黒竜の血の杖
洞貝 渉
上
くたびれた男と幸薄そうな女が薄笑いを浮かべている。
「いやあ、助かりますよ。貴重な物がたくさんあるんでね、一応、棚卸なんかもしたりするんだけれど、どうにも二人だけじゃあねえ」
男——保管庫の管理責任者がへらへらと媚びるようにして言う。ねえ、と女に同意を求めるが女は薄ら笑いを顔に張りつけたまま何も言わず、ただ感情の読めない目をこちらに向けているだけだ。
倉庫、それも魔道保管庫なんていう現代社会において化石に成り果てたような施設に、果たして三人も職員が必要なのだろうか。
「いやあ、本当に助かります。今どき、こんな古臭くて埃っぽい仕事、だれもやりたがらないもんですからねえ」
どうぞ、一応施設内をぐるりと案内しますよ。
男がへらへらとしながら俺の先に立ち、低い必要性とは反比例したかなりの広さのある保管庫を説明してまわる。
「ここは、初歩の魔道具置き場ですね。まあ、初歩といっても、科学道具のように誰でも扱える品物ではありませんが」
「ここは、水属性の魔道具置き場ですね。まあ、今じゃ水なんて、水道を捻ればいくらでも手に入るし、火災の時だって魔道具じゃなくて消防車の出番なのですが」
「ここは、占い用の魔道具置き場ですね。もっとも、明日の天気だって、魔道具ではなく人工衛星を利用した天気予報のほうが遥かに精度が高いわけですが」
男の不必要に付け加えられる魔道具と現代科学との対比には、どこか卑屈めいたものが見え隠れする。
科学に対する卑屈さなのか、こんな追い出し部屋へ押し込められている自身への卑屈さなのか。
「誰にも求められていない不用品をわざわざ労力と金をかけてまで保管するのはいかがなものか、なんて苦言も出てはいるようなんですけどね」
いい加減、広すぎて多すぎる保管庫の説明に飽き飽きしてきたころに、男がぽつりと漏らした。
「今、すぐにでも必要とされないからといって、それが必ずしも不用品というわけではないと、私はそう思いますよ、ええ」
全てが上手くいっていたはずだった。
勉強をしていい大学を出て、大企業に就職し、順調に出世をしていった。
学生時代からの付き合いだった女性とも結婚したし、子どももできた。
幸せを絵に描いたような人生、だったはずだ。
それがどこで歯車が狂ってしまったのか。
親父が古い友人の連帯保証人になって、友人に逃げられたことからか?
借金による心労が祟ったのか、お袋が酷い嫁いびりをやり始め、それがきっかけとなって妻は子を連れて出て行ってしまった。
それとも、高校時代にいじっていた奴が派遣で会社に来たせいか?
奴が視界に入るたびに気になってしまい、ついちょっかいを出してしまった。たいしたことはしていないが、同僚にその様子を目撃され、上司に報告された。懲戒解雇か自主退職を選ばせてやる、最後の恩情だと思え、と言われたが、なぜ派遣が守られ俺が切られるのか、なぜあの程度のことでここまで話が大きくなるのか、未だに納得がいっていない。
親父が負わされた借金は実家を手放し親戚中から金を借りることで何とかなったが、両親は離婚し、親父には親戚への借金だけが残った。
無職になった俺も程なくして妻が雇った弁護士経由で離婚が成立。多額の慰謝料と養育費を一括で支払い、貯金は底を尽きた。
金も、社会的地位も、家族も、消えてなくなるのはあっという間だった。
何もかもが無くなってしまったが、とにもかくにも仕事が、生きていくための金が必要だった。が、一度落ちた人間は二度と這い上がれないように出来ているようだ。同業他社はどこも俺を受け入れてはくれなかった。
いよいよ切羽詰まり応募したのがここ、魔道保管庫の職員だ。魔道具など、科学の発展した現代社会ではガラクタ以上の何物でもない。仕事内容も給料もなにもかも納得いくものではなかったが、選択肢など今の俺にはない。
「いやあ、助かります、助かりますよ。何度も職員の募集はかけていますし、人も来てはくれるんですがね、皆さんしばらくすると何故かいなくなっちゃうんですよ」
「……そうですか」
「不思議ですよねえ。勤務態度にも問題ない方ばかりなんですけれど、ある日を境に出勤してこなくなる。連絡も取れず、自宅へ伺っても、もぬけの殻で」
「……」
職務内容を施設管理、とはよく言ったものだ。
事務作業とやらをしている女職員を事務室に残し、俺と男は広い施設内の清掃作業をしている。埃にまみれた骨董品を一つ一つ丁寧に拭き清めていくことになんの意味も見いだせないが、仕事なのだから仕方がない。
「扱いに気を付けてくださいね。できるだけ素手では触らず、何か聞こえても無視してください」
「……」
男の注意が右から左へ流れていく。
その日は一日中、支給された手袋をはめ、手渡された手ぬぐいでフロア中の不用品を丁寧にぬぐい続けた。力仕事をしていたわけでもないのに腰が痛い。
事務室に戻って帰り支度をしている時、支給された手袋が無いことに気が付いた。
記憶をたどれば、最後に入った保管庫で外して、そのまま置き忘れていた。事務室からそう遠くもないので取りに行くことにする。
掃除をしたとはいえ、物に溢れたその部屋は埃っぽかった。
面倒だったので電気もつけずにほの暗い保管庫へ入る。
静かに陳列された骨董品の山を横目に、俺が置き去りにしていた手袋を拾い上げると、カタンと音がした。
ん? と顔を向ければ、なにか棒状のものが床に転がっている。立てかけてあったものが倒れたのか。
俺は棒を拾い上げて適当に棚に立てかけた。棒状のものには凝った装飾が施してあるらしい。暗くてよくは見えないが、その形状に記憶のどこかが刺激される。じっと目を凝らして見ていると、装飾部分の二つの小さな点が赤く発光した。
俺はなんだか薄気味悪いものを感じて、慌てて保管庫を後にする。
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