんだ。

端的に、自らの戦略的価値を過大評価しすぎている。そして当然、勇敢な兵士ではない。

では、俺たちは使い潰されてもいいのか。

もう《ワイバーン》も全滅し、悠長に愚痴をこぼす余裕はもう、無い。

守るべき市街地は我々の戦闘で既にボロボロだが、市民の避難はあらかた済んでいる。まだ幸いだ。

『脚はもう保たんか、ヘクターⅡ』

しわがれた男の声と共に、ヘクターⅢが交差点の向こうから歩いてくる。

一見すると五体満足な機体だが、右腕にあるべき射撃武装を保持していない。

「ヘクターⅢか。見ての通りだ…電磁ブレーキが駄目になって、もう3割の速度しか出ない。スラスターも推進剤加熱系がジャムっちまって…飛行は無理だ』

『シールドを構えておけ。俺のと合わせて、前方象限に抜けを作るな。お前が火力の肝だ。いざとなれば牽引する』

「了解だ、ヘクターⅢ」

『気丈に行くぞ、互いにな。次射を撃たれる前に、カタをつけたいところだ』

俺の機――FEAA-633C《ファゾルト》――の残存装備は重粒子狙撃砲と、シールド。

狙撃砲が残っているのは俺だけだ。

あのが協力してくださらない以上、俺の火力が鍵となる。

『《ヘクターⅠ》より残存AA隊へ。《ヘクター》は敵3L-S級をカウンタースナイプする。《ヴァリアント》3プリースト2機は猟犬ハウンド役だ。戦術マップを上手く使え。前衛機にメタセンサー持ちの高機動型がいる。こいつには最大限警戒しろ。前線指揮機はカウンターステルス索敵を継続してくれ』

HUDの戦術マップには、3L-S級の予測位置と、前衛機たる2M兵隊級が多数展開している様子に加え、『3M級兵隊強化型』の表示が1つ。

こいつら前衛と交戦し、狙撃の囮となって頂くのが猟犬の勤め。

俺たちは、あわよくば前線指揮機の"神の目"が、スナイパーのステルスをぶち破るのを期待しつつ、猟犬共の陽動で、スナイパーが重粒子ビームを晒す瞬間、俺のカウンタースナイプで仕留める。

俺たちが先に標的になる可能性も、無いわけじゃない。向こうにもメタセンサーがある。

だが、そういう動きにならざるをえない。やるしかない。

『全機、行動開始』

《プリースト》の2機はスラスターを焚いて一気にハイジャンプを決め込み、高度数百メートルまで上昇する。

『次撃の予測時間は90セコンド後である。陽動各機は可能な限り前衛機を排除しつつ、残時間に注意せよ』

『無茶言ってくれりゃあ!コマンドさんよ!』

『指揮機より《プリーストⅡ》、この帯域を使用しての私語は慎め。バンデッド、上ってくるぞ』

2M級が、青白い噴射炎の尾を牽いて次々と上昇してゆく。

二等辺三角形から短い手足の生えた様な、歪な人型をした2M級は、こちらの機体より二回りほど小さい。

「これでだいたい半分か…」

登って行ったのは全体の半分。まだ地上に半分がいる。それに、3Mも。

数の差はざっと2倍。ただ、2M級にそれほど賢い頭はない。ハードの性能も、同様に。

俺たちのマシン《ファゾルト》ならば、この差も埋め合わせられる。

先陣切って飛び込む《プリーストⅡ》に、2M級のレーザーの雨が降り注ぐ。

奴らの火力はさほど高くない。装甲で耐えられる。

だが機動力は厄介だ。《プリーストⅡ》の右腕速射砲による射撃はことごとく回避される。頭部のレーザーバルカンも弾幕に織り交ぜるも、こちらは当たっても致命打にならない。

