第15話 大迷惑
「っ!!?」
不意にソヨギとオリザの目の前に現れた『へぐ・あざぜる』は振り向きざまに四人の姿を確認し、声にならない悲鳴を小さく上げ全身を強張らせながら仰け反った。
驚いたのはソヨギ達も同じで、目の前に急に現れた同業者に全員言葉を失っていた。
「え……、ちょ、何? ……はぁ?」
困惑しながらも、とりあえず何とか事態の把握をしようとしているへぐ・あざぜる。
「えと……、あ、キミぃ……、もしかして、灯藤オリザ?」
へぐ・あざぜるの視線が、この中で唯一顔を知っているのであろう有名ダンジョン動画配信者に焦点を定めた。
「はい、灯藤オリザです。始めましてへぐ・あざぜるさん……」
一応挨拶を返すオリザだが、いまひとつこの状況を飲み込め切れていないオリザの声から戸惑いの気持ちが溢れていた。
それは隣にいるソヨギも同様で、少なくともソヨギには、へぐ・あざぜるが目の前に現れる兆候が全く掴めていなかった。誰かが背後から近付いてくる気配も無かったし、廃旅館から誰かが出てくる気配も無かった。
廃旅館の外観を撮影するジンジ達に意識が向いていた一瞬の隙を突いて突然現れたとしか思えない唐突な出現だった。
「え? ナニコレ? ドッキリかなんか???」
有名動画配信者の姿にある程度の安心を覚えたらしいへぐ・あざぜるは4人の顔を見渡し引き攣った半笑いで問いかける。
「……えーとあの、すいません」
恐る恐る話すのは山野辺ジンジ。
「私は灯藤オリザのマネージャーをしております山野辺ジンジと申すものです」
「あ、どうも、ダンジョン動画配信者のへぐ・あざぜるです」
状況を推し量るような丁寧なジンジの挨拶に、ちょっとふざけた様子で挨拶を返すへぐ・あざぜる。基本、態度が何か嫌な感じなんだよなこの人……。
「一応、まず我々はドッキリでは無く、正規の手続きで許可を得て『上三川Deep』の探索をしておりまして」
「いやオレもオレも」
「監視所でも今日の探索者は一組だけだと確認を取っていたんですが……」
「うん、オレの方もそうだった」
ジンジは、渋い顔で眉間に皺を寄せた。
「これ、法的にまぁまぁ拙い状況?」と疑念の割には妙にあっけらかんとした口調で呟くへぐ・あざぜる。
「いえ、恐らく行政側の手違いだと思いますがね……?」
とジンジは口にするものの、表情は全く釈然としていない様子だった。
「……この場合、とりあえず管理部門に問い合わせるのが定石でしょうかね?」
つまりそれは、みんなで先程通り過ぎた監視所まで引き返さねばならない。
「えー! 面倒臭ぇよ! せっかくダンジョン目前まで来たんだしさぁ!」
恐る恐る提案したソヨギにへぐ・あざぜるは横柄な様子でゴネ出した。
「ダンジョン探索が終わってから報告で良くないですかねぇ? 探索中は出会わなかったってことにすれば、バレはしないでしょぉ?」
えー。
ソヨギは思わず不満を漏らしそうになったが、面倒臭いことになりそうなので口を噤んでいた。
「えと、どうします?」
オリザはジンジの顔を窺った。しかしジンジは、何かが釈然としないような難しい表情をして自分の思考に没頭しているようで、反応が曖昧だった。
「あー! つかダメだわ! そもそもこれ生配信じゃん!? この時点で全国にバレてる!! 一旦監視所に戻るしかねぇわ!!」
めんどくせー! と天を仰ぎ見ながら嘆くへぐ・あざぜる。
……動きや喋りがいちいちオーバーでメリハリが利いているのはエンタメ意識なんだろうなと、ソヨギはふと気付いた。人気配信者として理解しやすい感情の起伏をわかりやすく表現する所作はオリザにも共通している。
正直、ちょっと気付きたくなかった符号だ。
まぁ、へぐ・あざぜるの場合はそれがウザさや不快感に結びついてしまっているのだが。
「あ、そーだ、せっかくだからさぁ、オリザちゃんツーショットでカメラに映ってよ」
「は、はぁ……」
「ほら、あそこにドローンが浮かんでるからさぁ」
そう言いながらソヨギ達の背後上空を指差すへぐ・あざぜる。
ソヨギ達は振り向き見上げる。
が、そこには、ドローンなど飛んではいなかった。無感情な青空がただ広がっていた。
「ほら、オレの隣に来てよおぉ」
「いえ、その……、ドローンなんて飛んでませんけど」
「えー何言って……、あれ、マジだ、飛んでない……」
