第32話 ボス・エネミー、あるいは超地球的存在






 完了しましたわ。

 防音結界の内側に入り、十数分ぶりに喉から声を発するアイビー。お疲れ様ぁ、お疲れ様ですと、労を労うオリザとシズ。


「視聴者様方のために場を繋いで下さったのは大変有難かったのですけど、わたしの話で盛り上がるのは本当に止めて欲しかったですわ」

 アイビーは非常に忌々し気な眼差しでトラヴィスを睨む。


「特に、ウチの愛犬の話を始めたときは本気で得物を投げ付けてやろうかと思いましたわ」

 そう言いながらアイビーは、青龍偃月刀を振りかぶりながら投擲するようなジェスチャーをしてみせた。トラヴィスは飛び退きながらあはは、と笑い出した。


 ……質問への返答が何となくアイビーのひととなりに映った際、アイビーが可愛がっている飼い犬の写真をSNSでアップしている話題を急に嬉々として語り出し、背後のアイビーが背中越しでもわかるほど動揺しだして、ソヨギは気が気でなかった。幸い、何かを察したオリザが即座に半ば無理矢理別の話題を始めたので、その場は事無きを得たのだ。


「別にキミやパウロ(犬の名前)に対して悪く言った訳じゃないだろ? 許してくれよ?」

「あなたが! わたくしとパウロ(犬の名前)が戯れている写真の話を始めると! わたくしも色々エピソードを注釈してしまいたくなってしまうでしょ!? そういう話題で盛り上がりたいなら別枠の動画でしていただけませんこと!?」

「いやーそこまでパウロ君(犬の名前)では盛り上がれないかな……?」

 至極どうでもいい言い合いに興じる2人に対して、「あのー、時間が勿体無いですしそろそろ始めませんか?」と至極冷静にシズが割って入る。


 シズの一言で表情を引き締め直したトラヴィスとアイビーとその他一行は、一斉にドーム中心の巨大奇光石に視線を向ける。


 最初に結界を完成させたときよりも、地面から微かに浮遊する発光巨石の全体像がハッキリと見て取れる。奇光石とこの結界を阻むトライサプリングをソヨギの槍(槍に彫られた術式とアイビーの魔力)で全て退治したからである。


「そうだね、じゃあ早速始めるかい? 準備は良い?」

 妙に軽妙な調子でオリザを見ながら尋ねるトラヴィス。

「はい。大丈夫です」

 それに力強い頷きで応えるオリザ。


 そして2人は、正面に巨大奇光石を見据えつつ結界の縁に立つ。他3人は、なんとなく数歩退き結界内で2人から距離を取る。

 固唾を飲んで見守るソヨギ、配信動画のコメントの方も声を殺して(?)結界の中心に立つ2人をソヨギのゴーグルの視線越しに見守る。


 トラヴィスはゆらりと杖を掲げ、先端を巨大奇光石に向けて突き出す。杖の先端だけ、結界の外にはみ出る。

 そして実にさり気無い風に唱えるのだ。


「マジック・ショット」


 トラヴィスが呟いた途端、結界の外に出た杖の先端に青白い球体が膨らみながら浮かび上がり、矢のように杖の先端から巨大奇光石に向かって発射された。

 ソヨギとアイビーによってモンスターが駆除された直線を青白い光球が飛び、そのまま直立して浮く巨大奇光石に激突した。


 トラヴィスの『マジック・ショット』は言わば『魔法を妨害するための魔法』である。思惟を攪乱する術式が篭められた魔力の塊を対象に飛ばし、一時的に魔術的効果を弱めたり打ち消したりも出来る。トラヴィスのこの術式は、巨大奇光石の魔術的に強化された耐久性を一時的に弱めるためのものである。


 すなわち、本命の攻撃の下準備だ。


「ファイヤー・ボール!」


 トラヴィスと同じように松明の先端を結界の外に突き出したオリザがトラヴィスの杖からの光球発射に一瞬遅れてから唱える。松明の先に赤い火球が姿を現し、圧迫されるようにぐぐぐと収縮する。そして目にも止まらぬ速度で敷かれた直線を滑り、一瞬前にトラヴィスの魔法が当たった場所に激突する。


 途端に響く爆発音。


 ただし、結界内に居るソヨギ達には、まるで河川越しの花火の音を聴くようなくぐもった音に聴こえる。結界の効果で、外部からの音や衝撃波が抑えられるのだ。結界内部の音は完全に外には漏れないが、結界外の音はある程度音量を抑えつつもちゃんと聴こえるようになっている。


「効いている! ヒビが出来ている!」

 トラヴィスが叫ぶ。


 オリザの攻撃魔法が激突した箇所は少し砕かれ、残った箇所にも、ここからでもわかるくらいハッキリとしたヒビが入り、池を覆う氷が割れる直前のように、亀裂が巨大奇光石全体に広がっていった。




○:さて…………!

○:始まるぞぉ!

○:来るのか! 『ヤツ』が!