しかし、敵はこの囮攻撃に喰いついた。

後方から接近する《プリーストⅠ》が、両肩のコンテナを展開し、高機動ミサイルを発射する。 

10数発のミサイルは急旋回後、それぞれ別々の目標に殺到し、炸裂する。

ウルツィタン炸薬弾頭の苛烈な爆発。2M級の破片が地上に降り注ぐ。

『《プリーストⅠ》、ミサイル残弾無し』

『指揮機より各機へ。空中、バンデッド残数4』

『今ので半分喰ったか。良い流れだ!』

『《プリースト》各機は残敵を迎撃せよ』

空中戦はこちらに有利に傾いた。しかし。

『《ヴァリアントⅡ》、高機動型をロックできない!市街地なのにえらく速い!コイツは…!』

『《ヴァリアントⅣ》より前線指揮機!メタセンサーの更新間隔を詰めてくれ!』

たった2機のファゾルトで、3Mを相手取るのは少々手厳しいものがある。

奴にはこの障害物だらけの空間が全て見えている。

かつ、それらを正しく認識し、行動の基点とすることが出来る。

メタセンサーを使った戦闘とは、だいたいそういう意味合いを持つ。

市街地とはいえ、郊外の住宅街。背の高い建物は少なく、全高17mのファゾルトの上体は完全に露出する。

3M級は決して飛ばず、地を這うように機動しつつ、両肩の2門の砲から重粒子ビームを的確に飛ばしてくる。

シールドを構えていても、あれを受け切れるのはせいぜい2〜3発。

加えて、数で勝る2M級の援護射撃が、回避機動を妨げる。

もって30秒、その程度だろうか。

次撃まではのこり40秒を切っている。

『前線指揮機より《ヘクター》、射点演算完了。データリンクする』

『…よし。行くぞ《ヘクターⅢ》。歩けるか』

この間でアクチュエーターの負荷配分を調整し、応急ダメコンは済ませていた。とはいえ、やはり厳しい。

「すまない。脚を借りる、《ヘクターⅡ》」

『任せろ。急ぐぞ』

《ヘクターⅡ》の肩部を掴み、射点へ移動する。

隊列の先頭には、《ヘクターⅠ》が少し離れて先導している。

『《ヘクターⅠ》より指揮機。《ヴァリアント》が抜かれた際はどうする』

『《プリースト》に回らせる』

『連中の火力はほとんど残ってないぞ』

『それも猟犬の仕事だろう』歯に物着せぬ物言いで、前線指揮機は言い放つ。

『やられれば、次は我々が喰われる。そうなれば作戦は失敗だ』

『その時は…私がやる』

『…何だと?』

『その時は、私が…この《フォーマルハウト》がを行う』

『貴様…!我々を何だと思って!』

その時、2本の光条が《ヴァリアントⅡ》を捉えた。

『《ヴァリアントⅡ》被弾した!コクピットに火が回って…!!うわあっ!』

もう抑えられた。これでは…!

『《ヴァリアントⅡ》、ロスト』

「まだ早いぞ《ヴァリアント》!クソッタレが!」

『《プリースト》だ!敵引き連れて悪いが囮に回る!もう次射が来るだろッ!』

上空の2機が急降下を始める。その背後には2M級が3機、追撃してくる。

『《ヘクターⅡ》より前線指揮機!まだスナイパーを看過出来んか、《フォーマルハウト》!』

『今、やっている』

『次撃まで20秒だぞ!』

猟犬はまだ残っている』

『何を言ってやがるッ!』

『《ヘクターⅡ》構うな!俺たち《プリースト》と《ヴァリアントⅣ》で囮に回る!お前たちは狙撃を頼む!』

2機は3Mの対空射撃を回避しつつ、レーザー機銃で応戦する。

しかし、あの火力では駄目だ。届かない…

『《ヘクターⅢ》、着いたぞ!予測射界に照準しろ!』

「了解だ《ヘクターⅡ》!」

肩を《ヘクターⅡ》に支えられながら、片膝を付き、ガラスの吹き飛んだビルの、そのを見据えて砲を向ける。

。そういうことだ。

ここで決めなきゃ…俺たちの存在意義はどこにある。

操縦桿のトリガーにかけた指が、らしくもなく震える。

クソッタレが。

こんな時に限って…あの無機質な…非人間的な、《フォーマルハウト》のパイロットの声が、フラッシュバックする。

そうだ、俺たちは…一体何の為に…戦ってるんだ…?

