ep2 人妻とダンジョン配信を見る。

 約百年前、突如として世界中にダンジョンが出現した。


 内部は百階層からなる迷宮となっており、凶悪なモンスターや、様々なエネルギーに用いられる『魔石』、そして魔道具と呼ばれる特殊な道具が出土した。


 そして、まるでモンスターに対応するかのように魔力と呼ばれる能力が発現し、戦えるようになった人々こそが探索者と呼ばれる存在である。



  §



「松本さん」


「はい、ってあれ? まだ出発してなかったの?」


「いえ、終わったので帰ってきました」


「もう!? 三時間しか経ってないけど」


「今日この後から、のの猫の配信があるんですよ」


「ダンジョンから帰ってきてダンジョン配信を見るなんて……相馬くんは本当にダンジョンが好きなのね」


 何やら母性溢れる視線を向けられるが、その言葉は聞き捨てならない。


「ダンジョンが……好き?」


「え? ち、違うの?」


「す、好きじゃありませんよ! ダンジョンの事なんか全然好きじゃないんだからねっ!」


「なんでツンデレ風……」


 憐れむような視線でツッコミを入れる松本さんに俺は人差し指を立てて説明。


「いいですか? 俺がダンジョンに潜るのは仕事だからで、ダンジョン配信を見るのはのの猫ガチ恋勢だからです」


「がちこい?」


「配信者にガチで恋してるリスナーのことです」


「へ、へぇ……」


 瞬間、心做しか松本さんとの心の距離が空いた気がした。


 人妻とはいえ彼女は超が付く美人。

 心にグサッと来るじゃんね。


「おほんっ、と、とにかくそんな訳で、ご依頼を最速で終わらせてきたんですよ!」


「なるほどね……うん、魔力異常の反応は消えてるね。それで原因はなんだったの?」


「あぁ、こいつですね」


 そう言って俺は担いでいたカバンから手のひらサイズの魔石を取りだした。紫色に光るそれは魔力異常の原因だったモンスターのものである。


 それを見て松本さんは小首を傾げた。


「あれ、思ってたより小さい?」


「何言ってるんですか、色ですよ色」


「むらさき……? 魔石って普通緑じゃ……」


「知りませんでした? 魔石って濃度が増すと緑から紫に変色するんですよ」


「へぇ、知らなかった……で、なんの魔石なの?」


「ゴブリンロードですね」


 モンスターの名前を口にした瞬間、松本さんの動きが止まる。


「……なんて?」


「だから、ゴブリンロードですって」


「ご、ゴブリンロードってゴブリン種の中でも最強って言われる?」


「そうですね」


「Sランク指定のモンスターだった気がするんだけど……」


「まぁ、まだ生まれたばかりだったのかAランク上位ぐらいの力でしたね」


「それでも普通はAランク探索者がパーティーを組んで挑む案件だと思うのだけど……」


「不意をつけたので楽勝でしたね! 運が良かった!」


 胸を張って報告すると、松本さんは難しい顔で眉間に皺を寄せる。


 しかしそれも仕方ないだろう。


 俺とて並のAランク探索者がゴブリンロードを一人で倒したと聞いても信用しないのだから。


 俺が勝てたのは本当に運が良かったから。

 敵は生まれたばかり。

 お昼寝中だったので奇襲した。


 お陰でノーダメ撃破である。


 松本さんは紫色の魔石をつんつん突き、俺と魔石を交互に見比べ、震えた声で――


「……う、うっそだぁ!」


 現実逃避した。


「本当なんだけどなぁ……」


「そ、そんな顔しないでよ……もう。分かった信じるわよ。でも、あまり無茶はしないでね?」


「分かってますよ」


 少々頼りないしたまにイラッとする事もあるけど、やはりこの人はいい人である。

 人妻じゃなかったら求婚してた。

 職場恋愛ってやつ。


「それで、魔石は買取に出す?」


「持ってても意味ないですしね」


 ダンジョンで採れる魔石や素材、鉱石の類は国に売却することが出来る。


 需要と供給に応じて値段が変動するが、かなりの収入になるのは間違いない。


「はーい、それじゃあ相場は……い、いい、1600万円!? 私たち夫婦の年収超えちゃった……」


「旦那さん、案外稼いでるんですね、って、えぇ!? そんなにするんですか!? ……くそ、いつも荷物になるからって放置してたけど、ちゃんと回収しておくんだった」


「待って、今までも倒したことあるの?」


「ゴブリンロードはないですけど、紫色の魔石は何個か見たことありますよ」


「……報告書面倒だから、聞かなかったことにしていい?」


「いいですよ」


 松本さんは「やったぜ」と暗い顔で告げ、ゴブリンロードの魔石の買取申請を進めてくれた。


 因みにゴブリンロードの魔石のせいで他の魔石の買取価格がガクッと下がった。

 すまんね、でもこれ早い者勝ちなんよ。


「さて、それじゃあ今日はもう終わりかな」


「ですね。っと、今何時ですか!?」


「え? えーっと、午後六時前だね。私も上がりだけど今日は旦那飲み会って言ってたし……そうだ! 焼肉でも食べに行かない? 相馬くんの奢りで──って、何してるの?」


「さっきも言ったでしょ。のの猫の配信ですよ」


「うわー、ここまで食い付いてると流石に引くわ」


「高校生に焼肉奢らせようとした大人が何言ってるんですか?」


「高給取りのくせに……いいじゃんいいじゃん! ケチ! 今日だけで私たち夫婦の年収超えたんだから!」


「何回言うんですかそれ……はぁ、分かりましたよ。その代わりのの猫の配信が終わってからですよ」


「うひょ〜相馬くん大好き! 旦那の次にア・イ・シ・テ・ル♡」


「はいはい、あっ、見て見て始まりましたよ! ピャー今日もきゃわいいぃぃ!!」


「……これが、『若さ』ってことなのね」


 そう言って俺のスマホ画面を覗く松本さん。

 画面の中では黒髪ショートの美少女、のの猫が鎧を身にまとい、細身の片手剣を担いで挨拶をしていた。


『飼い主のみんなーこんねこー。万年Cランク探索者の、のの猫さんだよー。今日は渋谷ダンジョンの五十層に来てまーす。こっから六十層まで行ける所まで行くよー』


「へぇ、のの猫ちゃんってCランクなんだ」


「充分凄いほうですよ。Cランクは上位5パーセントなんて言われる世界ですし」


「流石、Aランク探索者様は物知りですなぁ」


「どうも、上位0.1パーセントです」


「なのに彼女の一人も居なくてダンジョン配信者にガチ恋って……元気だして!」


「うるさいですよ! そんな事より松本さんも猫ちゃんの応援しましょ」


「猫ちゃん?」


「のの猫の愛称ですよ」


「なるほどね。うーん。まぁいっか。このあと焼肉だし。がんばえー」


 ツッコミたいけれど今は我慢。

 そうして俺たちはのの猫の配信を見始めるのだった。

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