第17話プロポーズの言葉


 食事が終わると、琴羽さんはてきぱきと寿司桶を片付け始めた。

 こういう後片付け的なことを率先して、すぐにやってくれるのはありがたいと思う。

 自分はズボラだから、気が向いたらやろう、と思ってしまう。つまり気が向かない限り永遠に片づけを始めないということだ。


「……て、ありがたいとか思うだけじゃダメだよな」


 立ち上がると、机の上の食器を持ってキッチンへと向かった。

 玄関先でうずくまって、せっせとゴミ袋を縛っていた琴羽さんが、キッチンに入ってきた僕に気付いて顔を上げた。


「あ。わたしが洗うので、優一朗さんはゆっくりしていてください」

「いえ、手伝いますよ」


 シンクの中で水に漬けてあった寿司桶を拾い上げる。


「今朝の怪我、まだ残ってますよね? 琴羽さんは水仕事しちゃダメです」

「うう……すみません」


 申し訳なさそうにしながら、洗い物をする僕の隣に寄ってくる。

 僕が洗い物をしていると、なぜか琴羽さんは寄ってきて、興味深そうに手元を覗き込んでくる傾向がある。


「……琴羽さん、リビングでゆっくりしててくれていいですよ?」

「いえ、ここにいるほうが楽しいので」

「そうですか? テレビ見たりスマホいじったりしたくなりません?」

「うーん……なりませんねえ」


 琴羽さんは僕を見上げて首を傾げる。

 たしかに、琴羽さんが僕の前でスマホをいじっているところを見たことがない。


「そういえば琴羽さん、仕事ってなにをされているんですか?」

「高校で、茶道部と日本舞踊部の講師をしています。当時お世話になった先生に紹介していただきました」

「外部講師、ってやつですか?」

「そういうことになると思います。まだ始めたばかりなので、今日が生徒さん達との初顔合わせでした……あ、洗い終わった桶をください。わたし、拭きますね」

「ありがとうございます」


 乾いた布巾を持つ琴羽さんに、洗い終わった寿司桶を渡す。


「琴羽さんみたいな先生なら人気出そうですね。男子からは特にすごそうです」

「あ。男子生徒はいませんよ。女子校なので」

「そうなんですね。なら……」


 安心ですね、と言いそうになって、慌てて言葉を飲み込んだ。

 なんで僕、ちょっと安心したんだ?


「なら、なんですか?」

「いえ……なら、教えやすそうだなと思いまして。女子生徒のほうがちゃんと話聞いてくれそうですし」

「やんちゃなのもそれはそれで可愛らしいと思いますが、今日会った子たちは、みんないい子たちでしたよ」


 琴羽さんが嬉しそうに微笑む。

 今日あった何気ないことを話してくれるのって、嬉しいもんだな。


 そんな話しをしているうちに、洗い物が終わった。


「お疲れ様でした」

「こちらこそ、ご馳走さまでした」


 時刻は23時を過ぎていた。

 カフェ・ル・フェイでのバイトを終えて帰宅してからの夕飯だと、大体このくらいの時刻になってしまう。

 琴羽さんの生活リズムがわからないけれど、どう考えても夕食には遅い時間だ。


「琴羽さん、今度からは、僕の帰りを待たなくてもいいですよ?」

「え……なぜですか?」

「夕飯の時間が遅くなっちゃいますし」

「かまいません」

「……え?」

「かまいません。一緒に食べたほうが美味しいと思いませんか?」

「そうかもしれませんが……」

「それに、優一朗さんはわたしがお料理をしていたらどう思いますか?」

「不安です。作らないで欲しいです」


 素直に答えると、琴羽さんは左の頬をぷくっと膨らませて、ぷるぷると震えながら、一瞬怒りを露にした。

 しかし、すぐに目を閉じて、ため息と共にその怒りを吐き出す。


「はあ。ほら、そうおっしゃるじゃないですか。そしたらわたしの食事は買ったものだけになってしまいますよ? それでもよいのですか?」

「……ダメ、ですね」

「そうですよね? では一緒に食事をいたしましょう」

「わ、わかりました」


 琴羽さんはどうしても一緒に食事がしたいらしい。まあ、夫婦としての説得力の補強になるから、と考えているのかもしれないけど。

 ただ、そんな効率を重視した考え方を、この人がするだろうか。


「食事も終わりましたし、リビングですこしゆっくりしませんか?」

「いいですけど、琴羽さん、お風呂はもうすませたのですか?」


 ふわっと、琴羽さんの顔がうっすら赤くなる。


「はい、あの……帰宅してすぐにシャワーをお借りしました。勝手に使ってすみません」

「全然! 全然かまいませんよ! 部屋、すきに使ってくださいと伝えていましたし」

「ありがとうございます。ですが、優一朗さんはいいのですか?

「ええ。もう少ししたら入りますよ」


 琴羽さんの淹れてくれたお茶を持ってリビングに移動する。

 いつもの癖でソファーの定位置に座ると、その隣に琴葉さんが腰かけてきた。それ自体はまったくかまわないのだけれど、家のソファーで、隣に誰かが座っているという見慣れない光景に動揺する。

 とりあえず、手持ちぶさたを解消するためにお茶をすする。美味い。

 