オリザに指摘されようやく気付いたへぐ・あざぜるは上空を見上げながら目を見開いた。「えっちょ、どこ行った?」と焦りながら腰の小物ケースのタブレットを手に取りドローンの状態を確認しようとするが、「はぁ? エラー?」とタブレットの画面を見ながら顔を顰める。
「マジで霊障の機材トラブルが……」
思わず呟きながら、同じくヘッドディスプレイが動かなくなったらしいジンジの方に視線を向けたソヨギは、ギョッとさせられた。
ジンジの隣の狐崎ルブフが、まるで、生涯の宿敵に遭ったような表情で、目を見開きじっとへぐ・あざぜるを睨み付けている。
へぐ・あざぜるの方もその異様な視線に気付いたらしく「え……、この巫女さん、コワ……、てか何故巫女?」と軽く後退る。
「オリザ、この人とは知り合いみたいだけど……」
へぐ・あざぜるから視線を外さずオリザに話し掛けるルブフ。
「えと、動画配信を観たことあるだけで、お会いするのは今日が初めてです」
「そう……。もしかして、この人最近失踪してたとか、そういう話は無い?」
「……へ?」
表情を曇らせるオリザ。
「いや、それは無いですよ」
質問に答えたのはジンジだった。
「へぐ・あざぜるさんは昨日も生配信をしていましたから。九州の『九重Deep』で探索生配信してました。『八十九式重擲弾筒オンリー縛りで九重Deepをどこまで攻略できるか!?』。アレ無茶苦茶面白かったです」
「は? テキダントウ? 何それ……?」
「……へ?」
「てか昨日動画配信とかしてないし」
嫌な沈黙が、廃旅館の五者の間に流れた。
どこかに、凄まじい違和感がある。その場にいた全員がそれを感じていた。
ジンジが昨日見た生配信が本当にへぐ・あざぜるの生配信で、目の前のへぐ・あざぜるが嘘を吐くなり勘違いしていたとしても、それはそれで妙な話なのだ。
昨日九州で生配信をやっていた人間が、次の日の昼前に都心から車で3時間掛かる場所でまた生配信をしようなんてスケジュール、あまりにも強行軍が過ぎる。物理的に不可能じゃないにしても、そこまで過密スケジュールを組む意味が解らない。
「……となると、『生霊』か……?」
思案の果てに辿り着いたルブフの言葉に他探索メンバー3人の視線が集まった。
「は? 生霊? なんの話?」
へぐ・あざぜるの言葉を無視して狐崎ルブフは、へぐ・あざぜるを見詰めたまま静かに手を合わせた。
そして、祝詞を唱え始めた。
一瞬、お経かと思ったが何となく違う。腹の底から響かせる力強く早口の呪言で、空気を響かせる威圧感が鼓膜を震わせる。
そもそも威圧感のあるルブフだが、詠唱中の威圧感はまた違う方向性で、害悪を言葉で諫めんとする怒気を強く孕んでいるように思えた。
「え、なに急に? コワ、え? え……?」
急に呪言を読み上げる巫女にドン引きするへぐ・あざぜるだが、同時に、奇妙なことが起こった。
へぐ・あざぜるの身体の輪郭がうっすらとぼやけ始めた。そしてその身体自体が少しずつ薄く透明に近付き、淡く光る粒子を浮き上がらせながら消え去ろうとするではないか!
「え!? ちょ! ちょ! ナニコレ……! え……!」
自分の身体の変化に大きく戸惑うへぐ・あざぜるだが、身体が薄くなるに連れ声も聞こえなくなり、遂には完全に姿を無くし、粒子も虚空に消え去っていった。
完全に消え去ったあと、ルブフは詠唱を止め深く溜息を吐いた。
「……えっ? 幽霊……!?」
「え、ええぇぇぇ……?」
へぐ・あざぜるの影も形も完全に消え去ったのち、ジンジとオリザは困惑の声を上げた。ソヨギは、一体何が起こったのか理解出来ず、呆然としてしまっていた。
「多分、そのへぐ・あざぜる?って人の生霊だと思うんだけど。……この中で誰かそのへぐに呪いを掛けられるくらい恨まれてる人とか居たりしない?」
「いえ……、心当たりは……」
戸惑いながら首を振るオリザ。ソヨギも一緒に首を横に振る。
「呪いの類ではないと思いますがね……。へぐ・あざぜるさんが魔法を使うなんて話聞いたことありませんし」
意見を言うジンジに「そうなのよねぇ……」と思案するルブフ。
「生霊にしてはエネルギーのベクトルがこちらには向いていなかった。あの虚ろさ加減はやはり幽霊に近」
「ノブレスオブリージュ、果たしていこうと思います!」
「「「「!!!!」」」」
困惑と混乱の空気の中で、聞き覚えのある能天気に格好付けた台詞が不意に響き渡った。
声のした方へ弾かれるように振り向く一行。
何とそこには。
さきほど巫女の祝詞と共に塵になり消え去ったへぐ・あざぜるが立っているではないか!?
