コーヒー好きの失恋少女と、甘ったるいチョコボール
まっしろ委員会(黒)
プロローグ きっと、あーしはまだ彼女のことが好きだ。
『人生には何回か節目がある』なんて言葉を聞いたことがある。実際、自分が変わらざるを得ないような状況は、この短い人生のうちにも何度かあった。
例えば、妹が生まれた時。三歳のこと。初めて自分が年上になった感じがして嬉しかったのを覚えている。でも、ママが自分にあんまり構ってくれなかった寂しさは、それより少し強かった。
例えば、仲良かった幼馴染の告白を振ったとき。高校の入学直前だから、四か月くらい前のこと。これに関しては嬉しかったことなんて何もない。もうほとんど彼とはまともな交流がないのだ。
ずっとあのまま、仲が良い友達でいられれば、とか何度思ったことか。……傷つけたのはあーしだから、都合よく顔を見せるのは申し訳ない感じがして、関係の修復はできていない。
きっと、妹の話だって、幼馴染の話だって、生きてれば直面してもおかしくないくらいの、他人にとってはどうだっていい話なんだろう。
……でも、それでもあーしは、変わってほしくないないと思うのだ。
ずっと今のままの、心地よい安定を望んでいたいのだ。
◆◇
七月四日、月曜日。午前六時ちょっと前。
既に鳴き始めているセミがうるさいし、寝起きのシャツは汗ばんでいる。嫌なくらい夏だった。
暑苦しいだけのタオルケットを、どうしようもない気持ちを晴らすように蹴っ飛ばした。ベッドから嫌々起き上がる。
そう。あーし、赤山ららの起床は、最悪だった。
……もっとも、最悪なのは別に今日に限ったことじゃないけど。
ここ三日くらいはずっと底辺を彷徨っている。
もちろん、これにはちゃんとした理由がある。
でもって、解決方法がこの世に見つからないから、どうしようもなく最悪なのだ。
自室から出て階段を下りる。
向かう先は洗面所だ。
こんだけ気分が滅入っている時は、メイクをちょっと派手にするのに限る。
うちの高校の校則は結構緩めで、目立ちすぎないメイクならとやかく言われることはないから、友達もほとんど毎日メイクをしてきていた。
あーしとしても、メイクは楽しい。
ほんとの自分を隠して、理想の自分を作ることができるのだ。そんなの、楽しくないわけがないのだ。
自分を納得させるように頷いて、鏡に映った自分の顔を眺める。ここ三日、ずっと同じ顔をしている。
起きたばかりだというのに疲れているみたいな……。ただでさえ自分の顔はそんなに好きじゃないのに、こんなすっぴん誰にも見せられない。
洗面台の棚に入れたままのプチプラコスメのセットを取り出してから、顔を洗う。いつもより洗顔料は多め。
――三日前、失恋した。
水と泡で、あーしのこの暗い気持ちも晴れればいいのに。
こんなんで流せるなら、こんなにナーバスにはなっていないのだけれど。
「……はぁ」
好きだった彼女は、通ってる高校のクラスメイト。
名前は水瀬しずく。あーしはみなちゃんと呼んでいる。
笑顔がひまわりみたいで可愛くて、いつもあーしのことを引っ張ってくれる優しくてかっこいい、まるで道しるべみたいな女の子。
みなちゃんは何よりコミュニケーションが上手だ。本人が目立つのはほどほどに留めながら、常に相手のことをより立てて、話してていい気分にさせた上、場を明るく保つ。
……きっと、あーしとは違う人生を歩んできた人なんだろうと、憧憬すら孕んだ気持ちで、ただ彼女を想っている。
そんなみなちゃんのことを好きになったきっかけは、そんなに大したことない。
入学式の日、学校で迷っていた私の手を引っ張ってくれたから。ただそれだけ。
もともと男の子より女の子が好きだったし、彼女は私に優しくしてくれた。それ以上の理由はなかった。
高校に入学した時、不安でいっぱいだったあーしは、それだけで本当に救われたのだ。
高校に入ってからこの一学期中は、ずっとみなちゃんばかり見てきた。そう言っても過言ではない。純粋に、友達の延長線上にあるような憧れの気持ちで、ただ好きだった。
だから、みなちゃんに好きな人がいて、それがあーしの知らない男の子だと知っても、あーしはさして傷つかなかった。
あーしは特別悩むこともなく――きっとそれほど深く考えることもなく――自ら進んでみなちゃんを応援した。
初恋が叶わないというのは身を持って知っていたし、みなちゃんと一緒にいられれば、仲よく居られればそれで良いと思っていたから、素直に手を引こうと思ったのだ。
――ともあれ、あーしはみなちゃんの恋路を応援した。
その男の子への誕生日プレゼントを一緒に選んだり、その日の恋の進捗を聞いたり、ずっとみなちゃんのそばで、頑張る彼女を応援していた。
案外その生活は楽しかったし、恋する乙女の表情をするみなちゃんは中々可愛くて、それだけで役得だと思った。
だから、そうやって楽しいままで居れたから、まだ失恋していないと勘違いしたままでいたのかもしれない。とっくの前に失恋してるはずなのに、馬鹿な話だ。
やっとあーしが現実を直視したのは四日前。
みなちゃんが思いを寄せる男の子が、あーしにとっての幼馴染だと判明した時だ。
