√は包み込む。
@Mdray
第1話
√は、あらゆる数字を優しく包み込む。4でも15でも虚数iでもπでも。負の数の場合は、マイナスをiに変えてから包み込む。
そんな優しい人間になれと、数学者の両親が私に付けた名前は
私はその名の通りに成長して、ついには大学の数学科に入学した、物心が着いた時から両親に数学の魅力を叩き込まれたのだ、いつしか、私も数学を愛するようになった。数字は美しい、あらゆる数字に意味があって、属性があって、あらゆる数字の組み合わせも美しく、数字というのは、宇宙が始まる前から存在する、星が一つ、原子が一つと、観測する人間がいなくとも数字は無限で永遠だ、それも美しい。
閑話休題。私は、親戚の数学限定の家庭教師のバイトを頼まれた、数学を教えてさらにお金を貰えるだなんてなんと素晴らしい事か。どうやら、親戚の中一の女の子は、数学だけがどうしても出来ないらしい。人生の三分の一損していると、何の根拠もないけれど思う。
***
都心にあるキャンパスから出て、その足でここから徒歩10分の場所にある親戚の家へ向かう。月が少し鮮明になり、空は橙となりつつあって、向かう道は学校終わりの小学生で賑わっていた。日課である自動車のナンバープレート因数分解をしていると、直ぐにそこに着いた。数学をしている間は、時間が進むのが早く感じる。自分と同じ苗字が表札に書かれた親戚の家のインターホンを押した。
***
叔母に教え子の部屋まで案内される。筆記体でhachiyoとドアプレートに書かれた部屋の扉を2回ノックした。二宮ハチヨ、それが私の生徒の名前なのか。漢字は八夜か、八代か、それにしても「8」か、「2³」だな、半素数でない合成数のうち最小の合成数だな、6番目のフィボナッチ数だな。
「どうぞ」
その声を聞き、扉を開け、自己紹介をする。
「初めましてハチヨちゃん、今日から貴女の家庭教師をする
「ルート?」
「うん、ルウト。琉球の琉に、羽に兎でルウト」
「……あ、初めまして、私は
随分大人びた子だな、と思う。敬語も出来ているし、本棚には小難しい小説が連なっている。私は数学しか出来ないタチなので、小説を読むと頭が痛くなる、数学に関する論文や文章題は楽しく読めるのだが。
それにしても「八四」でハチヨか、84…ディオファントスだな、31番目のハーシャッド数だな。それと。
「
「は?」
「ごめん、何でもない」
結構真面目に睨まれた。
「数学オタクなんですか?」
「うんまあ」
「変なの」
蔑んだ目とか、嘲るような目とかでなく、本当に理解が出来ない者を目の前にした時の目をしていた。
「数学嫌い?」
「うん、意味がわからないんです」
「…教えていくから、今学校でやってるところでわからない問題はある?」
「これです」
そう言って彼女は、教科書の問題を指さした。
_____________
X² =4
Xを求めよ
_____________
初歩も初歩だ。相当数学が苦手なんだなと、私は理解した。
「まず、Xの右上の数の意味はわかる?」
「わかんない」
「さては、授業を聞いていないな」
「だって意味わからないから…」
「理解出来ないものから逃げるのはよくないよ」
「……」
彼女は言い返せなくなったのか、小さく俯いた。少し失敗したな、と思う。
「ごめん、話が逸れたね…この小さい文字は指数と言って、例えば4² の場合は4×4で16。この数を右上の数の回数だけ掛け算するの」
「なるほど…」
「じゃあ問題に戻ると、この場合問われているのはある数字Xを二回掛け算すると4になる。このXは何?という事…二回かけると4になる数字は?」
「2」
「そう、でももう一つある」
「え?」
「マイナス×マイナスはプラスになるから…」
「-2?」
「そう、それを纏めて書くとこうなる」
±2と、持ってきたノートに書いた。
「答えが二つ?」
「答えが二つ以上にある事は数学になると出てくるよ」
教えると理解出来るから、数学が苦手と言うよりかは苦手意識により脳に知識を入れる事を拒んだだけなようだ。その後も教鞭を続け、初回授業は
***
そこから一年、彼女に数学を教え続けていた。数学の成績は上がっていったが、依然として、彼女の数学嫌いは治る事がなかった。
いつものように、彼女の家に向かっていた。ナンバープレート因数分解をしようとして、車道を見る、どうやら渋滞のようだ、何かイベントでもあるのか、それとも事故か。
すると、
「……おとうさんと、おかあさんと、おねえちゃんが…」
淡々と、最早涙とかいうそんな次元じゃない様子に、私は全てを理解した。人は簡単に死ぬ。生命に無限はない、数字とは違うのだ。突然だ、伏線と予兆もなく唐突な展開が訪れる。それが人生だ。
***
彼女は私の家が引き取る事になった、新たな居場所を提供したが、きっと本当の意味で彼女に居場所はなかったのだろう。彼女はずっと、最低限の事しか話さず、常に真顔。感情が一切読み取れない、私は国語が苦手だ。
とある冬の夜。珍しく降った雪が少し積もって、街中は月明かりに照らされた白で包まれていた。2月20日、私の誕生日のその日だ。
「あれ?