「え、え? えええええ~!?」
「えええええぇぇぇ~~!!?」
鏡見合わせのように素っ頓狂な悲鳴を上げて仰け反るへぐ・あざぜると灯藤オリザ。
「きえええええええええぇぇ!!!!」
そしてそれを打ち消すように絶叫を上げ、へぐ・あざぜるの顔面を右ストレートで殴り付ける狐崎ルブフ。
全身を充分に引き、全体重を乗せた非常に美しいフォームの右ストレートはへぐ・あざぜるの左頬を抉り、廃旅館の入り口までノックバックした。明らかに素人のパンチではない。
「ええぇぇぇ……」
へぐ・あざぜるの再出現よりも困惑させられたソヨギ。
「……思わず手が出た」
口元を手で隠し眉間に皺を寄せながら廃旅館の柱にもたれ掛るように倒れるへぐ・あざぜるを見詰めるルブフ。その右手の指には、いつの間にか金属製の器具が嵌められているではないか……!
「え? それメリケンサック……?」
「そう、メダイ付きメリケンサック」
よく見ると、メリケンサックの外側部分に精緻なデザインが施されたメダルが並べて取り付けられている。メダルに彫られたマリア様がこちらを見てる。
「下級霊ならこれのワンパンでマットに沈む、もとい成仏させられるはずだけど」
成仏させられる、じゃねぇよ!
巫女がメダイを持ち歩いている点を脇に置いておくにしてもメダイの付いたメリケンサックでぶん殴るとかあまりにも罰当たりではないのか!?
宗教の垣根を超えるにしてももう少しやり方を考えて欲しいっ……!
ルブフの言説通り、廃旅館の入り口にその身を沈めたへぐ・あざぜるは殴られた左頬から身体の輪郭が薄くなり白い粒子を吹き出しつつ、先程同様にやがて消え去っていった。
「おかしい……。一度目の祓詞(はらえことば)の時点で完全に浄化出来ていたはずなのにな……」
一度目の『浄化』よりも明らかに戸惑った様子で呟く霊媒師。
「……そんなに不思議なんですか? いや、わたしにとっては今の時点で十分不思議なんですが、専門家的にはどうなのかなと思いまして……」
明らかに平常心が揺らいでいるルブフに逆に落ち着きを取り戻したらしいオリザが恐る恐る質問をした。
「不思議も不思議よ。お化けをコピー印刷してそのまま貼り直したくらい意味不明」
「……それ、『リング』みたいな話ですか?」
「それに近い。てか、よくそんな古い映画知ってるわね?」
「まぁ、名作ですから」
急に意味不明なやり取りを始めるルブフとジンジに、困惑した表情を作るオリザ。ソヨギも、似たような顔をさせられた。
「……え、じゃあ、二度あることは三度あるということですか?」
「……有り得るかもしれない」
「ノブレスオブリージュ、果たしていこうと思います!」
そして再びである。
再び探索パーティーの目の前に現れたへぐ・あざぜるに苦い顔をしながら「とりあえず、旅館から離れましょう」と提案するルブフ。他3人も、力強く首を縦に振る。
「え? ちょ、ちょ、ちょ、ちょ待てよ!? オレお化けじゃねぇし!」
へぐ・あざぜる側からすれば、急に現れた四人組が目が合った瞬間すぐさま背を見せて走り去ろうとしているのだ。思わず後を追おうとする。
「炬火招来!」
そう叫びながらルブフは、どこからともなく取り出したお札を中指と人差し指に挟み、トランプ投げの容量でへぐ・あざぜるに投げ付ける。
お札は不自然に真っ直ぐ、地面に対して水平に飛び、へぐ・あざぜるに着弾すると同時に鮮やかの赤い炎で燃え上がり、瞬く間にへぐ・あざぜるを包み込んだ。
「このまま逃げる! 行くぞ!」
一瞬速度を緩め、成り行きを見守ってしまっていた他三人を「今の内に逃げる! 早く!」とルブフは急かし、そのまま三人は一旦荒れた廃旅館から逃げ去った。
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