○:ヤバいヤバいヤバいヤバい

○:当たれ! マジで当たれボス・エネミーガチャ!!

○:健闘を祈ります!

○:死ぬなよ、頼むから……!




 賽は投げられた。


 巨大奇光石を破壊してしまえばもう後には戻れない。ボス・エネミーと相対し、どちらかが死ぬまで戦うしかないのだ。


 オリザの攻撃魔法により全面に亀裂が走った巨大奇光石。その亀裂から、急に液体がだらだらと流れ始めた。ヒビから漏れ出た液体がゆっくりと巨大奇光石の全体を覆い、緑色のマーブル状の表面が、徐々にその巨石然とした形状を失い、収縮し細長い姿に変わっていった。

 

 その姿は明らかにヒト型。ダンジョンの守護者、『ボス・エネミー』へと生まれ変わろうとしていた。


 ……牧村ソヨギの配信動画を観ている視聴者全員はすでに理解していることだが、これから行われるボス・エネミーの討伐において、ソヨギが役に立つ要素は特に無い。トライサプリングの駆除が完了した時点で予定されていた仕事は全て終えている。それでもソヨギがこの場から離れていない理由はふたつある。


 ひとつは、言うなれば動画配信者の矜持ということだろう。ダンジョン探索の歴史に間違い無く残る瞬間に立ち会わずに撤退する選択肢を選ぶべきでは無いだろうと考える営為と狂気に従った判断。

 そしてもうひとつ、そもそもシズの結界があと30分くらいしか持たないのだ。ソヨギの撤退を待っている暇が無いので撮影係くらいしか役目が無いとしてもソヨギをこの場に残しておくしかない。

 ソヨギが安全圏まで撤退するまで待っていられる時間なんてない。中途半端にここから離れた所で攻撃の余波で死にかねない。


 明らかに人型に変形した巨大奇光石。

 そのまま、そのヒト型の内側からマーブル状の液体がとめどなく溢れ、下半身や腕、頭部に液体集まりまるで蝶の羽化のように広がるような立体的な形状を象っていった。


 そしてそのヒト型の輪郭が徐々に明確になってくる辺りでトラヴィスが慎重にポツリと呟く。


「とりあえず、第一段階はクリアかな?」


 ……ヒト型の存在の表面を覆うマーブル柄の液体はそのヒト型自身に吸収されるように徐々に消え去っていく。代わりに、探索者の前に姿を現したのはドレスを纏った、一人の人物である。


 背丈は背の低い成人女性程度、華奢な体躯で、異様なドレスである。華のように広がる黒いドレスに黒曜石が骨組みのようにドレスや全身を這う。ドレスの布部分(布状に見える部分)や腕を覆うスリーブ、腹部と胸部を覆うレオタード状のタイトな生地の上半身にはいくつかの茶色い円盤状の謎の意匠が貼り付けられている。


 顔もまた異常極まりなく、一見赤い瞳が輝く溌溂とした少女のように見えなくも無いが、眉間から左頬に掛けて非常に深いガラス細工に走るような亀裂があり、顔の左半分、左目から左頬に掛けては皺の深い老人の顔が乗っかっている。目の位置や骨の形状が違い明らかに違う人物の顔が取り付けられていることがわかる。ブロンドの長い髪は半分くらいティアラのように頭部に被せられた黒曜石状のティアラに浸食され、髪と細長い黒曜石が奇妙に混在する奇妙な髪形を成していた。


 砕かれた巨大奇光石から羽化するように再誕した黒い魔性の少女。


 黒曜石のような材質のハイヒールで静かに地上に降り立った『ソレ』は、侮蔑するような少女の眼差しと全てを諦観したような老人の眼差しで、自身の前身を破壊した犯人達/探索者達を見据えた。


 そして


 どうん

 ドームの中の全てが振動した。


 防音結界で外部からの音も遮蔽されているはずの魔法陣内部も、その衝撃波で全身が震え、爆発音を耳にした。


 その音源はドームの中心の魔性。


 ソレが発生させた衝撃波が防音結界を貫通し、探索者達の身体と鼓膜と揺らしたのだ。


 防音結界が無ければ即死だった。


 過去にこのボス・エネミーと相対した探索者達は、出現時に発生したこの人間の許容を遥かに超える爆音の衝撃波で全員ショック死している。


「この星の現行知的生物の皆様! 御機嫌よう!」


 少女の瞳を細めながら、優雅に挨拶をするボス・エネミー。挨拶の内容は優雅だがその一言が相変わらず分子を震わすような大爆音で、結界内でもハッキリと聞き取れる。


「わたくしの名前は騒麗霊嬢アン……!」


 自己紹介中の『騒麗霊嬢アンジェアリーナ』の言葉は途中で途切れてしまった。


 周囲に並び立つ大量のトライサプリングの頭部から一斉に毒針が発射され、ボス・エネミーの頭部に殺到し、その一部が少女の咥内に突き刺さってしまったからだ。





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