幕間2 エピローグとプロローグ
午後8時直前。場所は神戸空港。
滑走路を見下ろすガラス張りの壁の前に設置されたピアノに一人の女性が座り、異様に躍動感の無い様子の『イッツ・ア・スモール・ワールド』を弾いていた。
朝からずっとピアノを弾いていたことを考えれば少しは演奏が巧くなるのではないかと問われれば別にそんなことは無く、演奏に慣れてきた時点でまた別の楽譜が用意され周到に演奏レベルを低いレベルでキープする工夫が成されていた。
ここに設置されたストリートピアノの利用可能時間は午後8時まで。
ピアノの上に彼らが置いたタイマーがゼロを示すよりも前にその時間がやって来た。
非常に中途半端なパートで演奏は終了し、ピアノを弾いていた女性は脱力したように鍵盤の前でうなだれる。
共にローテーションしてピアノを弾いていた他のピアノ初心者4人は、お互いの健闘を称えるように力無い拍手を空港内に響かせた。
すぐ傍の待合所で飛行機のフライトを待つ客達は、怪訝な様子で限りなくノイズに近いピアノの音色を拡散し続けていた集団を眺めていた。
ピアノにうなだれる女性の後ろ姿とピアノ初心者達をさらに遠巻きに観察するダッフルコートを羽織った少年の姿がひとつ。
実際はもう成人しているのだが、華奢で背の低めな体格のせいで実年齢よりやや若く見える。特徴的なのは白く染めたマッシュショートの髪型で、目元をすっぽり包み込む一見サングラスにも見えるVRグラスを装着している。
VRグラスが映し出す神戸空港の風景の中にふたつのウィンドウが表示され、青年の視界の中にだけそれぞれが一人の人物を表示していた。
ひとりは黒人女性。年齢は20代後半くらい、シャープで整った顔立ちで活動的な印象を与えるベリーショートの髪型。
もう一人の人物は白人男性。年齢は30代中盤くらいで、ツーブロックの金髪はワイルド感があるが、余裕有り気な笑みが何となく軟派で軽薄な印象を周囲に持たせる。
VRグラスに映る二者は、白髪の青年の視界を通して神戸空港で行われた最後の姿を目にしており、鍵盤にうなだれる演奏者の後ろ姿に対してゆったりと音の鳴らない拍手のジェスチャーをして見せた。
二人のための撮影者に徹している白髪の青年は、正直全く拍手をする気が湧かなかったので、無感情な表情で淡々と凝視するだけだった。
「全世界を巻き込む大事業、ご苦労様」
非常に優雅な様子で、なおかつ若干の呆れを声色と目元の表情に湛えながら拍手の角度を白人男性の方に向け直す黒人女性。
若干皮肉交じりの女性の言い方に、男性は片手を上げてニヒルに微笑んだ。
「あなたのこの盛大なパーティーに賭ける情熱、見事と言う外ありませんわね。これだけの人達を集めるのに、一体どれだけお金を掛けたのかしら?」
非常に高飛車な、コテコテのお嬢様然とした日本語で疑問を呈する女性。
……本来彼女は英語話者で、白髪の青年の耳に聴こえている声はリアルタイムで日本語に翻訳されているのだが、彼女自身の好みにより、日本語翻訳の際かなり偏った言語学習が成された翻訳AIが使われているので、彼女が発する英語は、白髪の青年には全て古式ゆかしいお嬢様口調として変換されている。
「……まぁ、それなりにね。まぁでも、ダンジョン『攻略』の安全を買う額としては、十分釣り合いが取れるよ」
軽やかな口調で返答する男性。
「そもそもダンジョンとはいわゆるUT(超地球的存在)でね。この星そのものの在り様と直結している」
「……」
本来彼も英語話者で、白髪の青年の耳に聴こえている声はリアルタイムで日本語に変換されているのだが、白髪の青年はそう言えば、この白人男性が何故いまの翻訳AIを使っているのか尋ねたことが無いなと、ふと思った。海外のテレビショッピングの吹き替えのような大袈裟でわざとらしい喋り方が、この人物にあまりにも上手くマッチしているからだ。
「地球の投影である地下迷宮は地球の自然史・文化史のデフォルメであるし、特に人類の集合知に如実に影響を受ける。地球全体、とまでは言わなくても人類の多数の心象の変化にも少なからず影響を受けるのは間違い無いよ。特に、『新しく創られる部分』に関してはね」
「非常に聞き飽きた貴重な講義、まことに痛み入りますわ。最新のトピックスがあればそこだけ訊かせていただけなくて?」
優雅な口調で、面倒臭そうに皮肉を言う女性。白髪の青年も、この男と会う度に訊かされている話である。男の方はただ、楽しそうに小さく笑う。
「ダンジョン探索は来週ですよね? それまでこの話題は維持されるでしょうか? その、地球上のソーシャルの中で」
白髪の青年は目の前で撤収しようとしているピアノ初心者達を手で示しながら画面上の男性に尋ねた。
日本語話者の青年の声は二人の耳には英語翻訳されて届けられているはずだが、翻訳AIのタイプをわざわざ選ぶような細かい設定変更はしていないので、両者が選んだ喋り方で翻訳されているはずだ。自分の日本語が、彼らによってどのように翻訳されているかは青年にとって特に興味は無い。意味が通じていれば問題無い。
「まぁ、そうだね。この一週間は世界のメディアに働きかけて今回の事件を優先的に報道するようにしてもらおう。ストリーマーの〇〇〇〇〇○氏にも、情報を小出しにするように打ち合わせしないとね」
「…………」
平然ととんでもないこと言うなこの人。思わず顔を顰めてしまう青年。
「とりあえず昨日の、いや日本で言う所の今日の一件は成功と見ていいよ。
この星は騒音に満たされた。
これを持って、ダンジョン『攻略』の最後の下準備の完了さ」
第三部『大静寂作戦』に続く。
「そう言えば、例の『槍』は完成しましたの?」
「ああ、概ねはね。ただ実際にミスターソヨギにチートスキルを掛けて貰わないと微調整は出来ないからね、最終調整は現場で行わないといけないよ。
そうだシズ、ソヨギへの連絡を頼まれてくれないかい?」
「……僕も先輩経由で知り合っただけで、積極的に連絡取り合ってる訳じゃないんですけどね。まぁ、やっときますよ」
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