それまで相手の男の子が誰か分からず応援していた――というより、男の子には興味が無かったから、そこまで気が回らなかった。
それを知って、私は、これが『節目』なのだと理解した。つまる所、気まずかったのだ。
あーしは、彼の告白を振っている。
幼馴染の彼とは、赤ちゃんのころからの付き合いで、家も向かい合せ。高校まで学校も全て同じな腐れ縁だ。
中学の終わり頃だ。彼が告白してきてくれたことがあった。断った。なんならレズのカミングアウトで返した。……今は、ちょっとやらかしたと思っているし、申し訳なさもある。
告白のことについては自分なりに責任を感じているし、少し引きずってもいる。断るにしても、もう少し相手に寄り添った断り方をすればよかったなぁとか。……なんて、後悔しても過去は何も変わらないのなんて分かっているんだけど。
ともあれ、あーしは彼の告白を断って、走ってその場を去った彼を追いかけることができなかったあーしは、彼と疎遠になった。
ずっとあーしは立ち止まったままだ。
あの時、追いかけてスタバのチケットを渡して『でも、友達で居続けようよ』とか言えなかった自分のことを後悔しながら、今に至る。
印象最悪で終わるにしても、少しは行動を起こしてから、やっぱりダメだったなって笑える方が良かった。……もしそうできていたら、手元で期限切れギリギリまでスタバのチケットを腐らすようなことはなかったのかな。結局有効活用してくれたみたいだから良かったけど。
溜息を一つ。
あーしがもっと気の利いた、それこそみなちゃんみたいな人間なら、もっといい方法で切り抜けることもできたりしたのかもなあと考えたりすることもある。でも、あーしはみなちゃんじゃないし、みなちゃんには慣れない。だから、やっぱりみなちゃんは憧れだ。
流れ作業でやっていたメイクの手を止める。鏡の前の自分の顔を見て、首を傾げる。
いつも通りなら、これで終わりだ。前にみなちゃんに可愛いって褒められたナチュラルメイク。私も気に入っている。けど、今日は何か物足りない気がして、チークに手を付ける。
今日は誕生日なのだ。もうちょっとくらい飾り付けたってバチは当たらないだろう。
ちょっとくらい頑張ってもいい。
最近はそうやって慣れない行動をして上手くいくことも増えたし、なんだか今日も上手く息がする。
泣きながら走って逃げるみなちゃんを捕まえたり、
困ってしまって動けない幼馴染に喝を入れたり。
そんな風に、あーしは彼らの恋愛がうまくいくよう色々なことをした。
みなちゃんの役に立ちたいから、
幼馴染へ罪滅ぼしがしたいから、
あーしはよく頑張った。彼女らの恋愛において、一番の立役者と言えるだろう。
それで、三日前だ。
あーしの活躍もあってか、みなちゃんと幼馴染はくっついた。
二人は幸せに暮らしましたとさ、ちゃんちゃん。
何も言うことはない。完璧なハッピーエンド。
「なんて、思えたら楽だったんすけどねぇ」
三日前、彼らの幸福と引き換えに、あーしはやっと失恋を自覚した。
返事がワンテンポ遅れるようになった彼女からのLINE、楽しそうに喋る彼の事、そういった細かい一つ一つが、たくさんたくさん積もり積もって、ショックだった。
それに、ちゃんと祝福できない自分のことも嫌になっていた。つまるところ、あーしは大いに凹んだのだ。
金曜日の部活の練習には身が入らなかったし、放課後家に帰ってきてからちょっと泣いた。
晩御飯はのどを通らなかったし、土曜の部活は体調不良をでっちあげてサボった。
その上、土日は何もする気が起きなくて、ずっとSNSとショート動画を眺めるだけの生活を送っていた。
途中、ぼーっとして、どうしようもないことを考えたりもした。
もし、二人の恋を応援するために使った行動力をあーしのために使ってさえいれば、幼馴染の位置にいたのはあーしだったんじゃないかな、とか、ほんとうにどうしようもないタラレバを考えて勝手に苦しんだりしていた。
「あーあ。全部ずっと前のままで居られたらよかったんすけど」
きれいさっぱり忘れることができていない。
だから、きっとまだあーしはみなちゃんのことが好きなのだ。
あのにこやかな笑みが、水滴の様に澄んだ瞳が、いつも引っ張っていってくれるあの柔らかな手が、まだ好きなんだ。
――失恋したけど、しきれていない。
それが、昨日の夜、やっと達した結論だった。
自分は曖昧だ。ひとつに決め切れない、ずっと優柔不断だ。
昔のことばっかり後悔するくせに、今のことばっかり悩んでいる。
人生にしたってそうだ。
誰かに自慢できるような特技が何かあるわけでもないし、そもそも、これからあーし自身がどうしたいのかもよく分からない。
そんな、何色にもなれない自分を、チークを乗せて無理やり色づける。可愛い桜色、周りのみんなと同じ、淡くて綺麗な色。今の理想の姿。
……吹けば散ってしまいそうだとは、あーしも思うけど。気づかないふりをして、鏡に向かって微笑んでみる。
――うん。これなら、たぶん、きっと、可愛い……と思う。
満足したような顔を作って頷く。
上手く作れた、そう思い込む。
これがあーし――赤山ららだ。
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