ep24 二体の豚

 転移魔法陣に乗ると、浮遊感が全身を包む。


 ——相変わらず、この感覚は慣れないな。


 思い出すのはまだ駆け出しだった頃のこと。

 探索者を始めて一年も経たない時、俺は転移魔法陣を踏んでしまった。


 幸い飛ばされた先は五十階層。

 当時は五十五階層まで登っていた為、見覚えのある景色に安堵したものである。


 そして現在、俺は三船ダンジョンの八十二階層まで登ったことがあるが——果たして、目の前に広がる光景はまったくもって見たことのない場所だった。


「……最悪なんですけどー」


 不安を紛らわすようにぼやく。

 退路を確保しようと振り返れば、魔法陣はまだ機能している。

 帰ろうと思えば帰れる状況だ。


 俺は息を吐いてから眼前に目をやった。


 薄暗いダンジョン。

 岩肌の覗く細長い通路だ。


 歩いて進めば、鉄の扉に行きついた。


 ダンジョンに明らかな人工物。

 今まで遺跡が発見される等は聞いたことがあるが、ここまで近代的な鉄扉は始めて見た。


 意を決して押し開くと、そこには大きな空間が広がっていた。


 と言っても、以前ナイトメア・オークやレッドドラゴンと戦った場所ほどではない。


 高校のグラウンドと同じくらいか……。


「……っ」


 空間に足を踏み入れた瞬間、壁や天井に明かりが灯る。


 魔光石——ダンジョン内部に存在する光る石である。

 エネルギーとしての価値はあるが、採取することは法律で禁止されている。

 薄暗いダンジョンが真っ暗になるし、仕方がない。


 そんな魔光石が照らす中——空間の中心に、まるで神社の前に飾られている風神雷神が如く二匹のモンスターが立っていた。


「……嫌な予感はしたが、マジか」


 噂をすればなんとやら。

 二メートルを優に超えるナイトメア・オークが二体。


 二体とも全身を鎧で覆い、身の丈を超える巨大なバスターソードを肩に担いでいる。


 一見しただけでわかる。

 前回戦ったナイトメア・オークより圧倒的に格上だ。


 ……逃げるか? と考え、即座に首を横に振る。


 そんなことをすれば、この二体はすぐに追いかけてくるだろう。

 ナイトメア種が二体。

 俺の後を追って町に出ればどうなるかなど、想像に難くない。


 こいつらを初見で倒すにはAランクが数人——それも、雲龍怜司が居て何とかってところだろう。


 ——あくまで初見なら。


「……あまり舐めるなよ」


 俺は唇を舐めて濡らし恐怖を飲み込むと、サファイアの入ったソフトケースを遠くへ放り投げた。

 今回こいつは使わない。


 戦闘の余波で壊れないよう遠ざけつつ、氷属性魔法で剣を作り、構える。


 そうだ、勝てない相手ではない。

 前回は大怪我こそしたが初見で殺して見せたのだ。

 不意打ちとは言え、二度目を殺せなくて何がAランク探索者か。


 情報はある。

 倒し方も知っている。


 加えて相手の動きや能力、手の内も把握済み。


「——ふぅ」


 一つ息を吐いて二ついの豚と睨み合う。

 俺は全身に魔力を流し始める。


 作戦は簡単。

 超高火力の魔法で葬り去る。

 それだけだ。


 最低でも一体、高望みするなら二体とも最初の一手で葬る。


 魔力が全身に行き渡った瞬間——先に動いたのはナイトメア・オーク。

 一体が大口を開けて突撃してくるが、一直線の攻撃なら問題はない。


 俺は即座に二体目の位置を確認。

 案の定、一体目の攻撃を回避した先に大口を開けて飛び出していた。


 俺は強く地面を蹴り付け後方にジャンプ。

 二体の攻撃を同時に回避しつつ、壁に着地すると、そのまま踏み込んで突貫。


 魔速型の完成系と言われた動きは、人類が出しうる最高速。


 それでも反応してくるナイトメア・オークは手にしていたバスターソードを振う。

 力任せ——などではない。

 剣術の概念があるような動き。


「——チッ」


 俺は氷柱を地面に向かって生成し、その勢いを利用して空中で無理やり軌道を変更。

 大きく飛んでバスターソードを回避すると、天井に足を着けて跳躍。


 直上からの攻撃にオークは対応できず——瞬間、俺は一気に魔力を増幅させると、勢いそのままに極大魔法を放った。


「死ねッ」


 極大魔法『インフェルノ』。


 前回、ナイトメアオークにとどめを刺した一撃である。

 漆黒の豚は迎撃しようと顎を開くが、即座に無駄と判断し、灼熱の炎から逃げ出そうと試みる。


 ——が、間に合うはずもない。


 周辺は一瞬で摂氏数千度まで上昇し、爆風が狭い空間内を木霊する。


