四匹の猫と君

花見川港

屋敷の怪

君と出逢った日(1)

 木造家屋に外国の建築技術を取り入れた煉瓦造り。信号待ちのヴェスチビュル付きの路面電車に向かって歩道から手を振る子どもに手を振り返す運転手。街中を等間隔にならぶガス街灯。


 山に囲まれた町でありながら、かつては首都にも遅れを取らない発展を遂げた近代風景。町を行き交う人々は、ときおりその手に持ったスマホやカメラを街に掲げる。


 街並みと人との間に一世紀以上の差があるこの町の名は——常ノ梅町とこのうめまち


 西洋文化が日本の日常に馴染み始めた頃の名残を色濃くとどめた観光名所である。


 煉瓦造りのおもむきある駅舎からまっすぐ前へ伸びる大通りの商店街。レトロモダンなレストランや喫茶店、小物屋などが着いたばかりの観光客の足を引き止める。


 またこの町は、近代をモチーフとした映像作品に使われることも多く、町全体がいわゆる「聖地」であり、特定の道やら建物に集う何かしらのファンの姿も多い。


 賑わう人々の中には、外套に下駄、詰襟の男子学生や、袴の女学生など、町の雰囲気に適した身なりの若者が多く紛れている。ほとんどは貸衣装屋から出てきた観光客だ。


 いくら物持ちの良い町でも、多少は時代の変化に沿っており、町で最も古い学校でも女子は黒いセーラー服で、男子は外套なんてない。


 修治しゅうじの場合、そのうえ靴はスニーカーと、他所でもあるような学生スタイルで観光客の目にとまることはない。


 近代の魅力が溢れる洒落た観光地。といわれても、生まれて十六年暮らしている修治からすれば、時代遅れのただの田舎町。


 常ノ梅は梅の名所でもある。いたるところに梅の木があり、これらの梅が一斉に咲いて町を紅白に彩る光景こそ一番の見所。梅以外にも四季折々の見せ場はあるけれど、夏の花が散り、紅葉もみじも染まっていないこの時期は観光シーズンから閑散期。


 なのに、通りを埋めるほどの賑わいっぷりに、観光業で賑わうのは結構だが、町にも定休日を設けるべきではないかと陰鬱に思う。


 ああ、鬱陶しい。


 気まぐれに放課後の寄り道など思い立ってしまったが、やはり自分らしくない行動だった。そう思うのに、真っ直ぐ帰る気にもなれず、修治が自転車を走らせて向かうのは家とは別方向だった。


 空が二つの色で彩られ始め、ガス街灯に火を灯す点消方てんしょうかたが駆け回る。


 ひとけのない場所を求め、小さな神社や遊具のない空き地のような公園に向かう。けれどどこも、最近何かの撮影で使われたとかで人が集まっていた。観光客を避けて住宅街をうろつくも、くつろげる場所ではない。


 静かで、安らげる場所、そう考えながら修治は、駅とは反対の方にある小山に目を向けた。緑の合間にぽつぽつと見える屋根。昔から富裕層が集う住宅地。今では点在する屋敷のほとんどが別荘として扱われているらしく、小山への人の出入りは少ない。繁華街からも離れているし、観光するようなところでもない。


 坂の下に向かう途中にあった駐輪場に自転車を置いて行く。教科書は学校に置きっぱなしで、財布など小物しか入ってないショルダーバックを体にかける。


 車二台がギリギリ並べるほどの車道の脇に沿って坂を上がる。頂上まで繋がっているこの道を幹とし、中腹辺りからはこれより細い道がそれぞれの屋敷に向けて左右に枝のように広がっている。


 そうした横道には目を向けず、だいたいこの辺りだったかと、うっすらとした記憶を頼りになんの目印もない茂みに足を突っ込んだ。


 足の下で小枝が折れる。頭上の枝が空を隠しているせいで林の中は薄暗かった。構わず奥に突き進む。


 木々の間で橙色の光のカーテンが揺れている。その眩さに目を細めながら、光の幕に飛び込むように林を抜けると町を一望できるひらけた崖の上に出た。幼い頃に見つけた秘密の場所。


 幼い頃は、今よりもアクティブでよくこの辺りで遊んでいて、ここを見つけたのもそんなときだった。中学生になる前には外で遊ぶことが極端に減り、ここに来るのは約三年ぶりになる。


 走り回れるくらいの広さだったと記憶していたが、思ったよりも狭い。それでも寝転ぶぐらいの余裕はあった。


 天然の緑絨毯に腰を下ろす。


 人が来ることを想定していないのか、柵のない崖のふちを見つめて、ぽつり。


「死にたい」


 ため息をつくように言葉がこぼれた。


 吐き出した言葉を追って、じわじわと脳から出たもやが思考を覆っていく。


 今そこから飛び降りれば。


 そこの木で首を吊れば。


 家に帰らずこの場にとどまり、飲まず食わずでいたら。


 そんな夢想をして、どうせできやしないと自嘲する。


 仰向けに転がって茜色の空を見た。


 ただひたすらに願う。この場所を見つけるよりも幼いときから芽生えていた望み。誰にも言わず、内に秘めていたそれが口をついて出るようになったのは最近のこと。


 変わらない世界、繰り返す日々の中でふいに意識してしまった。


 この生に意味はあるのか。もしかして、生きている必要はないのではないか。


 特に理由もなく、己というもの意識したときからぼんやりと抱えていた願望が明確に浮かび上がった。


 現状の何もかもが面倒で、生に対する執着は薄れ、体を起こすたび覚える虚脱感。終わらせたいと思いながら、一歩踏み込む熱意のない、度胸もない小心者な己への失望。逸脱した精神構造ができているわけでもない。ネガティブ思考に偏っても凡人の域は出ない。


 だからつい、他力本願に寄ってしまう。例えば、その辺の草むらから、刃物を持った誰かが飛び出して、この心臓をひと突きしてくれないだろうか、と。


 ガサリと、後ろの茂みが動いた。


 修治は飛び起き、目を見開いて振り返る。どくどくと速る鼓動は期待ゆえか。


「あ……」


 声を発した相手の手に刃物はなく、持っていたのは肩にかけた革製のスクールバッグ。口を半開きにして、丸くした目を修治に向けている。


 修治はため息をついた。


 自分以外誰も知らない。少なくとも修治がそう意識しているうちは、ここは自分だけの秘密の場所だった。しかしこの瞬間にそれは失われてしまった。

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