第16話 恵獣母子
着替えを済ませて、大人達の前に出ても良いように髪を整えて、それから意気揚々と差脱衣所を出ると、ピスピスと動く二つの大きな黒鼻が俺のことを出迎えてくれる。
「うおう!?」
いきなり目の前に現れたそれに驚いて声を上げると鼻の持ち主、恵獣ランヴィの親子が声を上げてくる。
「ぐぅーーー」
「ぐー」
村の皆に世話を任せたはずの二頭は太く響くそんな声でもって俺を歓迎してくれて、その鼻をグイグイと俺の顔に押し付けてくる。
皆に敬われる恵獣にサウナで汚れを落としたばかりなのに……とは言えずぐっと堪えながら口を開き、
「えぇっと、どうしたんですか?」
と、問いかけると恵獣は、
「ぐぅーー、ぐぅー」
「ぐー」
と、鳴き声を返してくる。
「名前をつけて欲しいんじゃねぇか?」
「多分名前ッスね」
すると俺のあとに続いて脱衣所から出てきたユーラとサープがそう言ってきて……俺は
名前かぁと頭を悩ませ……親子のことをじぃっと見つめる。
「えぇっと……親の方はお母さんで、子の方は息子なのかな?」
瞳の優しさというか表情というか、その柔らかさでそう判断した訳で……直後、
「そうだな」
「そうッスね」
「ぐぅー」
と、ユーラとサープと親の恵獣が返事をしてくれる。
……いやまぁ、恵獣の返事は流石に偶然のはず、賢いとは聞いていたけど言葉を理解する程ではないはず。
そんなことを考えながら更に頭を悩ませて……その間も恵獣の親子はぐーぐーと俺の顔に鼻を押し付けながら声を上げ続ける。
そうして少しの間があって……その声に頭の中を支配されてしまった俺は、これしか思いつかないからと二つの名前を口にする。
「お母さんはグラディス、息子はグスタフ、こんな名前でどうかな?」
するとお母さん恵獣のグラディスが満足そうに目を細めてから口を上に上げて、
「ぐぅーーー!!」
と、大きな鳴き声を上げる。
それに続いて息子のグスタフが、
「ぐーー!」
と、グラディスの真似をしながら声を上げて……それを受けてかユーラとサープが左右から俺の肩をポンと叩いて言葉をかけてくる。
「はぁ、これで正式に恵獣持ちか……悔しいが仕方ねぇ、世話の仕方は教えてやるからよ、しっかり世話するんだぞ」
「おめでとうッス、そんなに若くて恵獣持ちだなんてモテモテになるッスねぇー」
その言葉に首を傾げた俺は左右を交互に見やってから言葉を返す。
「いや、まだ俺が世話をすると決まった訳じゃないだろ? そこら辺はこれから皆と相談して―――」
するとその言葉の途中でユーラがやれやれと顔を左右に振ってから言葉を返してくる。
「名付けってのは恵獣様にとって契約みてぇなもんなんだよ、お前が助けてここまでの道中でもお前を気に入ってるようだったし、今だってそんな風に鼻を押し付けて親愛を示してもいるし……たとえ村の皆が反対したって、その親子はお前の側を離れねぇだろうよ。
ま、恵獣様が居て困ることなんて一つもねぇんだ、たっぷりと世話をして差し上げて、そのお恵みをたっぷりと貰っちまえば良い。
グラとかグスとか名前はちょいとばかり変わっちゃいるが、お二方とも良い恵獣様なのは間違いねぇからな、大事にするんだぞ」
その言葉の間ずっとサープはうんうんと頷いていて……恵獣の親子までがうんうんと頷いていた。
「えー……あー、うん……そういうことなのか、うん。じゃぁえっと、その……よろしくお願いします」
そんな流れの中、俺がそう言うとグラディスとグスタフは嬉しそうに俺の顔に鼻を押し付けてくる。
グイグイグイグイ……ちょっとだけ湿った鼻にもみくちゃにされて微妙な気分になってしまうが、これは親愛の証らしいし受け入れるしかないだろう。
そのお返しとしてまずはグラディスの頬をガシガシと撫で回してやって、それからグスタフの頬を撫で回してやって……しばらくの間そうしてから、いつまでここにいても体が冷えるだけだからと、村の中央へと足を向ける。
すると世話を任せた人や何人かの家長、それとアーリヒが俺達のことを待っていて……そのまま族長のコタに進むようにと促される。
ユーラとサープはそれぞれのコタに戻るようでそのまま別れて……グラディス達は当たり前のようについてきて、コタの中にまで入ってきてしまう。
しかし誰も何も言わない、恵獣がそうするのは当たり前のことなのか、何も言わずに受け入れて……シェフィを頭に乗せた俺が用意された、以前のものよりも広いしっかりとした席に腰を下ろすと、その後ろに脚をゆっくりと畳んだグラディス達が腰……というか体を下ろす。
それから俺の両肩に顎を乗せてきて、鼻からブフブフと息が吐き出されて……それに何とも言えない気分になっていると、アーリヒが笑いを堪えながら口を開く。