『スナイパー、電磁メタフィールド解除。高エネルギー検出』

『方向は!コマンド!』

『230、《》』

その時。

俺はトリガーを、確かに引いた。

引いた、はずだった。

視界一杯に、閃光が広がった。

何も見えなくなる。

必死だった。必死に引いた。何度も引いた。

そして、希薄な意識の中、あの声を聞いた。

『《ヘクターⅡ》、《ヘクターⅠ》、ロスト』

視界が開ける。

構えた盾ごと融解した、ヘクターⅡの残骸が、そこにはあった。

先程まで視界を埋めていた廃ビルの姿はそこになく。

プラズマ化し、ゆらぐ大気の向こうに、スナイパー3L-S級の歪で、黒い姿が浮いていた…

「どうしてだ!俺たちはどうして―――!!」

大の大人が、コクピットに縮こまったひとりの大人が、声にならない悲鳴をあげた。

どうして俺たち人間は、こうも脆く、弱いのだろうか……

『…やはり非アストラタイプでは勝てぬ、か。《フォーマルハウト》、出撃する…』

また、奴の憎らしい声が聞こえる。

待て、待ってくれ。

俺はまだ、戦えるはずなんだ。

機体の右腕が見えない。火力はどうなって…

いや、レーザーバルカンは生きている。

いっそ突っ込んで自爆するか?

まだ、動けるはずだ。

――コクピット内に響き渡る警戒音アラートが、脚部駆動系の致命的なダメージをしつこく報せる。

ああ、もう、駄目だ。

これ以上は、この機体じゃ、どこへも歩けない。

俺は、もう駄目なのか……

17mの鋼鉄の巨躯は、あまりに力無く、膝から崩れ落ちた。

視線の向こうに、まだスナイパーは消えていない。

中央の主砲はこちらに向き、マズルから光が溢れ落ちる。

ああ、終わるのか…

こんなところで…俺は…俺たちは…

『む…?南東方向より接近する機あり…何だ、この速度は。……それに広域通信、だと?』

…何だ?

味方…なのか?

『そこらの味方連中!今から俺があのスナイパーに一撃喰らわす!周辺の残存機は対閃光防御しろッ!』

『誰だ、お前は!』

『《フォーマルハウト》だな!俺の超長距離射撃ではおそらく仕留めきれん!ステルスシステムを破壊してくれ!奴に隠れさせるなッ!』

『質問に答えろッ!』

『IFFを見ろよ、馬鹿! 重粒子砲行くぞ、3、2、1…』

『貴様、なんて物言い――うわっ!?』

頭上がまた真っ白に染まった。

肌に熱を感じる。本当に、重粒子ビームなのか…?



ああ、その通りだ。

だがビームは、あの図体のでかいスナイパーを掠め飛んだ。弾道計算の誤差があった。

おかげで再びステルスシステムの傘に逃げられてしまった。

もう一撃掛けたいが、冷却と再チャージに時間を取られすぎる。飛行中の二次攻撃は無理だ。

不本意だが、白兵戦と洒落込むしか無い。

あの《フォーマルハウト》がどこまで囮に徹してくれるかはわからんが。

いずれにせよ、こうだ。

「ASAA-Leo-α、極東公社所属アストラタイプ・アクティブアーマー、《レグルス》より《フォーマルハウト》。15秒でいい。奴のステルスを解除して保たせられるか」