 火属性最上級の名に恥じない一撃が終わり——岩肌の融解した爆心地に立っていたのは俺だけだった。


 二匹のナイトメアオークは、その身体の半分を失い、下半身がダンジョン内部へと消えていった。


「……二度と同じ轍は踏まん、が。それでも身体残るってまじ? 俺なんか服が燃えてフルチンなんだが」


 女性経験のない息子を揺らしながら、遠くへと投げ捨てていたサファイアと、念のために持って来ていた着替えの入ったリュックを取る。


 以前の反省を生かした形である。


 前回はインフェルノで全裸になった後、そのまま死に体でギルドまで帰還。

 人妻松本さんに愚息をお披露目する結果となった。

 旦那のより小さいとか思われてたらどうしよう。


 ……いや、今のは流石に気持ち悪いな。


 俺は松本さんが大好きであるし、彼女が旦那と別れたら絶対に結婚するつもりでいるが、それでも彼女の幸せな家庭が壊れることを望んでいるわけではない。


 俺は紳士なのだから。


 などと考えながらリュックから着替えを取り出す。

 Tシャツ、ズボン、靴下にスニーカー……あっ、パンツ忘れちゃった。


 フルチンにズボンってなんか変な感じするよね。


 着替え終わりリュックを覗き込むと、底には漆黒の箱。

 魔質増強剤の入ったケースである。


 念のために持ってきたが、使わないに越したことはない。


 俺はリュックを担いでサファイアを手にすると、空間の奥へと視線を向ける。

 そこには来た時とは別の鉄扉があった。


 引き返してもいいが、この先になにがあるのかは確かめねばならない。


 鉄扉に向かって進む。


 ——そう言えば、今頃レイジの放送が始まっている頃か。


 レイジ本人には興味ないが、アイツのパーティーは美女ぞろい。

 出来れば見たいというのが本音だ。


 松本さんは——あの心配のしようじゃ見てないだろうな。

 霜月さんは——うん、彼女なら録画してくれているかもしれない。


 帰ったら「一緒に見ようぜ~」とか何とか言ってくれる姿が容易に想像できる。

 好き。

 松本さんも好きだけど霜月さんも好き。


「てか、今気付いたけどナイトメア・オーク二体って、これボス部屋だったりするんじゃな~い? ワンチャンダンジョン完全攻略しちゃったかもなぁ~?」


 ダンジョン完全攻略。

 あり得る。

 転移トラップで現在地は不明。

 実は百層のボス部屋だったとかあるんじゃない?


 だとすれば俺はレイジより先にSランク探索者に?


「それなら、あのレイジに一泡吹かせてやることも出来るかもなぁ」


 とか何とか。


 まるで『宝くじで十億円当たったらどうする?』みたいに、捕らぬ狸の皮算用ここに極まれりと言わんばかりの妄想を垂れ流して、嫌な予感・・・・言いようの無い不安・・・・・・・・・から目を逸らしつつ扉を開け——。


 俺は。


 ――絶望を、目の当たりにするのだった。


「……っ、はぁ……そりゃさ、一度倒したことのあるモンスターが二体でラスボスとか本気で思ってたわけじゃないけど……これは、あまりにもさぁ……酷すぎるんじゃな~い?」


 鉄扉を開けた先。

 そこは先ほどより広大な空間だった。


 ダンジョンの階層丸ごと一つ、すべての壁や道を取っ払ったかの如く、巨大な空間。


 そこに——いた。


 漆黒・・に包まれた、悪夢・・の如きモンスターの……大群・・が。


 見える限り、そのすべてがナイトメア種。

 綺麗に整列しているから、数えやすい。

 まるで軍隊・・のようだ。


 俺は、Aランク探索者の優れた視力でざっと確認して、絶望する。


 確認できる限り、

 ナイトメア・オークが百二十体・・・・

 ナイトメア・ゴブリンが二百五十体・・・・・

 ナイトメア・ゴブリンジェネラルが百体・・

 ナイトメア・ゴブリンキングが七十体・・・


 そしてその奥――。


「えっと……通常種でもSランク指定の癖に、なんでお前がナイトメア種になってんの?」


 そこに居たのはナイトメア・ゴブリンロード。


 通常種でも、討伐例の少ない最強種の一角。

 それが、ナイトメア種となって目の前にいる。


 を体現したかのような圧倒的存在感。


 ナイトメア種となったゴブリン・ロードなど、世界に三人しか居ないSランク探索者でも用意周到にパーティーを組んで挑まなければ、まず勝てないだろう。


 つまり初見で倒せる者など存在しない。


 そんな怪物が——見える限りで二十体・・・


「ふざけんなよ、マジで……っ!」


 絶望の宴が、始まる。

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