第7話 映画

夕霧真一は、仕事のストレスを映画鑑賞で忘れるのが常だった。

自宅で観る映画には迫力がなく、映画を観るならやはり映画館だと真一は思っていた。若者や家族連れの騒がしい映画館ではなく、映画を観るためだけに作られたようなこぢんまりとした映画館が彼のお気に入りだった。


ある日、真一はいつもの静かな映画館に向かおうとしたが、その日は違うことを考えた。いつもと同じ場所ではなく、別の映画館を探そうと思ったのだ。傘を差し、いつもの映画館とは逆の道に進んだ真一の心には、なぜか新たな冒険に対する期待感があった。


雨がしとしとと降り続く中、ぎょろぎょろと目を凝らし、まるで不審者のように道を進んだ。街の端に差し掛かる頃には、天気はすっかり荒れ狂い、雷が何度も落ちる音が鳴り響いていた。少し普段とは違う行動をしたことを後悔し、引き返そうかと悩んでいたその時、真一はあるものを見つけて足を止めた。


小さなビルの一階、雨に濡れきらきらと光る木の板に「映画館」と赤い文字で手書きされた看板があった。その看板を見て、真一は自分の求めていたものをついに見つけたと喜び、雨の中スキップしながら大きな両開きの扉を開けた。


中に入ると、しんと静まり返った空間が広がっていた。薄暗く、蛍光灯がちらちらと点滅しており、ワイン色のぼそぼそのフロアマットと深緑色のチェック柄の壁紙はところどころ剥がれていた。チケット売り場はどこにも見当たらず、スタッフらしき人もいない。そんな光景に真一は一瞬あっけに取られたが、すぐに腕を摩りながら一本も傘の刺さっていない傘立てに持っていた傘を挿した。


静かな廊下に真一の小さな足音だけが響いていた。心臓の鼓動が速くなるのを感じながら、彼は奥へと進んでいった。


少しだけ廊下を進むと、重厚そうな大きな両開きの扉が現れ、その傍らに「伊集院昭」と書かれた張り紙があった。


真一は聞いたことのないタイトルで心が躍り、この場の不気味さなど頭から抜け落ち、期待を胸にゆっくりと扉を開いた。


映画の上映はすでに始まっており、大きなスクリーンに白黒の古めかしい実写の映像が流れており、客席は点々と埋まっていた。コーヒー&シュガレッツのような短編か、それともローマの休日のようなラブロマンスか。真一は映画の内容を考えながら後方の中央辺りに座った。


流れている映画は、俯瞰視点で見たホームビデオのようで、時々主観になったりする場面もあった。


真一は効果音も凝った演出もない映画が、まるで誰かの人生でも見ているかのようで目が離せなかった。


食い入るように真一が映画を見ていると急に肩を叩かれ、驚いて跳ね上がり、振り向くとそこには燕尾服を身に着け、大層な髭を生やした男が真一を睨みつけていた。


「ご退場願えますか」


澄んだ低い声で男は言った。


真一はその言葉を聞いて、やはりチケット制だったかと焦った。


「ああ、申し訳ありません、受付らしきものが無くて…」


と真一が言いかけると、男は一言も発さずに真一を席から立たせ、劇場の外に引きずり出した。


薄暗い廊下に出ると、真一は男に深々と頭を下げた。


「あの、本当にすみません。チケット制だって知らなくて」


「違います」


「違う? ああ、確かに私はここに居てはいけませんね」


真一がそう言うと、男はコクリと首を縦に振った。


「そうです、ここは貴方のような生者ではなく、死人が走馬灯を見るための劇場です」


「え?は、はは…」


真一は男が何かの冗談を言っているのだと思い、乾いた笑いをすると、男は煽るように話し始めた。


「貴方は幸運です。そう、とても幸運。前に生者が迷い込んできた時はひどい有様でした。本当に、今日は人が少なくてよかったですね」


男はそう言い終えると、口が裂けてしまいそうなほどの笑顔を見せ笑い始めた。


静かな廊下に男の笑い声が響き渡り、点滅する蛍光灯が余計に恐怖を煽り、真一は逃げるように廊下を走り、建物から飛び出た。


外に出ると太陽の光で視界が一瞬真っ白になり、目が慣れてくると空は雲一つない晴天になっていた。

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水雲小話 海埜水雲 @kouhuu

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