『《レグルス》だと!?早すぎるぞ!何故――』

の不手際の、尻拭いにカッ飛んできただけだ。もう《ファゾルト》が1機も残ってないとは恐れ入った。後は任せろ』

『クソッ…どいつもこいつも…命令が…規範が……』

何やらぶつぶつ言っている。

「仕事はちゃんとしてくれよ?」

『当たり前だ!私は…遅れを取らん!』

「じゃ、頼むぞ!今から15秒だ!』

『了解…した!』

《フォーマルハウト》が後方の陣地から飛び出す。

濃緑の機体だ。細身で、機体各部の小翼が鋭角的な印象を与える。見た目にそぐわぬ高機動型の筈だ。

『どいつもこいつも…あんなに手こずって…メタセンサー、表示強度4Dへ上昇!』

「おい兄さん、いきなり無茶は…」

『知ったことか!私は……ぐあっ!?』

メタセンサーの表示次元を上げる際の負荷というものは、非常に難儀なもので。

あのスナイパーのステルスを看過出来るような、絶大な効果を得られる一方。

過度に使えば、簡単に人の脳を焼き切ってしまう。

そういうものだ。

『10秒だけなら…私でもというもの!』

《フォーマルハウト》は、地上の3M級の対空射撃を回避すべく、こちらのセンサー表示強度では追従できない速度で機動し、虚空にビームを叩き込み続ける。

『墜ちろ、墜ちろ、墜ちろ、墜ちろ!当っただろう!絶対に当たったはずだッ!』

「ビンゴ!」

空間が歪み、3L-S級の、手足のない蛙のような姿が浮かび上がる。今のでステルスシステムは潰れたはずだ。

『図体ばかりの豚足が…隠れることもできなく…なれば……お前は……がはっ!?血、血が…』

「《フォーマルハウト》!」

あの操縦士、適性が高いわけではないと見える。

嫌な予感がする。

操縦桿が、微かに軋みはじめる。

「まさかな…?」

『お、おい…《レグルス》、私は、任務は果たしたぞ…?』

《フォーマルハウト》のスラスターが、間欠泉のようにガスを噴かし始める。

「おい待て、墜落はまずい!意識を保て!せめて軟着陸を…!」

その瞬間、急激なマイナスGを感じ、反射的に操縦桿から手を離す。

「レグルス、お前っ!」

視界は一瞬で赤く染まる。意識が飛びそうになるのを寸手で堪える。

「ぐっ……レグルスお前……あいつを…助けたいん…だな?」

レグルスの双眸が煌めく。

「そうか…分かった…だがこういう機動は…勘弁してくれ…」

少しずつ赤みの引いてきた目で、HUDの推力表示に目をやると、4700kN、とある。

「離昇緊急推力超えてんじゃん……人間って、急なマイナスGには…弱いんだぜ……?」

本当はそれマイナスGもそうだが、『お前のエンジン、これじゃ爆発してもおかしくないぞ』と伝えてやりたかった。

中に収めてる人間のことを忘れてるのかいないのか、しかしこうも変な機動をされると、流石に俺でも嫌味のひとつを先に言いたくなる…

「…お前のやりたいことはよく分かった。だが、お前は機械で、俺は人だ。つまりお前は使役対象だ!だから俺が御すぞ!良いなッ!」

スラスター推力を僅かに弱め、安全域に戻す。

《フォーマルハウト》は地に墜ちた。3M級と幾多の2M級が、ハイエナのように狙いを定めている。

地表降着まで、残り10秒。

「《レグルス》。お前のは、俺が」

腰のサイドアーマーにマウントされた、プラズマ収束刀に右手を掛ける。

残り5秒。

肩のスラスターが腕の可動に邪魔だ。

肩部スラスター、推力カットオフ。

一瞬、機体が上を向こうとする。

腰部の一対で無理矢理修正。

いざ尋常に、斬り伏せる。

肩部の――その基部は背部にあるのだが――スラスターが基部ごと可動し、背中側に回る。

もう障害は何もない。

「はぁぁぁぁっ――――!」

3M級を正面に見据える。足元に《フォーマルハウト》を捉える。

超音速抜刀術、と洒落込んで。

俺は刀を抜いた。

プラズマの刀身が、極超音速で走る。

「入ったッ!」

視界がクリアだ。驚くほどに。

敵の姿がない。

全て斬り伏せたのか?

いや、ここは疑問を抱く局面ではない。

眼前に、

その主砲のマズルが、かつてないほどに煌めきを増している。

「不味い…!」

レグルスには、シールドが無い。

「剣で受け――」

――――ダメだ。それはダメ。

「…ッ!?」

その時、《レグルス》は、勝手に俺の操作入力を跳ね返した。

俺の意識よりもずっと速く、レグルスはまず、両肩のスラスターを前方に向け

亜光速の粒子ビームがここで撃ち出され、スラスターが光芒に呑まれて行く中、レグルスはそのままビームのた。

ビームの照射が終わると共に、レグルスはスナイパーの正面に抜け出し、これを睨み付けた。

――――良いよ。

俺はそこで、《レグルス》にお膳立てしてもらった、という事実に、半ば本能的に気付いた。

ここで迷えば次射に焼かれる、ということも。

それからもまた一瞬だった。

右手に握りしめたままのプラズマブレードを、俺は思い切り奴の脳天から下へ押し当て、図体を切り裂いた。

面、の格好である。

そのまま後方に抜け出し、3L-S級の爆発を背後に感じた。

「取った…」

《フォーマルハウト》は、無事か。

先程の場所へ、全速で向かう。

《フォーマルハウト》は、健在だった。

真っ二つになり、赤熱した断面を晒す2M級の残骸に囲まれ、五体満足で墜落している。

「よし、バイタル反応は残ってるか…全く無茶しやがる」

《レグルス》は、《フォーマルハウト》のパイロットを助けようとした。

また、俺の判断ミスに介入し、生還を促した。

これだけのことをやる意志を、自我を持つのがこの機体。

故に危険すぎ、我々の手には大きく余る存在となってしまった。

《フォーマルハウト》にも、他のアストラタイプにも、こんなものは存在しない。

《レグルス》だけが持つ、意志なのだ。

「結局…生き残って、しまうんだな…」

単機突撃を許可した機付長の判断は、究極的には俺たちをここで死なせることにあったはずだ。

だが今度も《レグルス》は、生き延びてしまった。

メタセンサーを操る為のシステム――"アストラ・システム"に刻まれたこの機体の戦闘経験が、突然変異的に生じさせた「意志」なるものが、またしても生存本能を振るい、生き残ったのである。