「そ、それでは報告をお願いします、魔獣を狩れたこと、恵獣様の親子を助けたこと既に知ってはいるのですが、ヴィトーの口から改めてお願いします」
そう言われたこくりと頷いた俺は、今日起きたことを……既に大体のことは知っているようなのでサラッと報告していく。
狩り自体は無事に終わったし、恵獣との出会いも偶然によるものだし……アーリヒが知っていることに付け加えることがあるとすれば、それはグラディスとグスタフの名前と漢方薬のことだろう。
漢方薬という薬が手に入るかもしれないこと、それにはかなりのポイントを消費して本を手に入れることが必須だと説明すると、周囲の家長達はもちろんのこと、ひときわアーリヒがその目をこれでもかと大きく見開き……キラキラと煌めかせ始める。
今まで一度も見たことのないそんなアーリヒの様子に気圧されながらの説明を終えると、サウナを出てからずっと何か考え事でもしていたのか黙っていたシェフィが声を上げる。
『漢方薬はたくさんの生薬を混ぜることで、効果を高めたり副作用を弱めたりするもの、らしいよ。
どういう組み合わせが良いのか、どういう組み合わせが悪いのか、そういった知識はあっちの数百年という長い歴史の中で蓄積されていったもので……それを楽して手に入れるんだからそのくらいのポイントはしょうがないよね、だってさ』
そう言ってシェフィは宙に浮き、なんとも恭しい態度でコタの中をぐるりと回って……それから俺の目の前にやってきて、なんといったら良いのか……無駄に凛々しいドヤ顔のような表情を見せつけてくる。
それを見て長い付き合いの俺はすぐにシェフィが今まで何をしていたのか察して、呆れ半分の微妙な表情となる。
恐らくサウナを出てからついさっきまでシェフィは、あちらの神様から漢方薬のことを教わっていたのだろう。
あれこれと教えてもらってそれを暗記して……そしてそれを今、ドヤ顔で皆に披露したという訳だ。
とても自慢げでなんとも子供っぽい、見方によっては可愛らしいその表情を受けて俺は、皆に気付かれないように小さなため息を吐き出してから、シェフィの顎辺りをちょいちょいと撫でてやる。
するとシェフィはなんとも嬉しそうな表情をして、しつこいくらいに撫でてやるとシェフィが満足げな恍惚とした表情となり……それからふわりと浮かんで、俺の頭の上にころりと寝転がる。
そんな俺達のやり取りが終わったとなった瞬間、食い気味に前に進み出たアーリヒが、頬を上気させたその顔をグイとこちらに向けながらいつになく弾んだ、喜色に満ちた声をかけてくる。
「そのカンポウヤクというのは具体的にどんな症状に効くんですか? 子供達には使えるんですか?
……それがあれば風邪で亡くなる子供達を救えるんですか?」
「えぇっと……俺もそこまで詳しくは知らなくて、ただ風邪に効く漢方薬はお店で売っているものだけでも何種類かあったのを覚えています。
風邪の引き始めに飲むと良いものとか、咳止めとか、寒気がする風邪に効くもの、逆に体が熱くなる風邪に効くもの、喉の痛みを抑えるとか……色々ですね。
で、子供達に使えるとかそこら辺のことは……すみません、本を手に入れないことには分からないです。
有害な成分は少なかったはずですが、全く無いとも言い切れないので、体が未熟な子供達に使うのなら本を……正しい知識を手に入れることは必須だと思います」
こちらの世界では子供の死亡率がかなり高い……生まれてすぐということもあれば、5・6歳になってもちょっとした風邪なんかをきっかけに命を落としてしまう。
7歳かそのくらいになると落ち着いてきて、風邪にも負けなくなるのだけど……それまでの7年間は家族にとって、そしてアーリヒにとってとても長いものなんだろう。
その7年が少しでも楽になるのなら、子供達が乗り越えられるようになるというのなら、多少の財産を失っても惜しくはないのだろうし……実際にアーリヒ達は沼地の商人から効くかも分からない薬のような何かを、結構な量買っていたりする。
そんなアーリヒにとって『精霊が効くと保証してくれた』漢方薬は、突然現れた救いの手というか、伝説の霊薬のようなものに思えてしまっているらしく、目を輝かせ両手を握り込み、今にも立ち上がって踊りだしそうな様子を見せるが……コホンと咳払いをし、それでもって落ち着きを取り戻したというか、咳払いでもって自分に落ち着けと促したのだろう……静かにゆっくりと声を上げてくるのだった。
――――あとがき
お読み頂きありがとうございました。
次回は漢方薬についてやら何やらです
応援や☆をいただけると、グスタフ達の鼻がよりじっとりとするとの噂です。
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