「あの、優一朗さんは、普段なにをして過ごしていらっしゃるのですか?」

「……唐突ですね」

「す、すみません、なんの脈絡もなく聞いてしまって。気になったもので……」


 漫画なら、ぴゃぴゃぴゃって感じで汗を飛ばしていそうな焦り方をする琴羽さん。


 自分が普段なにをしているか、か。改めて聞かれると意外と答えづらいな。


「暇な時間は動画を見ながらゲームしたりしてますね。あとは大学とバイトに行くくらいですか」

「ゲーム……! それは、わたしにもできますか?」

「うーん。ちょっと難しいかもしれませんけど……琴羽さん、ゲームしたことありますか?」

「はい。高校生のときにお友だちに教えてもらって、ブロックを崩すパズルのようなゲームをしていました」

「数年前だと、わんにゃんツミツミですかね? 流行ってましたもんね」

「そう! それです!」

「うーん。たぶん僕のやってるゲームとは全然傾向が違うと思いますよ?」

「優一朗さんがやっているゲームは、どんなゲームなんですか?」

「見てみます?」

「ぜひ!」


 スマホを手にとって、アプリを起動する。

 隣に座った琴葉さんが、首を伸ばして僕のスマホの画面を覗き込んでくる。

 見えやすいように、画面を傾けて体を寄せた。瞬間、ふにっと、肩と肩が触れ合う。


「す、すみません……!」

「いえ……」


 琴羽さんに拒否されるまえに僕から離れたぞ。ナイス反射神経系!

 しかし……一瞬触れただけでも伝わる超絶柔らかい肌だった。なにあれ、同じ人体とは思えないんだけど。


「凄くきれいな世界ですね……!」

「え?」


 いつの間にかゲームが始まっていた。

 今起動しているのは、オープンワールドのRPGで、僕の操作するキャラクターは西洋風のお城の前に立っている。長閑な音楽と、レンガ造りの建物が、異国情緒溢れる世界を演出していた。


「西洋風の町並みが好きなんです」


 そう言って、僕が軽く操作すると、画面の中のキャラクターが動いて、異国の城下町を走りはじめた。


「ひとり用のゲームなんですが、ダウンロードすれば琴羽さんのキャラクターと一緒に探索できますよ」

「本当ですか?」

「はい。でも、こういうアクションゲームは向き不向きがあるので……ちょっといじってみます?」


 返事を待たずに、琴羽さんにスマホを渡す。


「え? あ、あの、どうすればよいのでしょう……?」

「左手の親指で移動させて、右手の親指でジャンプやダッシュができるボタンに触れると動かしやすいと思いますよ」

「さ、左右の手で違う動きをさせるのですね……む、難しいです」


 キャラクターをまっすぐ走らせることもできなさそうだった。当然、戦闘などおぼつかず、本来負ける要素のないザコ敵に袋叩きにされていた。


「ああ……! すみません、負けてしまいました……」

「気にしないでください。やっぱり難しそうですね。一緒に遊べるゲームがあればいいんですが、僕はスマホのゲームくらいしかやらないので」

「わたし、見ているだけでも楽しいですよ」

「そうですか? ゲームって自分でプレイしないと見てて飽きません?」

「いえ……気になりませんが。それに、優一朗さんがいろいろ教えてくれるので、それを聞くのが楽しかったりします。西洋風の町並みがお好き、ということも初めてしりましたし」


 琴羽さんが屈託なく笑う。

 僕は手癖でゲームを進行する。

 自分のことを話すのは苦手だ。聞かされたってつまらないだろうと思ってしまうからだ。


「あの、優一朗さん……プロポーズの言葉を、考えては頂けませんか?」

「……ええ!? な、なんで?、」

「実は今日、茶道部の顧問の先生に聞かれたんです。なんてプロポーズされたの?……っと」

「そ、そうだったんですか……な、なんて答えたんですか?」

「……答えられませんでした。幸い、外の先生が話題を変えてくださったので、その場で追求されることはありませんでした。ですが、もしかしたら今後聞かれることがあるかもしれませんので」

「……あり得ますね」


 それこそ、琴羽さんのおじいさんが訪問することがあれば、そういう話しになってもおかしくない。

 僕はゲームの画面を閉じて腕を組む。


「プロポーズの言葉……ですか」

「できればシチュエーションなども一緒に考えて頂けると助かります」

「さらっと難易度を上げないでくださいよ」

「す、すみません……!」


 琴羽さんは首をすぼめて、小さく頭を下げる。


「うーん……シンプルなのでいいですか? ど直球に、結婚してください、とか」

「わかりやすくていいと思いますよ」

「プロポーズの言葉なんてそんなにバリエーションありませんよね? あとは……毎朝僕に味噌汁を作ってください、とか?」

「わたしのお味噌汁でよければ……」

「いえ、やめましょう。毎朝血まみれのキッチンを見せられたら心労で胃に穴が空きます」

「むう。ひどいです、優一朗さんっ」


 半分は冗談なので、苦笑いで誤魔化しておく。


「シチュエーションはそうですね……ベターなのは綺麗な夜景を見ながら、とかですか。どこか夜景が綺麗なところは知ってますか?」

「わたし、日本の観光地はあまり詳しくないので……」

「そっか。まあ、僕もなんですが。うーんと、お台場とかですかね?」

「あ、よく聞きますね、お台場っ。わたし、行ったことないんです」

「僕も夜のお台場は行ったことないですね。行ってみますか? 明日」


 キョトンとした顔で琴羽さんが僕を見つめていた。

 僕自身、そこでハッと我に返る。

 今、さらっとなにを口走った、僕? 

 

「それは、デートですか?」

「で、デート……の既成事実作りです。見てみないと、いざ説明したときにボロが出るかもしれませんし。あ、でも琴羽さんは仕事終わりですし、それから向かったら疲れちゃいますよね?」

「大丈夫です」


 力強く、大丈夫と宣言された。しかもなぜか二回、大丈夫ですと宣言していた。


「では、明日の夜はお台場デートということで、よろしくお願いします」

「よ、よろしくお願いします」

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