母親が私に問いかけた。彼女が夕食の時間だというのに、部屋にもリビングにもいないのだ、私は走り出した、本能的に危険だと、ここで全力を出さなきゃ後悔すると、理解した。論理も根拠もへったくれもない、突拍子もない解を出した。
***
マンションの屋上で、彼女の姿を見た。夜の帳に陰り、小さなシルエットが後ろ姿で柵の上に立っていた。少しでも力を加えたら、崩れ去ってしまう。空に舞う雪でさえ、彼女を押してしまうのかと、そんな不安さえ覚える程に、とっくに彼女はマイナスとなっていた。ずっと思っていた、彼女は自殺をしてしまうのではないか、その嫌な予感が、当たってしまった。
「
「これが」
彼女は私の方を向いた。少しよろけて、落ちそうになった。いつ落ちてもおかしくない、私は狂ってしまいそうだった。
「危ないっ」
「近づいたら落ちる」
私を手で制した、止まらざるを得なかった。
「これが、私の導き出した解なの…数学みたいに、私にはたった一つの解が出せた」
「解って…」
「好きでしょ?数学」
そう言って、ニヒルに口角を吊り上げた。自暴自棄の笑みだ。そっちがそうなら、私も数学で。国語は苦手だが、数学は得意だ。
証明を、開始しようか。
「X² =4。Xを求めよ」
「…」
いつか教えたこの問題を、初めに教えたこの問題を、私達の出会いを繰り返した。この問題を解けない訳がない。
「X=±2…」
「解は二つだよね」
「…」
「三次方程式っていうのには解が三つあるし、四次方程式には解は四つある、数学にも、人生にも、解はいくつもあるんだよ」
八四は泣き出した、私は、彼女のこんな顔を見たくて数学を教えている訳ではないのだ。
「訳わかんない」
「理解出来ないものから逃げるのはよくないよ」
これも、出会った時に言った言葉だ、当時は無視された。今なら、答えてくれる、その確信があった。
「だってわかんないよ!そうだよ!みんなが死んじゃった事がまだ理解出来ないの!だから逃げたいの!」
魂の叫びであった、ここまで感情を表に出す彼女を、私は初めて見た。世界というのは理不尽だ、どれ程確率が低い出来事であろうと、起きてしまう。例え0.何パーセントだろうと0に四捨五入は出来ないのだ。そして、私は言葉を続けた。
「貴女の名前…
いつか言った言葉の続きを、授業を、私達の繋がりを確かにする為。
「これは友愛数。異なる 2 つの自然数の組で、自分自身を除いた約数の和が互いに他方と等しくなるような数」
「…」
きっと彼女は完全には理解していないだろう、けれど、私の言いたい事は伝わったはずだ。
「運命で繋がれた美しく睦まじい数字の組み合わせ、それが私達を繋げている」
私は手を広げて、彼女を迎える準備をした。彼女が涙を拭った手に雪が積もった。
私達の数字で繋がれた目には見えない鎖が、彼女を引き戻した。248と220。一見適当に見える数学の組み合わせにも、運命が隠れている。空に浮かんだ彼女の体が、私の胸に飛び込んできた。私は抱きしめた、優しく、離さないように。
√は、あらゆる数字を優しく包み込む。例え世界に絶望した負の数であろうと、
-248
√-248
√248i
√は包み込む。 @Mdray
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