「だが、終わりだ。お前は…」

――――まだだ。

「…今度は何だ?《レグルス》」

HUDに表示される、ひとつのマーカー。

バンデッド。3M級。

「クソ、残ってやがったか…この移動方向は幹線道路へ向かう方…まさか、避難民の車列を…?」

この街で戦闘が開始してから、さして時間は経っていない。

要は、我々機動兵器の戦闘速度が速すぎるだけだ。

住民が集められ、詰め込まれて街から一斉に逃げるバスの速度といえば、優先通行が可能とはいえ時速三桁kmに満たない。

「…ああ。最後はこいつを、キッチリ倒せば良いんだな、《レグルス》」

お前もキリが悪いまま、終わりたくは無いだろうしな。

こういうのが、甘やかす、というのだろうか。

こいつの意志を増幅させてしまったのは、俺にも原因があるのだろうか?

だが、今からやろうとすることは、正しいことだ。

人の命を救う。

その為に作られた存在が、そのように動こうとする意志を持つ。

それは間違いでは、無いはずなのに。

「行くぞ《レグルス》…俺たちでケリをつけるぞ」

レグルスの視線は、《フォーマルハウト》の左腕に装架された、シールドを見据えていた。



避難民の車列が止まる。

背後ろから接近する光点。

皆口々にその名を言う。

"異星体だ"と。

この地球に侵攻し、全球を覆う「反射膜」を形成。

地球に降り注ぐ太陽光の一部を奪い、地上を大きく寒冷化させた、"異星体"。

その散発的な攻撃に、街は破壊され尽くされた。

人々は家を捨て、逃げる事を余儀なくされる。

しかし、何処へ?

地球全土を攻撃可能な異星体を前に、人類の逃げ場は一体、何処にあるというのか。


バスから、ひとりの少年が、妹と、母親と共に降りてくる。

次第に大きくなる光点を見つめる少年の表情は、不安と絶望に満ち満ちている。

一体誰を呪えば、この苦しみは無くなるというのか?

究極の理不尽を前に、少年の未熟な思考回路は逡巡を繰り返す。

そして光点は明確なシルエットを伴い、避難民らの前に降着する。

無機質な躯体。非人間的なそのデザイン。

未知の感覚機と、未知の動力源を備えるその兵器。

両肩の砲口から、燐光が溢れ落ちる。

その時だった。

猛烈な轟音を伴って、すらりとした人型の、白亜の巨躯が車列の前に降り立った。

巨大な盾を地面に突き刺し、前方で放たれているであろう――光線を受け止め、四方へ拡散させる。

攻撃が止み、黒く炭化したシールドを棄てたその巨躯は――《レグルス》は――、背後を振り向き、車列を一瞥する。

少年は、その機体の、バイザー越しの双眸を、吸い込まれるように見つめていた。

《レグルス》は一歩、一歩と、攻撃を受け切った機体の健全性を確認するように、歩を進めていく。

ここで推進器を使えば、車列に危害が及ぶ。あるいは、そう考えたのかもしれない。

異星体の兵器はまるで根負けでもしたかのように、一歩、一歩と後退りをしてゆく。

とても、奇妙な時間だった。

両者は足を止める。

避難民たちの視線は、《レグルス》の背中、ただ一点に釘付けにされていた。

一瞬の、完全なる静寂が空間を覆う。

刹那、沈黙をぶち破る、《レグルス》の抜刀。

光の刀身が揺らぐ。

吹き荒ぶ熱風。

そして、崩れ落ちる異星体の兵器。

《レグルス》の躯体からは、緒戦に起因する過熱から、陽炎が立ち昇る。

どこか満足気に立ち尽くし、ゆらめくその姿を、そして無論、先刻の一瞬の戦いを、少年は見届けていた。

そこには呪いではなく、希望の権現たる姿が、確かにそびえ立っていた。

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